令和5年4月2日 家庭礼拝シリーズ(8)「受難週を迎えて 棕櫚(しゅろ)の日」

上の写真は、今日のお話に登場するエルサレムです。

 

家庭礼拝(8)題:「受難週を迎えて 棕櫚(しゅろ)の日」

 

聖書:

マタイによる福音書 21:1ー11
さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。 すなわち、「シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる、柔和なおかたで、ろばに乗って、くびきを負うろばの子に乗って」。弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。 そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。イエスがエルサレムにはいって行かれたとき、町中がこぞって騒ぎ立ち、「これは、いったい、どなただろう」と言った。そこで群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」と言った。

 

前奏:「ホサナ主の御名を

英語: “Praise The Lord Almighty

 

音声録音でお聞きになりたい方は以下よりどうぞ。

父:

「今回は君たちがこのお話の紙芝居を手伝ってくれたね。有難う。」

陽子:

「うん、陽子は夏休みまで待てなかったもんね。楽しかった。」

母:

「みんなで作るというのは色々な意見の違いが出てくるので、時間もかかって簡単ではなかったと思うけど、これがまた大事なことなのでしょうね。」

父:

「一番大変だったことは何だったのかな?」

勇:

「受難週はこの棕櫚の日から毎日のように出来事があって、次の日曜日はイースターになるからどのストーリーを決めるのかが一番悩んだよね。」

愛美:

「そうなの。でも、結論として、やっぱり一つ一つの出来事に大きな意味があるので、急がずに、じっくりとやっていこうということになったわよね。」

母:

「そうでしたね。ご苦労様でした。」

父:

「では、さっそく始めましょう。」

 

紙芝居とナレーション:

 

音声録音でお聞きになりたい方は以下よりどうぞ。

父:

過越の祭は、イスラエル人が奴隷の身分から解放されて、エジプトを脱出したことを祝うユダヤ教の大事な祭日でした。多くの人々はその日をお祝いするためにエルサレムに上っていました。イエスさまと弟子たちもエルサレムの近くの村にやってきたのです。

勇:

イエスさまは、二人の弟子たちに「村に行って主が必要なのでロバを貸してください。すぐにお返しに来ますからといえば必ず貸してくださるから。」と言われたので、二人はでかけていき、言われたとおりにしました。すると、ロバの持ち主はすぐにロバを貸してくださったのです。イエスさまはそのロバに乗ってエルサレムに入城しました。

陽子:

多くの人が自分の服を道に敷いたり、棕櫚の葉を敷いたりして、「ホサナ。主の名によってこられる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ!」と叫び熱狂しました。

愛美:

ところが、それを嫌う人々もいたのです。律法学者やパリサイ人でした。人々がイエスさまをメシアだと信じて喜び叫んでいたからです。そしてイエスさまに「この人たちを黙らせてください。」と文句を言ったのです。それに対してイエスさまは「私には彼らを静めさせることはできません。もし、仮に彼らが静かになったとしても、今度は石が叫ぶでしょう。」と答えました。

 

母:

「とってもよくできましたね。ありがとう。さて、ここでお母さんから質問です。なぜイエスさまは、馬ではなくロバに乗ったのでしょうね?」

勇:

「僕だったら、馬のほうが勇ましくていいなと思うけど。それに、ロバは弱々しいし、なんとなくみすぼらしい感じするからね。でも、馬に乗ってさっそうと入城すると、ローマの軍隊に目をつけられるかもしれないと警戒したのかもしれないな。」

陽子:

「イエスさまはヒーロだけど、いつも偉ぶらないのでロバにしたんじゃない?」

愛美:

「これには大きな意味があると思います。戦いで勝利をした王様は馬に乗って凱旋してその力をみんなに見せるけど、イエスさまは力による勝利ではなく、むしろ平和の王様として来られたからだと思うの。」

父:

「なるほどね。三人ともそれぞれ説得力があるね。」

母:

「ところで、ホサナという意味はわかりますか?」

陽子:

「ほめたたえよ!という意味でしょう?」

父:

「そのとおりだね。ホサナはヘブライ語で「主よ!どうぞ救ってください!」という意味だけど、陽子が言ったように今は、主をほめたたえよ。ハレルヤ!ということだね。」

母:

「こんなに民衆たちがイエスさまを救い主と信じて喜んでいたのに、一週間もしないうちにどうして『イエスさまを十字架につけろ!』ということになってしまったのかしら?」

勇:

「みんなはローマ帝国に支配されていてとても苦しんでいたからイエスさまが解決してくれると思ったけど、そうじゃなかったから期待はずれだったのじゃないかな?」

愛美:

「直接的にはそうだったかもしれないけど、これは神様がご計画されていたのでは?だって、イエスさまが十字架にかけられると言うのはすでに旧約聖書にも予言されていたということを聞いたことがあるもの。」

母:

「そうですね。イザヤ書53章にそのことが予言されていますね。」

 

 

父:

「このようなイエスさまへの裏切りというのは当時の人々だけの罪として考えるものなのかな?僕たちは、どうなんだろうね?」

陽子:

「私はイエスさまを裏切るなんて考えたくもないけど、それでも、イエスさまが『こうしなさい』と言うことを守れないから同じことなのかな。」

勇:

「陽子、泣くなよ。僕まで悲しくなるじゃないか。」

父:

「ちょっと質問が子供には厳しすぎたかな?すまなかったね、陽子。」

母:

「厳しいことですけど、民衆の姿は私たちも同じなんですね。私たちはホサナ、ハレルヤと賛美を献げます。問題がおこれば、神様に助けてくださいと祈ります。ところが、神様からの答がすぐにこないと、「どうしてですか!」と不満や疑いが出てきて失望をすることがよくあります。当時の民衆と同じですね。イエス様を最後まで信頼できないからです。でも、イエスさまはそのような弱い私達のためにこの世に生まれて、天国はこのようなものですよと語られ、人々に愛と慈しみを与えてこられました。そしてついに十字架につかれたのです。棕櫚の日を迎えて私達は改めてイエスさまのお姿をみつめたいと思います。勇君、お祈りお願いしてもいいですか?」

 

勇:

「はい、お祈りします。天のお父様、イエスさまを私達に送ってくださってありがとうございます。今日は棕櫚の日の礼拝をしました。イエスさまを最後まで信じきれないことがある僕たちです。どうか赦してください。でも、イエスさまがしてくださったことを思いだしてお従いしたいです。助けてください。イエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン」

 

 

後奏:『主にしたがうことは」

英語:“My God Is So Big” 

教会の受難週カレンダー:

受難週     4月2日(日)~4月8日(土)

  棕梠の主日   4月2日(日)

  洗足木曜日   4月6日(木)

      チャペルにて聖餐式を行います。

  受難日     4月7日(金)

  復活日(イースター)4月9日(日)

 

 

ご報告

先週の月曜日に那智勝浦町の太田地区において講演会がありましたのでその時のご報告です。お祈り心から感謝です。会場は太田小学校の体育館を地域の方々のために開放していただきました。上地校長先生、平瀬教頭先生ありがとうございました。

800世帯の太田地区で80名の方々がお集まりくださいました。皆さんが協力して全世帯にチラシを配布していただきました。

那智勝浦町長の堀氏、那智勝浦老人クラブ連合会長の峰氏、中里区長・NPO太田の郷会長の大江氏に来賓としておいでいただきました。この度の講演会を企画、主催された太田地区老人クラブ連合会の石橋会長です。

 

 

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