令和5年4月16日 家庭礼拝シリーズ(10)「イエスさまの復活と弟子たちの信仰」

家庭礼拝(10)題:「イエスさまの復活と弟子たちの信仰」

 

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聖書:

 

 母:

先週はイエスキリストが3日目に復活したことを記念するイースターでしたね。今日は、イエスさまが復活されて後のお話です。

父:

みんなはクリスチャンホームに育っているから、イエスさまのなさった奇跡や復活は疑わずにすんなり入っていると思うのだけど、本当のところはどうなのかな?

陽子:

「復活したことを証明してみて」と言われると困るけど、私はそう信じているわ。

勇:

復活というのは肉体の復活ではなく、霊的な復活だと説明を聞いたことがあるけど、ぼくは両方だと思うよ。

愛美:

私も聖書のお話は疑ったことはないわ。でもね、イエスさまが人類の救い主で、罪から解放してくださったことや、その勝利の証として復活されたと思うけど、何故、今もこの世界にはひどいことが起きて解決出来ない問題がたくさんあるのだろうと悲しくなるの。早く天国がこの世界に来てほしいと思います。

父:

そのとおりだね。それでは、賛美をして礼拝を始めようね。

 

前奏:「イエス、あなたの名は

 英語:“It's A Happy Day"

 

紙芝居

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父:

イエス様が復活された夕方、二人の弟子がエルサレムから西へ7マイル 、約11kmほど離れたエマオという町に向かっていました。その一人はクレオパと言う名前でしたが、もう一人の名は聖書にはしるされてはいませんが、12弟子ではなくそれ以外の70人の弟子の一人であったと思われます。弟子たちは、イエス様が十字架にかかって亡くなられたので暗い気持ちで歩いていたのです。

勇:

すると、どこからか一人の男性がこの二人に近づいてきて、「あなた方は、今何を話しているのですか?」とたずねたのです。二人は立ちどまって、「あなたはエルサレムから来られたのではありませんか?それなのに、この都で起ったことをご存じないのですか?ナザレのイエスさまのことです。あの方は、力ある預言者でしたが、 祭司長たちや役人たちが十字架につけたのです。 わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと望みをかけていました。数人の女姓たちが、朝早く墓に行きますと御使が現れて、「イエスさまは生きておられる」と告げたというので、 仲間が数人墓に行って探したのですが、どこにもイエスさまのお姿はなかったのです。もう私達は何を信じたら良いのか混乱しています。

父:

その男性は「ああ、なんと愚かな人たちだろうか。預言者たちが予言していたすべての事を信じられないのですね。キリストは必ず苦難を受けてその栄光に入るといっていたではないですか! 」と言って、旧約聖書にかかれているモーセやすべての預言者がキリストについて書いていることを説明したのです。

陽子:

エマオに近づいた時、その男性はなお先へ行かれる様子でした。 そこで、二人は引き止めて、「もう夕暮になりましたから、わたしたちと一緒にお泊まり下さいませんか?」とお誘いをしたのです。男性は、彼らと共に家にはいり食卓につかれました。その時、パンを取り祝福してさき、彼らに渡したのです。すると、その瞬間、二人の弟子たちの目がひらかれて、この男性こそがイエスさまであることがわかったのです。すると、イエスさまの姿が見えなくなりました。

陽子:

二人は、「歩きながら、あの男性がお話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、私達の心がとても熱くなったよね。すぐにエルサレムに戻ってみんなに知らせよう! 」と言って、エルサレムに戻ったのでした。

父:

ふたりは、弟子たちのいるところに行って、エマオの途中であった男性が話されたことやパンをさいたことでイエスさまだとわかったことなどを話したのです。

こう話していると、イエスさまが弟子たちの中に現れたのです。弟子たちは恐れ驚いて幽霊を見ているのだと思ったのです。 そこでイエスさまは、「なぜそんなに怖がるのか?どうして心に疑いをおこすのか。 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおりわたしにはあるのだよ。」彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、

イエスさまが「ここに何か食べものがあるか」と言われたので、焼魚の一きれをさしあげるとみんなの前で食べられたのです。

そして「私の名によって語られる福音は、エルサレムからはじまって、すべての国民に宣べ伝えられようになります。あなたがたは、これらを証する人なのです。」と言われました。

 

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母:

お話の筋がよくわかりましたね。ところで、弟子たちはイエス様から何度も復活のお話を聞いていたのですが、本当に信じていたのでしょうか?

