令和4年10月23日 礼拝メッセージ:証集:海外での主のめぐみ―ザンビア(2):「躁うつ病」

聖書:

ヨハネによる福音書 9章:1−3節
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

 

前奏:

 

ザンビアはサバンナといって草原地帯です。首都ルサカに私達は3年半滞在しました。雨季と乾季の区別が明瞭で、雨季は11月から4月頃にあります。標高は1200メートルほどあるので私達がいた頃は一年中、暖房、冷房の必要がないとても「熱帯のアフリカ」というイメージからは程遠いほどしのぎやすい気候でした。ブラジルやアルゼンチンのときの気候が似ているのでしょうか、ジャカランダの花を共通して見ることが出来たのも懐かしく嬉しいことでした。

 

 

庭には色々なものが植えられていました。うちの犬達はアボガドが大好きで木から落ちたものを食べていました。私は食べず嫌いで見向きもせず一度も食卓に出すことはありませんでした。アボガドはビタミンEが豊富な果物の一つで、しかも美味しいことがわかったので思えば大変もったいないことをしたと今さらながら後悔をしています。私が最も嬉しかったのは楊貴妃が好んで食したというあのライチです。大きな木に実がすずなりになっていて館員のご夫人たちが来られて喜んで収穫をされました。また、小さいのですがバナナの木もあり一度きりでしたが実がなって食べることができたのです。ザクロも私は初めて手にとって見ました。特に長男はそれが大好きでした。

 

永住している英国人が経営する青空市場がありました。スーパーに置いてあるのとは見違えるほどお野菜が新鮮で、オクラもあってびっくりでした。また、豚のもも肉で周囲にザラメをつけたハムの燻製が最高に美味しくてゲストを迎えるときには必ず買い物に出かけたものです。コロンビアコーヒーの真空パックもありとても香り高いものでしたし、冷凍のパイ生地もあったのです。

 

日本のようにお肉は薄切りや部分別はありませんでしたので、チキン一匹分を買ってきては、夫がそれを上手に無駄なくさばいてくれたのでとても助かりました。さすが外科系のドクターです。そのうち、統一教会のメンバーで豚を飼っていて薄切りのお肉を売っていることを知り、日本人と韓国人はとても重宝をしていたのです。また、日本大使館で受け付け係をしている中国人はお豆腐を作っていたのでいつも手に入りました。お魚を除けば何の不自由も感じることはありませんでした。お魚はマダガスカル(マグロ)や南アフリカ(サンマ)、または数ヶ月ごとのロンドンへの買い物で時々調達は出来ましたが、やはりお肉がメインでした。中でも南アフリカのワインは格別美味しいものがあり買い物のリストにのせていました。

 

当時、首都ルサカにはスーパーマーケットも一つで映画館もなく、ゴルフ以外はほとんどといってよいほど娯楽施設がありませんでした。休暇は隣のジンバブエという国に車で約6時間かけて出かけていました。世界三大の滝といわれているビクトリアの滝は素晴らしいものでしたが、マラリアが発生しやすいところなので、普段は予防薬を飲まないのですけれど、その時だけはファンシダールという薬を飲みました。(現在は予防内服には使用しないということになっています。理由は致死的な副作用(Stevens-Johnson症候群)が発生する場合があるからです。)

 

マラリアには5種類(熱帯熱マラリア、三日熱マラリア、四日熱マラリア、卵形マラリア、サルマラリアPlasmodium knowlesi)があります。 その中でも、熱帯熱マラリアは発症から24時間以内に治療しないと重症化し、しばしば死に至ります。 脳症、腎症、肺水腫、出血傾向、重症貧血など、さまざまな合併症がみられます。

注意していたにもかかわらず、それもルサカで感染したのですが、長男がその熱帯熱マラリアにかかってしまいました。しかし、赴任する前に中国の原産でよもぎの一種であるチンハウスーという薬の錠剤(パスツール研究所で作られていた)を持参していたおかげで彼は微熱と倦怠感はありましたが回復することができて本当に感謝でした。また、セネガルから来られていたワールド・ビジョンの責任者のかたが肝炎まで起こしてマラリアで入院していると言うことでその薬を服用して見事に回復されたのでした。

