令和4年7月17日 礼拝メッセージ:証集:海外での主のめぐみ ―ブラジル(3):「天国に凱旋した忘れえぬ人々」」

上の写真は Prof. Kikawaが2010年彼の医療保健分野での貢献に関し表彰された時のものです。

 

聖書:

エペソ人への手紙 4章:32節
「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」     

前奏:

 

Dr.Roberto Kikawaのお父様が癌で亡くなったということを前回にお話をしました。私達が2年間、サンパウロに滞在中に出会ったがん末期の患者さんは3人おられました。リベルダージの牧師先生から訪問して欲しいと依頼を受けた方々です。

 

二世の木川さんご夫妻には、一人息子の医学生であるロベルトさんがいらっしゃいました。彼はサンパウロからは遠く離れたロンドリーナ大学の医学部の2回生でした。

 

木川さんの奥様と息子さんは熱心なクリスチャンでしたが、夫である木川さんはどんなに教会に誘っても拒絶をされていたそうです。彼は咽頭癌の末期でその癌は首の皮膚まで浸潤していました。木川さんは病気が発症したことで会社をやめざるを得なくなったため、医療保険もかけることができなくなっていて、ご家族はかなり経済的に窮地に追いやられていて自宅で療養せざるを得なかったのです。息子さんはアルバイトをしながら、時には食事もままならないという情況で苦学をされていたようです。奥様が私達の訪問を望まれたということだったので二人で家に訪問しました。するとご本人はベッドに横たわっておられましたが、終始お布団を頭からかぶったままでお顔も拝見出来ませんでした。奥様から病状をお聞きし、雑談をしたあとで、「お祈りをさせていただいてもよろしいでしょうか?」と奥様にお聞きしましたら、「是非お願いします」ということでしたので、道夫医師が穏やかな祈りの中にも、神様が必ずや木川さんとご家族を守ってくださるということを確信して祈ったあとで私達がアーメンを唱えた時のことです。かすかな声でしたが、木川さんがお布団の中で「アーメン」とはっきりといわれたのを聞くことが出来たのです。驚いて、私達と奥様が目を合わせましたがその日はそのまま帰りました。

 

翌日、奥様からお電話をいただきました。「先生、有難うございました。あれから気分が良いと久しぶりに自分が運転したいと言ってドライブをしたんですよ。道夫先生のお祈りがとても嬉しかったようです。これからも時々訪問お願いできますか?」

それから、2週間に一度の割合で訪問し、少しずつ木川さんとの会話が始まっていきました。

 

話は少し飛びますが、私達が結婚をしようと思った「決めて」というのは、「アフリカに医療宣教に行きたい!」という共通の夢があったからでした。それでWHOに手紙を書いて脳外科を望むアフリカの国を紹介して欲しいと手紙を出していましたが、そのような情報はないとのことで、道夫は自らアフリカの40数か国の医学部長あてに手紙を書きました。

そのうち3カ国から返事がありました。象牙海岸のコートジボワール、ケニアそしてザンビアです。ケニアとコートジボワールはすでに脳外科医がいるとのことで、ザンビア大学の教授からの返事はこのようでした。「私達は脳外科の必要性を非常に感じていますが、あなたに十分なサラリーを差し上げられないのです。月に100ドル程度です。それでも、先生が来てくださると言うなら大歓迎です。あなたを助教授としてお迎えします。」いよいよこの時がきたかと二人は飛び上がって喜びました。しかし、実際に見てこなければ本当の事情はわからないので、夫がアフリカのザンビアにブラジルから視察に行くことになりました。

 

私達は超教派のブラジル語での夜の祈り会に時々出席をしていましたが、いよいよアフリカに渡航するチケットを購入しました。その会に出席をして、祈祷課題はありますかとのアナウンスがありましたので手を上げて道夫が話しました。すると、誰かれともなく次々と祈りの声があがり、私達はその祈りにとても励まされました。いつもの献金が回ってきたので私達もしたのですがなんと、その献金の全額を道夫に渡されたのです。ドル計算で700ドルほどだったと思います。そして、道夫が行って帰るまでの期間中、連鎖して祈る時間を担当するというサインを書き込むようにと紙をも配布してくださったのでした。この祈祷会と賛美の会は、教会、教派を問わない集まりでしたから、私達のことを個人的に知る人はおそらくいなかったはずです。それなのに、義理関係で祈るのでもない、強制されて献金をするのでもない特殊な感謝あふれるグループでした。リべルダージの教会は勿論のこと真剣に祈ってくださり、残る私達をサポートしてくださいました。道夫は南アフリカを経由して、ブラジルにはザンビア大使館はなく、途中ジンバブエによって、ザンビアに渡航するビザを取得してザンビアに入り、そこで5日間滞在をして無事に戻りました。そのときに起こったいろいろな「奇跡的な恵」はまたいつか証をしたいと思います。

