2021年6月 20日 説教 「神様は律法がお好き?」

礼拝メッセージ「神様は律法がお好き?」前編

聖書:ヨナ書全書1−4章 (略)

 

律法と言えば、クリスチャンはまず旧約聖書にでてくる十戒を真っ先に想像すると思います。

 

出エジプト記20章1-17を要約すると、次のようになります。

「私たちはほかの何者をも神としてはならず、刻んだ像をつくってはならず、主の名をみだりに唱えてはならず、安息日を覚えて聖とする。また、私たちは自分の父と母を敬い、殺してはならず、姦淫をしてはならず、盗んではならず、隣人について偽証してはならず、隣人の家をむさぼってはならない。」

 

ところで、イエス様はなんと仰ったのでしょうか?

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。」これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。「隣人を自分のように愛しなさい」          <マタイによる福音書22:37-40>

 

すなわち、神様の律法は掟というよりは、愛であると教えておられると私は考えます。

突然ですが、ヨナの話を思い出します。子供の頃に聞いたお話は、日曜学校に行っていた人は覚えていらっしゃいますね?

お子さんのためにこのサイトを載せておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=La7xjIIqrsk&ab_channel=

 

また、大人のための聖書の学びにこれをご紹介します。少し伝統的な解釈とは違うかもしれませんが、見てください。

https://www.youtube.com/watch?v=2tCtjMCFdx0&ab_channel=%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88BibleProject-Japanese

 

今日は、皆さんで次のテーマで意見を出し合ってみてほしいと思います。

  • 神様に敵対する当時の王政権とアッシリアの首都であったニネベの町を滅ぼす事を計画してヨナを送ったはずの神様はなぜニネベの町を赦し、滅ぼさなかったのでしょうか?神様は計画を変更することがあるのですか?
  • あなたがヨナだとしたら神様の命令に対してどう行動をしたでしょうか?
  • イエス様のお心を考えると、あなたはどのようにこの物語を解釈しますか?
  • 今の時代にあって、あなたにとって異邦人とは誰のことだと思いますか?

 

次の機会に私が総合的にこのヨナ書についてのメッセージをお届けしたいと思います。

注)礼拝では、討論をしてのち、そのメッセージをお話いたしました。

 

礼拝メッセージ:「神様は律法がお好き?」 後編

聖書:ヨナ書1−4章

 

まず、ヨナという人物についてお話をしたいと思います。彼はバビロン捕囚の前の預言者でした。ヨナは約40年間預言者として活躍しました。(BC793-753

ヨナという名前は「鳩」という意味です。出身は、ガテへフェル(ガリラヤ地方の北の中央)ゼブルン族が住んでいたところです。

 

  • バビロン捕囚とは、BC 597538年にわたってイスラエルのユダヤの人々がバビロニア王ネブカドネザルによってバビロニアに捕囚となった事件のことです。捕囚民は『エレミヤ書』52 30によれば,前 597586581年の前後3回にわたって 4600人と記されていなすが,これは男子のみをさしているので,全体では約1 5000人ぐらいであろうといわれています。当時ユダヤの人口は約 25万人でしたが,捕囚民は支配階級に属する者や技術者でした。バビロニアでは宗教的自由は許されましたが,エルサレム神殿において行なっていた祭儀を失ったので,それにかわって安息日礼拝が中心になり,会堂 (→シナゴーグ ) における律法の朗読と祈祷を中心とする新しい礼拝様式が始められたとあります。

イスラエルは北と南とに分裂をしていました。

ヨナは、北王国の王である、ヤロブアム二世につかえていて、この王が領土を広げるであろうと予言をして北王国はそのとおり、黄金時代を迎えていたのです。一方、ヨナとほぼ同じ時代を生きた二人の預言者がいました。ホセアとアモスです。彼らは、北王国の不信仰を責め、やがて滅ぼされるであろうと予言をしていたのでした。ヨナはこの予言のことを知っていたのです。

神様がヨナに命じて、ニネベという町(アッシリアの首都)の人々に悔い改めをさせなさいと命じます。悔い改めなければその町を滅ぼすというご計画だったのです。

 

さて、この命令をヨナはどう感じたかということなのです。今まで私が幼いときから抱いていたヨナという預言者についての印象は「なさけない、怠け者」のイメージしかありませんでした。預言者が神様のご命令に背いて逃げるなんてもっての外だと思ったからです。しかし、彼はそういう人だったのでしょうか?北王国を敵国とみなしている、しかもいつかは滅ぼされるだろうと二人の預言者が公言しているのを知っていたヨナは、絶対にニネベを救いたくはなかったはずです。一言で言えば愛国者ではなかったかなと思います。決して、このストーリーだけで、怠け者だとか愚かな予言者だったと評価することは出来ないと思いますがいかがでしょうか?

 

また、ヨナはイスラエル民族の預言者として立たされていましたが、同時に異邦人すなわち、イスラエル以外の人々にも神様を伝えるという使命があったのですが、本人はこのニネベの出来事を経験するまではそれには気がつかなかったと思います。ニネベの話のあとの記事は全く書かれてはいませんが、ヨナは、このことを通してイスラエルの民においても、さらに異邦人のためにも心を尽くす人に変えられたのだと私は信じたいのです。なぜなら、ヨナの前の預言者であったエリアはフェニキなどにも伝道をしていて、エリシャもアラム(現代のシリア)に異邦人伝道をしていたのですが、ヨナはこの二人の後継者とも言える存在だったということからしても、ヨナの使命は明らかであると考えます。ヨナは私という主語を使わずに書いていますが、これは彼自身が書いたものです。自分の失敗談までもそのまま書いているのは見事であると思います。

 

最後に、ヨナ書に関する私の感想をまとめたいと思います。

  • 当時、イスラエルの人々には神様から特別に選ばれている民族であると言うプライド「選民思想」が人々の中に根強くありました。この書は、それに対する戒めでもあると思います。

  • これは歴史書でもあるということです。私はヨナが大きな魚に飲まれたと言うのも事実だと信じています。余談になりますが、最近こういう新聞記事がありました。また、私の子供の頃にも新聞で人がクジラに飲まれて瀕死の状態で見つかったという新聞記事と写真を見たことがありましたので、この出来事を信じないわけにはいきません。

  • この物語の中で、ヨナを乗せた異邦人である船長の人柄に感動を覚えます。ヨナが神様に逆らったせいで、関係のない人々の命を危険にさらせたことを知ったときでも、なんとかヨナを助けようとしましたね。みなさんも私も宗教、習慣、イデオロギーの違いのある人々の中に、このような心温まる人々に接するときがありますよね?私達は違いを嫌い、避けるのではなく、神様が異邦人の救いのためにどれだけお心をさいておられるのか、またかれらの人生が豊かになることを望んでおられる愛の神様であるかがわかるのではないでしょうか?

  • 神様のご計画は変わることはありません。すなわちすべての人々を愛し、救いに導かれるように、イエス様をこの世に使わされたのです。そして実現してくださいました。私達は十字架の血潮によって神の子とされているのです。私達はそれに気づいているでしょうか?

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