<ミニ知識>予防薬:マラロン
副反応が極めて少なく、うつ状態などの精神神経疾患や不整脈がある方でも安全に使えるというメリットから、世界で広く使用されている抗マラリア薬です。渡航先に到着する2日前から服用を開始し、滞在中も毎日1錠内服します。マラリアの流行地域を離れてからも1週間は内服を続けます。
毎日服用する事から、長期に渡る場合はコストが大きくなりますが、短期滞在の場合(2ヶ月未満)は、マラロンの服用を強くお勧めしております。
また、タイ、カンボジア、ミャンマーなど一部の熱帯アジア地域では、メファキン耐性マラリアが存在するため、マラロンの服用が必要となります。
マラリアのワクチン:RTS, S
世界保健機関(WHO)は、世界初のマラリアワクチン「RTS,S」について、アフリカの大半の地域における子供への使用を推奨すると発表しました。マラリアワクチンは100年以上もの試行錯誤の末、2015年にその効果が証明され完成され、医学における最大の成果の1つとなっています。

 

ところで、アフリカといえばみなさんは一番なにをイメージされますか?やはり、動物が一杯いると思いますよね?でも、最初に行った動物園では、インパラなどの草食動物だけで種類も少なくがっかりして帰ってきました。昔は白サイが有名でしたが高価なので密猟をした結果ザンビアでは見られなくなったと聞きました。私達が映像で見るアフリカの自然動物はなかなか私達は見ることは出来ないのが現実で、ジンバブエのサファリーにも行きましたが、ライオンの寝た跡だけだという説明をきいただけでついぞライオンにはお目にかかりませんでした。出会った像に追いかけられたことはありその時はスリル満点でした。キリン、水牛、鹿、さるなどの種類はたくさん見ることはできたもののちょっとがっかりでした。

 

一方こんなエピソードがあります。

子どもたちの学校近くに小高い山があってその頂上にある大きな屋敷からウォーという猛獣の声が風にのって聞こえてくるという噂を聞いた私は確かめようと一人、車で登っていくと大きな屋敷があり、門番の人がいたので猛獣がいるのかと尋ねました。するとやっぱりライオンがいるというのです。彼に写真禁止の条件で頼み込んで入らせていただくとなんと二匹のオスとメスが大きなおりの中にいました。そうこうしていると立派な孔雀が次々と登場してきて、あのきれいな羽で私を歓迎してくれたのには驚きでした。屋敷の部屋数を聞くと少なくとも20以上はあるという事でした。そのオーナーとは国会議員で、その妻はザンビア大学に勤務する眼科医であるということでした。お礼にチップをさしあげて帰り次第、私は興奮しながらそのことを学校から帰ってきた子どもたちにトップニュースとして伝えました。生徒たちはあの声はトラだとかライオンだとかと2つの意見に別れていたそうです。

 

子どもたちは庭で走り回り、木登りをするのが楽しかったと思いますが、その他に色々な動物をペットとして飼いたがりました。まず犬ですが、これはペットというよりは番犬のためのものでしたから、かなり獰猛な犬達でしたので近寄ることはまずありませんでした。庭師に管理をお願いしていました。餌はかなり高級で牛の骨を購入して常備していました。これを残飯と一緒に煮て与えるのです。大使館員は全員が毎月専用の冷凍庫でストックしていたのです。骨とはいえなんと贅沢なことでしょう!

 

次男は、熱を出して日本人学校で一日泊まりのピクニックに行けなかった時にその代償としてどうしてもうさぎを飼いたいというので獣医学科の先生に頼んでオスとメスの対で探していただきました。ところがうさぎというのは繁殖力が旺盛で次から次へと子供を生むのです。家では到底面倒みきれないので、次男のクラスの友人や韓国の宣教師にもらっていただきました。

 

一方、三男は亀が欲しいというので、ゴルフのキャディーさんにお願いしたところ見つけてくださりしばらくは飼っていたのですが、ある日番犬の餌食になってしまったのです。

 

