からし種チャペルメッセージ  2020年12月12日

忠実という意味

クリスチャンプレス、MAROさん(横坂剛比古氏)が書いたコラムの記事にこういうのがありました。

「忠実」って「感謝」のことなんです。例えば忠実な家臣というのは、主君に感謝や恩義を感じて働くものです。感謝なしに忠実であることは難しいんです。(略)

小さな幸せに丁寧に気づいて、それに感謝することからこそ、忠実な姿勢が生まれるのではないでしょうか。(略)

「ありがとう」の数が忠実さに比例するんです。ですから何かに忠実であろうとするならば、まずは「ありがとう」を増やすことです。神様との関係だけに限りませんよね。仕事に忠実であろうとするなら仕事に感謝することですし、家族に忠実であろうとするなら家族に感謝することです。大きな感謝は誰にでもできると言いましたが、それは大きな幸せは誰にでも感じやすいからです。小さな感謝が難しいのは小さな幸せは、小さい故に見つけにくいからです

            

みなさん! 「忠実、忠誠」というと誰を想像しますか?私は日本の時代劇の「忠臣蔵」をまず思い浮かべます。いつ見ても小気味の良い映画でキャステイングの違いを一人で批評したりして何度となく飽きもせずに楽しんでいます。

今どき、忠実精神で仕えるほどの会社も仕事もないと言っても過言ではないでしょうか?80歳を迎えている人などは「企業戦士」として会社にすべての存在を懸けて仕事をしたと言いますが、70歳を迎えようとする私には正直なところあまり関心がなく個人的にはイエス様以外はないと考えてきましたし、今もそう感じています。

聖書にはこういういことばがあります。

「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。」   <ルカ16:10>

「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」  <マタイ621節>

 

私達は本当の価値ある事の為に毎日頭を使ったり考えたりしていますでしょうか?

私達が現在持っている物を考えてみますと、まずは最も大切な家族または個人の命=健康、それを支えている仕事、銀行口座にある現金、土地と建物、時間、才能などがあります。それをどのように管理するのかがそれぞれ重さの割合があると思います。それぞれについて詳しくお話したいのですが、今日はお金について述べたいと思います。

 

私達が持っているお金がどれほどの価値があり、現状と将来はどのようになるのかということを計算できている方はおそらく少数派だと思います。私は経済観念がないほうなのでabout で生活をしていますが、パートナーの道夫は結構しっかりと管理をしていて将来を見据えているところがあります。学ぶべきことが多いのです。

しかし、お金というのは私達の心が奪われやすい代物ですよね。魔物だと思うことさえあります。現実、お金がなければ何事もできません。なくてはならぬものですが、一つ間違うとお金に使われるという「お金の奴隷」になりかねない危険性をはらんでいます。すなわち、お金の為に平気で人を裏切ったり、普通なら考えもしない事をやって、衝動買いをしたり、ギャンブルにつぎ込んでしまうかもしれません。お金がある無しで交際する人を選んだり差別したりすることも大いにあると思います。

ここから私の今朝のメッセージになるんですけれど聖句をご紹介します。

Iコリント412節>

「こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。このばあい、管理者には、忠実であることは要求されます。」

ここで管理者という概念が大事なポイントになります。みなさんは当然のごとく持ち物のオーナーだと思っていると思います。「自分が努力し、汗水たらしながら貯めた自分の財産である。自分のものである。」と。それに間違いはありません。しかしながら、あえて私はこう言いたいのです。「

「すべての持ち物は神様が与えたくださったもので、私は良き管理者としての信頼を受けて託された持ち物」なのだということです。家族も私に属する物も全ては神様がくださったものとして私は生きているのだという事ですね。そして私達夫婦は9年前には命以外は洪水ですべての持ち物を失うという経験をしました。幸いに通帳は持って逃げることができたそうです。というのは、当時私は難病で死の床についていた時と同じ時期だったのです。右と左の頬を叩かれた思いでしたね。その時に痛感したことは次の御言葉そのものでした

<ヨブ記121節>

ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」 

目に見えるものは、いつの日か消え去るものだということです。しかし、主は私達夫婦をそのまま惨めな状況で放置されることはなさらず、私の健康もまた、新たな出発もすることができたのです。神さまは実に憐れみ深く素晴らしいお方です!!

人はお金の有無で評価をするかもしれません。他人からだけではなく、自分自身の中にもそのような価値観があって優越感を感じたり、逆に卑屈になってしまうことはないでしょうか?悲しいのはお金のことが原因で人とのお付き合いが破綻してしまうことかもしれません。私たちが賢いお金の管理者になるためにはどうしたら良いのでしょうか?

 

 

 

 

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