令和5年3月26日 家庭礼拝シリーズ(7)「ブドウ園の労働者」

家庭礼拝(7)題:「ぶどう園の労働者」

 

聖書:

マタイの福音書19:27

 そのとき、ペテロがイエスに答えて言った、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。

 

マタイの福音書20:1-16

 天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。 彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。 それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。 五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。 さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。 そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。 ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。 もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。 そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。 自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。 自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。

 

前奏:

 

英語の賛美:

 

礼拝を音声でお聞きになりたい方は、以下をクリックください。

 

父:

「今日は、お父さんとお母さんがこのたとえ話の紙芝居を簡単に作ったので、それを見ながらみんなで考えたいと思っているんだよ。」

勇:

「え! 紙芝居!? 面白そうだね。」

陽子:

「陽子も一緒につくりたかったのに。」

母:

「ごめんなさいね。急に思いついたので時間がなかったのよ。今度は、夏休みにみんなで作ってみましょうね。」

愛美:

「お母さん、絵は不得意だと言っていたけど、大丈夫だったの?」

母:

「バレちゃったわね。私はもっぱら文章のほうで、絵はお父さんがしてくださったのよ。」

父:

「それぞれに、担当して読んでもらうので用意はいいかい?」

全員:

「はーい!」

 

紙芝居とナレーション:

 

陽子:

「ぶどう園の主人は朝早くから広場に出て行って、ぶどう園で働く人々を集めました。主人は、一日につき1デナリの約束をしたのです。みんなは喜んで働きました。」

愛美:

「人手が足りなかったのか、9時、12時、3時ごろにも、出かけて行って同じように働き手を探しに行き同じ条件で雇いました。さらにまた、夕方の5時ごろに行ってみると、まだ立っている人たちを見つけ、『なぜ、何もしないで1日中ここに立っているのか?』と聞くと、彼らは『誰も自分たちを雇ってくれないからです。』と答えたので、その人達も雇ってあげました。」

勇:

「みんな一生懸命働いて仕事が終わったので、1デナリを主人からもらいました

が、朝から働きはじめた人たちは、『自分たちは朝から今まで働き続けたのに、短い時間しか働かなかった人と報酬が同じなのは不公平ですよ。』と文句を言い始めました。

主人はそれに答えて、『あなたがたへの報酬は1デナリの約束ですよ。私は後から来た人たちにも同じだけあげたいのです。私のお金ではありませんか。自分の思うようにするのは当然です。私は契約違反をしているのではありません。』と応えました。」

父:

「わ!三人とも上手に朗読してくれたね。有難う。とっても楽しかったよ。」

母:

「お疲れ様でした。さて、このたとえ話はとても難しいと思うのだけど、意見や感想ありますか?」

勇:

「登場人物が少し曖昧なんだ。ぶどう園の主人はイエスさま、雇われた労働者のうち文句を言ったのは、律法学者やパリサイ人のことをさしているのかどうかがはっきりしないんだよね。感謝して帰ったのは取税人や罪人と言われている人達のことかな?」

愛美:

「19章27節には、ペテロというお弟子さんがイエスさまに『このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか?』とたずねた後に、このたとえ話が続いているわよね。そうすると、そこにいたのは、イエスさまと弟子たちで、イエスさまからお叱りを受けた労働者というのは、今までのように律法学者やパリサイ人ではなく、弟子達のことを意味しているのかもしれないわね。」

父:

「なるほどね。聖書は前後を良く見ることが大切だと言うのはこういう場合があるということなのかな?」

陽子:

「陽子はやっぱりこのお話は不公平だなって思ってしまうの。」

母:

「そうですね。普通に考えると長く働いた人たちが不満な気持ちになるのはよく分かるわよね。それでは、イエスさまのお心をどう捉えたらいいのかしら?」

父:

「一度、このストーリから離れて、イエスさまはどんなお方なのかということを思い出してみようか。」

陽子:

「みんなを愛してくれる神様だから、まさか、『えこひいき』なんかしないと思うけどな〜。」

勇:

「イエスさまは特に弱い人や苦しんでいる人の気持ちをわかってくれる方

だよね。」

愛美:

「ご自分の命を捧げて私達を救って下さる神様の独り子。」

母:

「そうですよね。陽子ちゃんが『えこひいき』なんかしない神様だと言いましたけど、それでも、このストーリーでは『えこひいき』をしているように感じてしまいますね。」

勇:

「夕方の5時ごろに行ってみると、仕事がなくて何もしていない人々がいたので、ぶどう園の主人はその人達にも仕事をあげたよね。このような人々を気の毒だと思ったからこそ、同じお金をあげたんじゃないかな?だとするとイエスさまの愛が伝わってくる気がするね。

陽子:

「お兄ちゃん!すごい。きっとそうだよね。」

愛美:

「私もそうだと思います。そして、イエスさまは弟子たちに、律法学者やパリサイ人のように『自分たちだけが選ばれた人間ではないんだよ。』ということを戒められたんじゃないかと思います。」

父:

「1デナリは一日人が働いていただくだけの賃金だそうだよ。みんなが安心してその日を暮らせるだけのお金だけど、これはたとえで『神様の国、救い』と考えることもできるかもしれないね。イエスさまがくださるのは『永遠の命』だということをいつも思い起こしたいとお父さんは思うね。」

母:

「教会暦では、4月2日から受難週にはいります。金曜日の7日はイエスさまが十字架につけられた日、そして日曜日の9日はイースター(復活祭)です。このたとえ話をなさった頃というのは、これから、エルサレムに登って、十字架につけられるということをイエスさまはご存知だったのですね。弟子たちはまさかそんなことにはなるまいと想像もできなかったでしょうが、イエスさまは、度々これから起こることを弟子たちにお話になりました。そして、目先のことではなく、人生にとって一番大事なことは何かということを弟子たちに伝えておられたのだと思います。まだまだ考えることは多くあるとは思いますが、今日はこのくらいで終わりにしましょう。お父さんにお祈りお願いいたします。」

 

父の祈り:

「天のお父様、今日、私たちは理解するのが難しいたとえ話に挑戦しました。 家族でそのことを考えさせていただきありがとうございます。 あなたの愛と大きなご計画をなかなか知ることはできません。 あなたのお心を知ることができるように私たちに知恵と信仰をお与えてください。そして、それを私たちの生活に生かせるようにお導きください。 イエス様の栄光がこの世に現れますように。 イエスさまの御名によって祈ります。 アーメン。」

 

後奏:「子どもの友は」

 

英語賛美:“What A Beautiful Name

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