 

ところが、道夫がアフリカにでかけている間に事件が起こりました。

ある日の午後、木川さんの奥様から悲痛な声で電話がありました。「恵先生、主人の首の腫瘍から大出血して入院しました。でも、この病院は一旦入ったら生きては帰れないという噂があるところだそうでとても不安です。道夫先生に助けていただきたいんです!」

「これは困った!よりによってこんな時に彼はいない。私に何が出来るだろう?」と思いましたが、脳外科医の山下先生のお顔がすぐに浮かびました。

「木川さん、大丈夫ですよ。道夫は今アフリカに行っているのでいませんが、同僚で信頼できる山下先生に頼んでみますから、しばらく待っていてください。また連絡します。」と言ってすぐに山下先生に連絡を取りました。先生は「診察はしますけれど、そのような状態ではたいしたことはできないと思いますよ。傷を塞ぐ以外はね。」と言われましたが、それでも良いから見て欲しいと頼みました。そして山下先生は木川さんが今入っている病院から退院できるように手続きをしてくださったのです。私は早速、幼い3人の息子たちを日本の友達に預けて私が帰るまで面倒見てくれるようにお願いしました。こういう友達がいてくれるのもブラジルならではのことでとても感謝でした。

 

翌日の朝5時に親戚のタクシーの運転手さんが来て、夫人と医学生のロベルトさんをロンドリーナから急きょ呼び寄せたらしく、私のアパートまできてピックアップしてくださいました。

その病院に到着し、私達が祈る思いで木川さんが病院からでてくるのを待っていると、車椅子で笑みさえも浮かべながら来られた光景を見て嬉しい限りではありましたが、ひどい状態でこられると想像していましたので、緊張がとれてなんだか拍子抜けした感じもしたのですが、とにかく生きてこの病院をでられたことが何よりのことでした。

 

すぐに、山下先生がアルバイトで勤務されている病院に直行しましたが、その車の中で彼は突然頭痛を訴えはじめました。コントロールが出来ないほどの激痛らしく、何が起こったのかと私も慌てましたが、祈る以外手立てはありません。「神様、どうか木川さんのこの頭痛を癒やしてください。あなたは癒やし主です。信じます!どうぞお癒やしください!」と繰り返し祈りました。病院についた頃はどうにか頭痛はおさまっていました。

 

山下先生が来られるまでに少し時間がありましたが、突然、木川さんが声を出して泣き始めたのです。ポルトガル語で息子さんに泣きながら訴えていました。あとから事情をロベルトさんから聞いたところによると木川さんは、生みの母親が彼を出産してまもなく亡くなり、その後、後妻としてきた継母とは折り合いが悪く、他の兄弟と差別をされて育ったとことで深い悲しみがあったということでした。その継母を赦すことができないといつも言っては嘆いていたのですが、急にそのことが思い起こされたのか彼に訴えたのだと説明をしてくれました。しかし、そのことでロベルトさんはお父様に次のように話したそうです。

 

「お父さん、(パパイ)僕たち人間は全員罪人(ペカドール)なんだよ。でも、イエスさまが来られて全部その罪をなかったことにしてくれたんだ。だからお父さんの心を傷つけてきたおばあちゃんのことも赦してあげてほしい。だってね、そうしないと神様もお父さんを祝福してくれないからね。」聖書にはこのような御言葉があります。

「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。」

<マタイによる福音書 6:14-15>

 

そうしているうちに山下先生が来られて、廊下でしたけれど、丁寧に診察してくださり、傷の手当をしてくださいました。先生は診察料はお取りにならないで急いで病室に戻っていかれました。

 

その後、少し落ち着かれてから、「ロベルト、きっと立派な医者になってくれよ。お父さんのように貧乏で治療もまともに受けられない貧しい人のための医者になってほしい。これはお前への遺言だ。」と言われたそうです。彼はその言葉をしっかりと心に刻んで片時も忘れないで、医師となりブラジルの貧民街の人々を助けるために大きなトラックの中に医療器具を入れて巡回するというシステムを作って多くの人々の癌の予防と治療に貢献したことは前回お話をしたとおりです。

 

