令和5年3月19日 家庭礼拝シリーズ(6)「良い羊飼い」

家庭礼拝(6)題:「良い羊飼い」

 

聖書:

ヨハネによる福音書10:11

「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」

 

音声でお聞きになりたい方は以下からどうぞ。

 

父:

「今日は100匹の羊のたとえ話だよね。」

陽子:

「迷い子の子羊ね。この間、私も買い物に行った時、迷子になっちゃったわよね。」

母:

「あの時はびっくりしたわね〜。大きなショッピングモールだったから探しようがなくて係員の人にお願いして呼び出していただいたわよね。」

勇:

「陽子はいつもキョロキョロして、自分が好きなところに飛んでいっちゃうんだから。ちゃんとついてこなくちゃいけないだろう?」

愛美:

「これからは腰に紐をつけておこうかな?」

陽子:

「いやだ! そんなの!」

父:

「冗談はそこまでにして、早速始めようね。」

全員:

「はーい!」

 

前奏:

 

ビデオ:

 

音声でお聞きになりたい方は以下からどうぞ。

愛美:

「今日のビデオは短かったわね。聖書にはもっと詳しく書いてあったんじゃない?」

父:

「そうだね。この物語は、マタイによる福音書の18章10-14とルカによる福音書の15章の1-7に詳しく書いてあるから読んでおこうね。」

母:

「また、登場人物を考えてみましょうね。」

陽子:

「羊飼いのおじさんはイエスさま、羊は私達でしょ?」

勇:

「そうだよね。でも迷った1匹の羊と99匹の羊は区別しないといけないよね。1匹は取税人や罪人といわれている人たちで、99匹というのは律法学者やパリサイ人のことでしょう?」

父:

「ほう!何度もたとえ話を聞いているから、勇はよくわかっていてバッチリだね。」

勇:

「イヤー、それほどでも。でもね、イエスさまの表現でわからないところがあるんだよ。ルカの福音書の15章の7節にはね、『悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。』という部分なんだ。つまり、99匹の羊は律法学者やパリサイ人のことをさしているのだけど、彼らは悔い改めなくてもいいの?そんなことないよね?」

母:

「勇君、いい質問ですね。どう思いますか?」

愛美:

「それは、イエスさまがそう思っているというのではなく、律法学者とパリサイ人が自分たちは律法をきちんと守っているから他の人達とは違って、悔い改める必要がない人間だと思っているのよね。イエスさまはそのことを見抜いておられるので、嫌味として言っておられるのじゃないかしら?」

父:

「ハハハ。嫌味という意味にもとれるね。難しい言葉を使うなら、逆説とか風刺しているというのかな?」

陽子:

「質問あります。1匹を探してくれる牧者のおじさんはとっても優しいし、勇気があると思うの。でも、あと野原に残された99匹はどうなるのかなとちょっと心配なんだけど。」

父:

「そうだよね。そのことも少し考えてみようか。」

勇:

「野原だろうと柵がちゃんとあったと思うよ。だって、99匹の命も守らないといけないんだからね。1匹の命を大切にしているイエスさまが、あとの羊の安全をちゃんと考えていないわけないよね。」

愛美:

「私も勇の言うことに賛成です。イエスさまは良い羊飼いなんだものね。」

母:

「そうですね。では、もし、私達が羊飼いだったらどうしますか?」

陽子:

「私はすぐに探しに行きます。だって、私だってすぐにみんなに探してもらったんだから。あの時、こわかったのと嬉しさで泣いちゃったもんね。」

勇:

「僕はどうかな〜。探すには暗すぎて、1人では怖いので、村人に助けを求めに行くと思うな。」

愛美:

「私は状況によるわね。もちろん、探したいけど、自分も迷子になっちゃったらよけいに困ることになるし、みんなに迷惑をかけることにもなるでしょう?もしかしたら、嵐なんかになったら、その日は諦めて次の日にでかけるかもしれない。」

父:

「三人とも自分だったらどうするかなとよく考えてくれたね。テーマとしては関係ないのだけど、話がでたのでチャンスだから話しておくね。勇や愛美が言ったことは防災でもとても大事なことなんだよね。ボランティアが無計画に助けに行って、自分自身が被災者になってしまってはいけないという鉄則があるんだ。確かに助けようとして犠牲になった人たちのことを思うと、とても心が痛むんだけど、まずは、自分自身を守るためにそれぞれが避難するということを頭に入れておこうね。」

愛美:

「これも横道の話なんだけど、1:99ということでね、多数決をして、多い意見が正しいという風に言われる場合があると思うのよね。一人の意見はなかなか尊重されないということなの。それになんでも同じにするというのが一番良いとは限らないことだってあると思うし。」

父:

「わ!愛美は評論家のような話をするんだね。何かそういうことで困ったことが学校であったのかい?」

愛美:

「いじめなんかそうじゃないかと思うの。私達は海外帰国子女ということで、日本語の会話は大丈夫だけど、漢字や書き言葉に苦労して、みんなになかなかついていけないこともあるのね。それに私はお母さんのようにはっきりと意見を言うもんだから、自分ではいい提案だなと思って発表すると嫌がられる事が多いのよ。女のくせに生意気だとか、変わった意見だとか、我儘だとかね。それから、今までしたことがないから、しないとかいうのもおかしいと思うのね。新しいことでも良いことはどんどんやっていけばいいのに。」

母:

「あらら、愛美ちゃんには、お母さんと同じ苦労をさせてしまっているのね。そうですね、特に日本はディベートと言って、あえて異なる立場に分かれて議論をすることが苦手ですね。問題の焦点からそれたことで本来の意見交換がなかなかできないという傾向があります。アメリカや韓国では小学校からディベートをする教育があります。感情的になって、ケンカにならないように、訓練をさせられます。相手の言ったことをよく聞いて、それに対して反対意見を言って、お互いに論破する面白さがありますね。今後、是非とも日本でも小さい時からこういうことが学べると良いと思いますね。」

父:

「今日はメインのイエスさまは良い羊飼いで、羊のために命を捧げるというお話はそれほど話題にはでませんでしたが、こういうたとえ話のシリーズを集中して考えていくと、イエスさまのぶれないお心を知る上でとても良いと思うし、また誤解などにも気付けることができると思うんだね。どれほどイエスさまが命をかけて私達を昔も今も愛してくださっているのかを是非とも忘れないようにしましょう。」

母:

「今回は陽子ちゃん、お祈りお願いできますか?」

お祈り、陽子:

「はい、お祈りします。イエスさま、有難うございます。迷子の羊と同じ気持ちで今日のお話を聞きました。イエスさまは私達をどこまでも探してくださって、最高に喜んでくださることを教えていただきました。これからもよろしくおねがいします。イエスさまのお名前によってアーメン!」

 

後奏:

 

<お知らせ>

3月27日(月)には、那智勝浦町の太田区で、道夫医師が「健康寿命を伸ばす方法」という題で講演をします。特に高齢者が多い地区ということです。800枚のチラシを作り、現地のみなさんが手分けをしてほぼ全世帯に配布されたとのことです。実り多いときが持たれますようにお祈りください。

 

 

 

 

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