令和5年4月9日 家庭礼拝シリーズ(9)「弟子の足を洗ったイエスさま」

家庭礼拝(9)弟子の足を洗ったイエスさま

 

聖書:

ルカ福音書22章14-30節

時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。その子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。

 

日本語での音声録音をお聞きになりたい方は以下をクリックください。

父:

今日はイエスさまが復活されたイースター(復活祭)だね。クリスマスは誰でも知っていてキリスト教信者でなくてもお祝いするけれど、イエスさまが復活されたというイースターはあまり一般的には知られていないかもしれないね。

母:

今日のメッセージは、教会暦から言うと受難日の最後の晩餐のお話になります。とてもいいビデオがあったので紙芝居は次にしましょうね。英語なんだけど下に日本語の翻訳がついています。

愛美:

やっぱり私達は英語のほうがわかりやすいし、同時に日本語もわかるから勉強になるわよね。

勇:

お母さんはいつも日本語と英語でメッセージや賛美を用意しているので大変だよね。

母:

有難う。あなた達はほぼバイリンガルだけど。でも、お母さんには強い味方がいるのよ。日本語は毎回見直してくださるお友達の箱崎さんがいるし、3人のおじさんや、宣教師のAthleeさんが交代でお母さんの英語の校正をしてくれているので本当に助かっているのね。それにお父さんはホームページを管理してくれているのでこれもまた感謝なのです。

陽子:

そうだよね。みんなが助け合うって素敵なことよね。

母:

そうですね。神様がこのような方々を集めてくださって、お母さんを助けてくださっているのが本当に嬉しいことなのですね。それでは、賛美をしてビデオを見ましょう。

 

前奏:

日本語:「愛の主イェスは

英語:”We believe"

 

ビデオ:

 

日本語での音声録音をお聞きになりたい方は以下をクリックください。

 

父:

これは、イエスさまが十字架にかかられる一日前で、弟子たちと最後の食事をした夜だったね。

母:

そうですね。先日の木曜日に私達も聖餐式をチャペルで行いました。

陽子:

うん、パンと葡萄ジュースだったよね。もう少しジュースは飲みたかったな〜。それに、どうしてパンはあんなに小さいの?

勇: 

陽子は本当に食いしん坊なんだから。あれは食事ではないんだよ。イエスさまがご自分の身体を引き裂いてくださったというしるしと、血を流されたことを味わうための儀式なんだからね。

父:

食事の前に座る場所について弟子たちが争っていたよね。どういうことなんどろうか?

勇:

自分がイエスさまのそばに座りたかったんだよね。

陽子:

私だって大好きなイエスさまのそばに座りたいな。

愛美:

だれがイエスさまの一番弟子なのかということで席が決まっていたようね。その争いでしょう?それを知ったイエスさまはとても悲しかったのではないかしら?でも、こういう現象は今でも全世界同じよね。

勇:

それで、イエスさまはお手本を弟子たちに見せようと弟子たちの足を洗われたのかな?イエスさまが奴隷がするようなことをされたので、弟子たちはとても驚いていたよね。ペテロが「そんなことはどうかやめてください」と言っていた。僕だってそういうと思うな。

陽子:

私もそう思うわ。だって、汚い足を洗ってもらうなんてね。でも、小さい子供だったら嬉しいと思うだろうけど。私ももっと小さいときはいつもお母さんが洗ってくれるのが嬉しかったもん。

愛美:

ペテロさんってどういう性格なのかしら?足をイエスさまに洗ってもらわなければ、「私とあなたの関係がなくなるのだよ。」と言われたら、「足だけでなく身体も洗ってください。」なんて言い出すのだからこれもびっくりよね!

父:

ハハハ。そうだね。まあ、純朴といえばそうだけど、おっちょこちょいで、あまり物事を深く考えないで衝動的に行動してしまう性格ともいえるよね。

母:

さて、ここでイエスさまが弟子たちに何を教えようとしているのでしょうか?みんなはどう思いますか?

陽子:

それはスバリ、だれが一番弟子だなんて争わないで、助け合うことが大事ということでしょ?

父:

そうだよね。ズバリだったね。お互いに愛し合いなさいと言っていたね。

勇:

でも、言うのはやさしいけど、行うのは難しいよね?

母:

そうですよね。でも、なぜそれができないのでしょうか?

愛美:

それは「嫉妬」という原因から来ていると私は思います。他の人より優れていると思うと傲慢になるし、負けたと思うと反対に劣等感を持ってしまいがちでしょう?

