令和5年5月14日 からし種チャペル(臨時礼拝):「母の日を迎えて」

からし種チャペル 臨時礼拝 題:「母の日を迎えて」

 

聖書: 

イザヤ書 49:15

「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようともわたしがあなたを忘れることは決してない。」

 

前奏:「My Mother’s Prayer

 

メッセージ:

 

アメリカのウエストヴァージニア州出身のアンナ・ジャービスと言う女性に関連した記事があります。

牧師と結婚した母アンがアンナを授かる前後にはアメリカは南北戦争だったのです。この時、アンは女性で結成していた「母の日ワーククラブ」という団体を率いて、敵味方関係なく戦争で負傷した兵士の手当てや看護を積極的に行いました。

戦後も彼女は「母の友情の日」として、まだ火種がくずぶっていた南北の敵同士を結び付けるための平和活動を行いました。彼女の活動は多くの人々に感銘を与え、アメリカの平和に貢献しました。アン自身も10人与えられた子どもの8人を戦争や病気で失っていたのです。

 

アンの死後、このように母が活動をすることが出来たのは、神様のくすしきお導きだったことを感謝し、また、母への敬意を表すとともに追悼の意を込めて集会を開きました。その時、母が好きだった白いカーネーションを参加者に配ったのが「母の日」の始まりだと言われています。

 

私の母は天国にいます。毎年この日が来ると、「さぞ、天国では盛大にお祝いをしていただいているのでしょうね。」と想像しています。天国に一歩一歩と近づく年齢になった私は、大事にしてもらった祖父母、両親のことが懐かしく、会いたいと思う気持ちが強くなってきました。みなさんはいかがでしょうか?もし、ご両親様がまだご存命でいらしゃる方々はどうぞ、この機会にお訪ねしたり、お手紙を送られたり、または、お電話で感謝を表していただきたいと思います。

 

戦争、地震や災害、病気などで家族を失った方々のことを思い起こしますと、胸が痛くなりますね。今、生かされていることを共に感謝いたしましょう。

 

母の日を祝うのは何もキリスト教だけではなく、全世界の人々がお祝いをします。違いがあるとするならば、両親への感謝を通して神様に感謝をすることだと思います。

 

私の母は幼い時によく語ってくれた話がありました。アメリカ合衆国の第16代大統領アブラハム・リンカーンの母親のことです。リンカーンの母親は、彼が9歳の時に亡くなりました。しかし、彼女は、常に息子を膝にのせて、聖書を読み聞かせ、賛美歌を歌い、そして彼のために、毎日お祈りをしていたそうです。

 

リンカーンは、大統領になる前、16年間弁護士として働きました。その間も、彼の心の中には常に母親の言葉、「いつも正直でいなさい。」という言葉があったそうです。彼が、とても正直で、誠実な弁護士であるという評判は、弁護士たちの間でも有名であり、時には法廷で争う相手側の弁護士であっても、リンカーンのその人柄を認めていたそうです。

 

アメリカ合衆国、大統領になった後、リンカーンは、このように言いました。「私は、母が私のために祈ってくれた祈りを今でも覚えています。母が声に出して祈ってくれた祈りは、私のこれまでの毎日の日々を守り、そして私の人生を導いてくれました。今、私がこのようにあるのは、全て母の祈りのおかげなのです。」リンカーンは9年間というあまりにも短い母との時間でしたが、母の信仰が息子アブラハムの人生を守り導いたということです。

 

私も祖母や母にいつも祈られて来ました。今は天国から応援してくれていると思います。共に母の日をお祝いし、感謝であふれる一日を過ごしたいものですね。

 

後奏:「은혜(Grace)


 

 

 

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