ヨハネによる福音書9:1-3
1.またイエスは道の途中で生まれつきの盲人を見られた。
2.弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
3.イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
私がチャプレンになるまで
今度は、ヨハネによる福音書の聖句にまつわる現代の実話です。
アフリカ宣教を終えて、私達家族は、アメリカのミネソタ州、セントポールに2年間滞在しました。それはかねてから神学校で学びたいと思っていた夫と私に不思議なお導きでその夢が実現したのです。
学びの中に(老人ホームや病院での牧師:チャプレンといいます)その研修がありました。
私は3ヶ月の集中コース(アメリカのチャプレンの資格を得るためのものですが)をメイヨークリニックという大きな病院で訓練を受けることにしました。ここが、その病院の一つ、St Marys Hospital です。
はじめての日
初めての当直でした。
さすがに緊張して一睡もできず、不安で一杯でした
すると、突然、深夜にコールがありました。
(来た!)
幸いにも第一日目でしたので、専属チャプレンで、カトリックのシスターが一緒に行ってくださり、私は隠れるようにして彼女の後ろからついていきました。
すると、青白い顔をして、体全体をブルブル震わせながら、車椅子の男性が泣いておられました。
聞いてみると、ペンキを塗り替えるために二階で仕事をしていたそうです。その時に誤って落ちて、頚椎を損傷し、下半身麻痺になったと話してくれました。
こうなったのは私の罪のせいでしょうか?
彼の訴えは
「妻は熱心なクリスチャンで私にも教会に行こうと何度も誘いましたけど行きませんでした。だからこうなったのは私の罪のせいでしょうか?」
シスターは彼の手をやさしく握り
「そんなことは決してありませんよ。神様は罰を与えるようなお方ではありません。」
と彼のために平安が来るようと祈っておられました。
このことがきっかけになって、私は毎日この患者さんを訪問することになったのです。
口数の少ない方でしたが、ありありとその苦しみは日増しに深まっていくようでした。
患者の父の話
ある日、彼のご両親と兄弟が面会に来られました。すると、お父様が突然泣きはじめて
「チャプレンさん、私は長い間アル中なのです。どうしてもやめられないのです。息子がこうなったのは私のせいなのでしょうか?」
お母様も泣いておられました。予想外の状況で私もどのように対応すればいいのか焦りました。心の中で
「イエス様、今あなたのお言葉をください!」
「神様は愛のお方です。息子さんが教会に行かないからだとか、お父様がお酒のことで神様がこのような事故を起こしたのでは決してありません。それだけは信じましょう。何故このような悲しいことが起きたのか私にもわかりません。でも、神様は必ずこの悲しみから希望を与えてくださるに違いありません。ご一緒に信じましょう。祈り続けましょう。」
そして、このヨハネによる福音書をお読みしました。
最後のイエス様が言われた3節のみことばを声を出して読んでいただけますか?
イエスは答えられた。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」
感謝の祈り
ふと、星野富弘さんのことを思い出し、彼の書いた絵葉書を日本から取り寄せました。皆様はよくご存知ですね。
彼は体育の時間に鉄棒で宙返りの模範演技をしたところ失敗して頸髄を損傷し、首から下の運動機能をまったく失うという事故にあわれました。
其の苦しみからイエス様に向うまでの葛藤や信仰を得て、口に筆をくわえ絵と詩を描いて、人々に大きな感動を与えているというお話をしました。
ご自分より、はるかに重症である星野さんの境遇をしって、とても励まされたようでした。
しばらくたって、又ご家族がいらした時に、全員で手をつないで祈ったのですが、今まで硬く口を閉ざしていた彼が、感謝の祈りをはじめたではありませんか!
鳥肌が立つほど感動しました!
ご家族も泣いておられました。でもその涙はもはや悲しみの涙ではありませんでした。2ヶ月後、笑みを一杯にして、ご家族とともに彼は退院していきました。
チャプレンの経験から
イエス様の愛を信じて、率直に助けを求める時、私達の弱さや悲しみ、不安は必ず癒やされていくものだと信じます。
2つの例話をお話しましたがイエスさまというお方は、実に私達の痛みを知って共感してくださる神さまですね。
すぐに祈った結果が見えないことがあっても、決してわたしたちのことを傍観しておられる方ではありません!愛のまなざしで私達を見守ってくださり、さらにご計画の中で共に生きてくださるお方であるという事をお伝え出来ましたなら幸いです。
私達も自分自身の信仰や状況を見つめて動揺、失望するのではなく、イエス様の愛と信仰に信頼して、みんなで助け合しながら、祈りつつ進んで参りましょう!