私達が彼の家についてお茶を呑んで一服すると、木川さんは私に病院で一夜を過ごしたときのことをポツポツと話をしてくれました。

「僕はあれだけの大出血をしたのだからもうこのまま死ぬんだろうなと思いました。病室にいると一人のシスターがやってきたので「シスター、僕はこのまま死ぬんですか?」と聞いたのです。するとそのシスターが「それは誰にもわかりませんね。死ぬかもしれないし、助かるかもしれませんが、どちらにせよ、神様はあなたを決して一人にはなさいませんよ。しっかりとあなたのそばにいて守ってくれますからね。」と言われたそうです。それがなんとも自分の心を平安にさせたと話してくれたのでした。数日後、木川さんの様態が安定したのを見届けて、息子さんは勉学のためにロンドリーナの大学に戻られました。道夫も無事に帰ってきてお互いにその間に起こった話を報告し合って感謝の祈りを捧げました。

 

木川さんはその後、イエス様を受け入れて私達の訪問をとても喜んでくださいました。一つの賛美をいつも口ずさみ、奥様と毎日聖書を開いて御言葉を学ぶようになりました。

1ヶ月後にその地域の牧師先生から洗礼を受けることになり、教会は違いましたが同じホーリネスの群れでしたので、その教会からもご婦人たちが参加され、リベルダージ聖歌隊も洗礼後に特別賛美を披露して喜びを分かち合いました。素晴らしい感動の洗礼式でした。

 

その後、苦しいというエピソードもないまま数ヶ月がたちました。ある日のこと、木川夫人から落ち着いた声でお電話を頂いたのです。「先生、木川は今、天国に旅たちました。私がお買い物に行っていて帰ってきたときに、私のほうに向かって「カッ」と目を見開いたかと思うとそのまま意識がなくなりました。私の帰りを待っていてくれたのですね〜。とても平安に天国に行きました。今まで本当に有難うございました。」と言われて電話をお切りになりました。

ロベルトさんから、後で聞きましたが、おばあさまのことは「赦したよ。」とはっきりと彼に言われたということでした。

 

ブラジルでの滞在は2年におよび、道夫は大学教授に一年間でも日本に戻るようにと言われ、アフリカへの道は宙ぶらりんになってしまいました。私達が日本に帰国するとき、空港にロベルトさんがわざわざお母様とそして同じ医学生の婚約者と一緒に見送りに来てくださっていました。彼は私達に「自分は癌の専門医になります。先生たちもアフリカに行かれるんですね。いつか僕も訪問したいです。お元気で!」とにこやかに話され、固い握手を交わしましたが、それが彼との最後だったとはその時は知るよしもありませんでした。今でもそのときの彼の声が心に響いてきます。(つづく)

 

後奏:

<祈りのリクエスト>
8月1日から1ヶ月のルーマニア行きが迫ってきています。その間に準備をしなければならないことがいくつかありますので祈りのリストを記載します。

1)ご承知のとおり、コロナの第7波がやってきて非常な勢いで感染が広がっています。オミクロンBA-2からBA-5に変わりましたが、以前にもまして感染力が強くなり広がっています。また症状も風邪のようだという軽いものからのどに割れたガラスを飲み込んだような咽頭痛があるという訴えも聞かれます。クラスターも発生していますので十分基本事項を守って警戒しながらさらにワクチン接種が広められたらと思います。医療事情で受けられない方もおられますので特にその方々が守られますようにと祈りましょう。

2)地域自主防災活動の一貫として、串本町防災課が私の念願のリクエストに応えてくださり、「防災士ネットワーク」をたちあげてくださいました。誠に感謝です。20日に打ち合わせをし、26日に13名の防災士があつまる予定です。有意義な時が持てます様にお祈りください。

昨日も串本では大雨警報がでて、土砂災害警報レベル4,洪水警報レベル2が発表されハザードマップでの災害が起こりうる地域の住民の避難指示が出されました。日本各地でも自然災害が起こっていますので十分ご注意ください。

3)小野恵牧師が、一昨日歯の健診をしましたら、口蓋部に腫瘍があるのが見つかりました。肉眼上は小さいけれども念のためにまだ日時はわかりませんが、再来週、新宮医療センターの口腔外科で組織検査と摘出をいたします。出発間際ですのでスムーズに事が運びますようにお祈りお願いいたします。

4)和歌山県の新たなる試みとして、DMAT(国の要請で動く災害専門医療チーム), JMAT(医師会による災害医療チーム)が到着するまでに、災害時に迅速に拠点病院にかけつける「地域災害支援医師」の登録と養成研修があり理論編は終了し、7月中に実地研修があるのですが、まだ日時が決定しません。やることがたくさんありますので、プログラムが重ならないように主が備えてくださるようにとお祈りお願いします。

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