母の日の思い出
5月の第2週目の日曜日は母の日ですね。
皆さんはどのようなお気持ちで過ごされたのでしょうか?母の日の思い出を語ってみたいと思います。
子供時代
私は小学一年生からお小遣いを両親からもらうよううになり貯金をしていました。母の日は決ったものを送ることになっていました。母は祖母に、私は母にそれぞれ「下駄」を買うのが恒例だったのです。
昭和の1960年代はまだ下駄が主流でしたね。今年はどんな鼻緒を選ぼうかなととても楽しみでした。しかしその後、なにか贈り物はしていたはずなのですが全く記憶にないのは不思議です。
きっと幼い頃の出来事は強烈に覚えているのかもしれませんね。
私が母親になってから
私が母親になってからは3人の息子から「ママ、ありがとう」といったたどたどしい文字と私の顔を描いた絵のプレゼントや、幼稚園でブローチを作ってくれたりしたのは覚えています。
しばらくはとっておいたのですが引っ越しの多かった私達は、残念ながら残すことは出来ませんでした。
アルゼンチンで住んだ時、息子たちはアメリカンスクールに通い始めました。
このあとアフリカに行こうとしていたので日本人学校はありましたが、あえて英語に彼らの言葉を統一させる必要があったからです。
次男の義幸はその頃5歳でしたが、クラスのキンダーガーデンでの行事の一つで母親たちを招待して子どもたちがウェイターやウェイトレスになってケーキを運んでくれるということがあったのです。
その時の彼の明るく楽しそうにサーブしてくれたな笑顔がいつまでも印象に残っています。
残念ながらその写真は失ってしまいました。
でもそのときの情景は私の心のアルバムにいつまでもしまっているのです。
忘れられた母の日
その後、アフリカのザンビアという国に行きました。
そこではじめての母の日を迎えた時、夫も子どもたちも何故か全員が「母の日」ということを忘れていたのでした。
内心とても悲しかったのですが言おうか無視したほうがいいのか迷いましたが、とうとう伝えました。
すると長男の智之がスーッと自分の部屋に入っていったあと、数分経つと素晴らしい赤のカーネーションを折り紙で器用に作って手渡してくれたのには驚きと嬉しさで涙が出そうになりました。
彼は折り紙の天才で色々なものを作っては自分なりにも研究をしていたのです。
私はまるで不器用で鶴もまともに作れません。せいぜいカラス止まりなのです。
嬉しいサプライズ
今夜、2年前にラスベガスから帰って東京に住んでいる3男の宣道から突然電話がありました。
荷物を送ったらしいけれど住所が以前のところになっているとかでつかなかったらしいのです。なんだか彼らしい。
聞いてみると母の日のプレゼントということで驚きました。長男と次男はアメリカで家庭を持って永住ですので、通常はメールやfacebookを通じて嬉しい言葉を伝えてくれるのですが、3男は音信不通というときが多かったので期待もしていなかったのです。さて、明日が楽しみです!
さきほど届いたのがこれです。女性が入浴をするときにバラで敷き詰めたお風呂に入るシーンをよく見ますね。あんな贅沢なことは普通の女性にとってありえませんよね。
実現不可能なことはわかっていますが憧れとしてず~っとその夢は抱いていました。それがまさに今日、実現できたのです。
きっと本物のバラよりは香るとおもいますね。
感謝
3人の息子たちに心から感謝したいと思います。
本当に有難う。
私は幸せな母親です。