
ヨハネによる福音書 講解 第4回 「思いがけないイエスの行動」
時は「過越際」(すぎこしのまつり)でした。これは、ユダヤ人が祝っているお祭りの中で最も大切なものです。日本で言うなら、お正月みたいなものです。
これは、紀元前1445年にエジプトの地で奴隷になっていたイスラエルの人々を神さまが救い出し、ご自分の民としてくださった祝福の日として記念するお祭りです。場所は、ガリラヤ地方のカナという田舎町から、ユダヤ人の首都であり、宗教の中心地であるエルサレムに移ります。
「岩のドーム」のある神殿の丘と「嘆きの壁」です。
「岩のドーム」と呼ばれるイスラム教の寺院がありますが、そのすぐそばには、「嘆きの壁」と呼ばれる、ユダヤ教徒にとって最も神聖な場所があります。その嘆きの壁は、神殿の西側の壁の一部であり、当時のものです。そして、岩のドームが建っているところは神殿の丘と呼ばれていて、当時の神殿が建てられていた所なのです。
「嘆きの壁」
エルサレムはユダヤ人にとっては、中心地であり、もしここで奇蹟を行なって成功すれば、全てのユダヤ人の間にイエス様の教えと力が広まって、その影響力は計り知れないものがあるにちがいないと、ぶどう酒に変えるという奇蹟を見たあとですから、弟子たちは大いに期待していたかもしれません。
ところが、イエス様は、予想外の行動にでられたのです。
私は、子供の頃、このお話を日曜学校で聞くたびに、どうしてこんなにも怒られたのだろうかと理解ができず、温和で思慮深く、優しいイエスさまとして描いていたイメージがダウンしてしまったことがありました。
聖なる神殿の周りで商売をしていたのですが、それは特別に悪い商売ではなかったようにもとれます。なぜなら、動物たちは、神殿で礼拝をする人たちが犠牲を捧げるためのものであったし、礼拝者たちが、当時、捧げる貨幣はユダヤ貨幣に決められていて、外国貨幣は禁じられていましたので、そのための両替商が、便宜上必要だったのです。それなのに、なぜそれほどまでにイエス様とユダヤ人との間にあのような論争がおきたのでしょうか?それらを目の当たりにした弟子たちのことは書かれていませんが、どんなに困惑したか想像にかたくありません。そこに集まっていたユダヤ人から敵視されたのですから。
みなさんはこの出来事をどう解釈されるでしょうか?
また
と思うかもしれません。
色々な憶測はあると思いますが、結果的には、神殿というのはイエスキリストご自身であること、神殿は壊されるが、3日目に立て直すということは、十字架で死ぬけれども、3日目に復活するのだということを比喩でイエス様は預言をし、宣言されたのです。
改めて申し上げますと、「ご自分が神の子であり、世界の人々の救い主である」ということを公に現されたのがこの場面です。
こうして、当時のユダヤ教の人々は、神を冒涜するものとしてイエス・キリストを排除しようとしていくのです。後にローマ総督に告発され、十字架につけられますが、告発理由の一つはこの神殿冒涜罪でした。
もうひとつここで教えられることがあります。
旧約の時代から罪を清めるために動物の犠牲が必要だとしておこなってきましたが、イエスキリストご自身がその捧げ物の子羊となって死んでくださったのですから、もう動物の犠牲は必要でなくなったということです。神殿は建物ではなく、イエスキリストご自身であるということなのです。歴史的に言えば、エルサレム神殿はこの出来事の40年後、紀元70年にローマの軍隊により破壊され、その後再建されることはありませんでした。
先週にも申し上げましたが、カナでイエスさまは水をぶどう酒に変えられましたが、この水は「清めに用いる」水でした。祭儀のための水が、イエスさまによってぶどう酒に、すなわち十字架の血に変えられて、もはや祭儀の水は不要になったのだと著者ヨハネは私達に言わんとしているのだと思います。
カナの結婚式での奇蹟とエルサレムのこの出来事は、いづれもキリストイエスとは誰なのかと言うことを指し示しています。