「からし種チャペル」の歴史

「からし種チャペル」の歴史

からし種チャペルの歴史

 

「からし種チャペル」の歴史をお伝えしたいと思います。

 

夫の道夫と私が和歌山県の紀南エリアに引っ越した11年前にこの教会を始めました。

当時、私たちは二人共古座川町で医師として、高瀬会で夫は外来、私は老健を担当していました。ですから、通常の教会牧師のように、信者さんのお世話をする時間はありませんでしたので、3週は自分たちの家で礼拝を守り、月に1度は、私の母教会であった紀南教会での礼拝に参加していました。仕事を辞任すれば教会を始めたいと思っていました。

 

しかし、2年後、私は肺高血圧症と言う難病で心不全で意識をなくし、ヘリコプターで大阪の国立循環器研究医療センターに搬送され、難病、肺動脈性肺高血圧症と診断されたのでした。

(チャペルのウェブサイトにこの話についての私の証を参照してください。)

5ヶ月の入院を経て自宅に戻りましたが、私はほぼ2年間寝たきりでした。

夫は塩分の少ない食べ物を毎日作ってくれました。 当時私は60歳で、介護保険サービスの対象ではなかったため、彼はフルタイムの仕事をしながらも私の面倒を見てくれました。お手伝いをしてくださる方を探してもらったのですが、適当な方はいなく、へルパーさんを雇えば月に40万円ほどかかるということでした。

私は一人で立つことすらできませんでした。 近所の方々は、この2年間は私の姿を見た人は一人もいませんでした。

しかし、このような状態の中でも、神様の惠はつきることなく私達に注がれていました。そうして、本当に少しづつでしたが一人で庭を歩けるようになるまで回復していきました。

 

3年後、串本で週に1回太極拳を練習することができるようになり昨年は黒帯になり指導員の資格を得ることができました。 来年は、準師範の資格を取得するために試験を受ける予定です。

4年前、私たちの生涯で初めて串本に自分たちの家を建てました。 そして同時にそこでチャペルを始め教会の活動を始めました。 (ホームページの活動をご参照ください。)

 

私はまた、ほぼ4年間、近所の子供たちと数人の婦人たちに英会話クラスを教えてきました。私の目的は、基礎的な会話と同時に聖書の物語のセットを使ってイエスさまの福音を彼らに知ってもらいたかったのです。その物語セットとは、私が北海道に住んでいるアメリカの宣教師夫妻、マークとアスリーボーマンさんから頂いた貴重な贈り物でした。私は以前からこれが欲しかったのですが、適当なものを見つけることができなかったのです。その時の感謝と感動を今でもありありと覚えています。

 

ボーマンズさんたちは30年間、日本の教会や地域社会の中で奉仕をされ、最近、引退されてアラスカに引っ越しをされました。彼らが札幌で奉仕している間、私たちを招待してくださり、彼らのカフェ教会(Café COENのバイブルコミュニティチャーチ)で認知症講演と私たちの証をする機会を与えてくださったのです。これが私達夫婦にとって日本で初めての認知症セミナーになったのでした。それ以来、私たちは認知症に関するセミナーを20か所でさせていただきました。海外で16か所、日本の教会で4か所、そして地域社会では3か所です。

2020年の3月には大和カルバリーチャペル、7月にはウェスレアンホーリネスの淀橋教会で認知症セミナーを開催する予定でしたが、Covid-19のために延期せざるをえませんでした。

 

「からし種チャペル」へのお招き
からし種チャペルには現在メンバーはいませんが、私たちの住む地域社会と世界に向かって大きく戸を開いています。

またこの教会はいかなるグループまたは組織には所属していない独立した教会です。

私たちの活動への参加をご希望の場合は、メンバーシップや献金は一切必要ありません。

また、現在所属しておられる教会から移る必要も全くありません。

自由な気持ちで私たちの活動やプログラムに参加していただきたいと思っています。

ホームページにも時々アクセスしてくだされば大変うれしいです。

私たちの教会の目標は、イエスさまとご一緒に、お互いが人として成長し続けることであり、共に交わりを楽しむことにあるのです。