陽子:

弟子たちは、イエスさまがまさか十字架で死なれるとは絶対思いたくなかったので、いくら言われても信じようとはしなかったのよね。

勇:

それに弟子たちは、自分たちもつかまるんじゃないかという怖さのために、ヨハネ以外は逃げてしまっていたでしょう?だから、イエスさまが復活するとは信じていなかったと思うよ。

愛美:

婦人たちが復活のイエスさまに出会ったにも関わらず、弟子たちは信じようともしないで否定したよね。男の人は女の人より肝っ玉が小さいのかしら?

全員:

爆笑

父:

ハハハ。男性としては、面目ないね。しっかりと信じていこうな〜、勇。

勇:

ああ。

母:

勇君が「復活は霊的なことであって、肉体が復活したんじゃない」ということをどこかで聞いたといっていましたが、復活は肉体も霊も両方だったと信じると言っていましたね。それはどういう理由なのかしら?

勇:

霊ってまだ僕ははっきりとわかっていないけど、イエスさまが現れた時に幽霊だと弟子たちは思って怖がったよね。おなじようなことが嵐の時に起こったの覚えている?イエスさまが水の上を歩いてこられたときに、弟子たちは、イエスさまのことを幽霊だと思って怖がったけど、それがイエスさまだということがわかったでしょう?弟子たちは、復活についても同じ間違いをしているんだと思う。そこで、イエスさまは、魚を食べて見せて、また、別の聖書のところには(ヨハネによる福音書20章24-29)復活を信じないトマスに釘で打ちぬかれた両手を見せて「指で触りなさい」といったからトマスは信じたよね。そういう記事を見たから僕は信じようと思ったんだ。ただ、当時は、弟子たちにわかるように肉体でも現れたけれど、その後は肉体で現れないのは何故なのかという疑問はまだ残るんだけど。

母:

なるほどね。この質問は次回に続くお話と関連があるので、宿題にしておきましょうか?

父:

そうだね。私達は科学的に証明をして、初めて「本物」だということがわかると、納得ができるけど、目で見て、触って、味わってということだけの世界に生きているわけではないよね。一つの例をとると、「自分が愛されている」というのはどうやって証明できるかと言われたら、なかなか簡単に説明出来ないよね。お父さんは、愛されていると信じるしかないと思うんだよね。また、小説などは現実にありえないことを書いていても、その中で作者が言おうとしているのは「真実」なことだから読者は感動するんだろう?弟子たちも以前イエスさまが5000人にパンを与えてくださったり、不治の病の人々を癒やしたり、最後の奇跡として知られているラザロを生き返らせたりして、どんなに神様しかできないことを見せられていても、十字架で死なれた時は絶望のあまり信じる力がなくなっていたからね。

愛美:

エマオに行っていた二人の話の中で、気になったところがあったわ。ルカの19節には、弟子の一人が男性にイエスさまのことを説明している箇所で、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でした」というところね。「預言者でした。」というのは、一人の預言者に過ぎなかったという結論で、メシアだとはっきりと告白していないから、復活なんてとうてい信じられないと思うのね。結局、イエスさまが、この世に来られた理由の一部しか信じていないか、それとも民衆と同じようにイスラエルをローマ帝国から救うヒーロの存在だったかもね。

母:

なるほど、今日はキリスト教にとって、とても大事な話し合いになったと思います。また、来週も続いて学んでいきたいと思います。お父さん、お祈りお願いできますか?

父:

はい、祈りましょう。復活をして勝利してくださったイエスさまに限りなく栄光がありますように!ゲッセマネの園で、イエスさまは「父よ、あなたにはすべてのことがおできになります。この杯をわたしから取り除いてください。それでも、わたしの望むことではなく、あなたの望まれることを」と祈られたほどに苦しい十字架への時を過ごされました。すべては私達の救いの為でした。有難うございます。そして死の意味を伝えるだけではなく、死に勝利をしたイエスさまを私達は救い主と信じています。まだまだ足りない信仰です。どうか聖霊のお導きをいただいて、神様のお心と愛をもっと知ることができますようにお助けください。主の御名によって感謝してお祈りします。アーメン。

 

後奏:日本語:「主は栄光

英語: "Because He Lives I Can Face Tomorrow"

 

 

 

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