私も負けず嫌いな性格だから、勉強ならクラスで一番になろうとするんだけどね。それ自体は努力することだから悪いことではないと思うけど、2番や3番になると正直いうととっても悔しい。「あの子に負けた。」と嫉妬したこともあるし。

父:

ハハハ、愛美はお父さんに似ているね。いや〜!子供の頃から、お父さんも常に一番を目指してやってきたからね。でも、クリスチャンになって、人と比較する必要がないんだと知らされてから、とっても心が平安になったんだよ。努力はいつでもしたいとは思っているけど、人との比較ではなく、自分自身がもっと成長をしたいということのほうが強くなったと思う。でも、時々、また昔の性格が顔を出してしまうことも事実かな。

この世界は比較の世界と言っても言いすぎではないね。どんな分野でも成功することや他より秀でていることを求めがちで、「勝ち組、負け組」ということばもある。「追いつけ、追い越せ」の精神で、第二次世界大戦後、日本の経済は発展してより便利な社会を生み出したという結果を見ると、それなりの成果があったと評価はできるけれど、それによって歪(ひずみ)が出てきているのも深刻な現実だよね。自然を破壊して、それが災害の原因になってしまったり、核の脅威に備えないといけないと、それぞれの国がさらにお金をかけて強固な防衛体制をもたなければ自分の国を守れないと考えているけど果たしてそうなのだろうか?

母:

また、お母さんたちの時代では、日本は中流社会だと言われていましたが、今ではますます貧富の差が生じてきていますね。違う民族への迫害や差別などが深刻化しています。「共に生きる」という精神を忘れてしまって、自国の経済のことばかりを考え、イデオロギーの違い、または宗教の違いによる戦争が今までの歴史で何度も繰り返されてきました。こういうことが起きてきたことの根本的な原因はやはり、人間の「罪」ということに発すると思います。

父:

イエスさまは、私達一人ひとりのことを大切な存在として扱っておられると思うね。

この間、山奥に桜を見に行ったんだけど、ほとんど人が入りそうにもないところの桜が輝いていてとても感動したんだよ。たとえ、誰にもみられないところであっても、神様は愛を注がれて祝福してくださっているということが実感としてわかったんだ。そしてそのような桜も決してひがまないで喜んで一生懸命咲いているんだな〜って教えられた気がしたよ。僕たちも人との比較で優劣を判断したり、人を羨んだりすることはやめたいと思うね。相手の喜びが自分の喜びにできたらいいね。

勇:

僕ね、ちょっと疑問があるんだ。イスカリオテのユダは、イエスさまを裏切ったでしょう?イエス様はそれもご存知だったよね。それなのにユダもイエスさまに足を洗ってもらったんだろうか?

父:

ああ、そのことね〜。イエスさまはユダの足をも洗ってあげたんだよ。そのとき、おそらくユダも後ろめたさがあったとお父さんは思うな。そこで、悔い改めて欲しかったけどできなかったんだね。

愛美:

イエスさまはむしろユダは生まれなかったほうが良かったのにと同情をしておられたわよね。ユダは自分のしたことを悔いてお金を返しに行ったけど取り返しがつかなくて、とうとう自殺してしまって本当に惨めだったと思うの。

母:

ユダは確かにイエスさまを裏切りました。とても重い罪だと思います。でも、罪人はユダだけではないのです。第一弟子で長老のペテロでさえも「どんなことがあってもイエス様について行きます。」と誓いましたけど、3度も「イエス様を知らない」と言ったのですね。十字架上でイエスさまは「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と祈られました。ご自分に敵対する人々のことを神様に取りなしをしてくださったのです。これは当時の人々がしたことで、今の私達には無関係だと思うかもしれないですが、そうではありません。今日はイエスさまが復活をされたイースターですね。こころから感謝して過ごしたいと思います。愛美ちゃんお祈りお願いします。

愛美:

はい。お祈りします。すべての人を救うために、この世においでくださったイエスさまに感謝します。私達の罪の身代わりになって十字架にかかってくださったイエスさま、有難うございます。私達もイエスさまが弟子たちにしてくださったように、お互いのことを思いやって、イエスさまの教えを守ることができますようにお導きください。勝利のイエスさまのお名前によって祈ります。アーメン

後奏:

日本語:「ふくいんのきしゃ」

英語:”Remember Me"

 

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