ホロホロ鳥という面白い鳥を買っている南アフリカの家族がいて、そこではダチョウも飼っていたのですが、やはり対で頂きました。ところが、どうやら間違えて同性だったらしくついぞ卵は産みませんでした。三男はこのホロホロチョウを描いた作品が絵のコンテストで優勝をして100枚の絵はがきに印刷をしていただきました。

 

ある日のこと、動物好きの三男が今度はにわとりをペットとして飼いたいと言い出したのです。その時の心あたたまる実話がありますのでサイトに添付します。お子さんやお孫さんがおられる方には是非読んでいただきたいと思います。

 

     

       

      話は変わりますが、私のうつ病は双極性のものだったことがある時わかりました。うつ病から開放された私は今までの苦しさや何も出来なかった時間を挽回したいという気持ちが次第に強くなっていきました。夫や子供に食事を頑張って今まで以上に種類を多くつくりました。夫の好きなケーキを週3回も焼いて喜んでもらいたかったのです。週に2回も食事会をしてパーティー嫌いの夫は参ってしまうほどでした。今まで目立たない黒っぽい服装から、急に派手な色を好んで着るようになり息子たちは恥ずかしい気持ちになったようでした。本来、私は色のはっきりした服のほうが似合うので持参していたのです。私としては元に戻っただけなのにと思ったのですがそのコントラストが激しくて彼らは目立ちすぎて嫌だったようです。

       

      一方、大使館内では、細菌性髄膜炎の予防接種を日本の職員とその家族だけではなく、感染するので現地の職員にも無料ですべき責任があると大使に強く要望して困らせました。これは、幸いに会計の方が私の味方をしてくださり、予算が十分に取れるからと大使にかけあってくださったおかげで希望通りになったのは幸いでした。

       

      また、当時、大使館内は禁煙ではなく、会議中でも平気で喫煙していたのです。館員の子供も喘息があって妻も夫のヘビースモーカーには困っていましたので、会議に議題を出して、健康上いかにたばこは害を及ぼすかを説明してやめさせようとしたところ、職員から行き過ぎだと抗議を受けたりもしました。これも、今までおとなしくしていたのがいっぺんに意見を述べたりしはじめたので周囲は戸惑ったことでしょう。

       

      動かない組織に対して色々と対策を練りながら徐々に理解をしていただくように配慮をすべきでしたが、頭ではわかっていても、自分でコントロールができなくなるのがこの躁状態なのです。私自身も他の人々をもハッピーにしたいという子供時代からのおせっかいはこの躁状態でさらに強まったのだと思います。

       

      最後に私が医務官を辞任する前に企画したクリスマスイブのパーティーのお話をして終わりたいと思います。

      日本人は大使館員及び邦人の方々は全員クリスチャンと言うわけではなかったので、クリスマスイブに「クリスマスの本当の意味」を是非ともお伝えしたかったのでした。私達が通っていた現地の教会のザンビア人の若い牧師先生に15分の特別メッセージをしていただくようにお願いしていたのです。大使館員の家族、現地職員、邦人初めアメリカから来ている宣教師の家族を我が家の庭に招待することを思いついたのでした。

       

      赴任した家の庭はおよそ100名ちかく収容できるほどの広さでした。キリスト教の説教とランチだけでは来る人は少ないと思い、食事のあとはタレントコンテストを企画しました。優勝した人にはカップルでディナー付きのホテル1泊券、準優勝はホテルのレストランディナー券をカップルで用意したのです。私は、勤務しながらも精力的に2週間かけてお料理をしては大きな業務用の冷凍庫に蓄えながら、夫とともに飲み物を買って準備をしたのです。あとはバーベキューをすれば足りる計算をしましたが、デザートを2個だけ作った以外はさすがの私も疲れてしまいました。でも、皆さんには「何も持たずに来てくださいね」と啖呵を切った手前どうしたら良いのかと悩みました。

       

      当日のことです。予想もしなかったことですが、アメリカの宣教師が素敵なクリスマスツリーを持ってきて飾ってくださって雰囲気を盛り上げてくれました。また、アメリカの宣教師のご夫人たちが10名おられましたが、私がお願いしないのに1品ずつの素敵なデザートを持ってきてくれて集まった人々からはそれはもう大好評だったのです。

       

      神様はこのように助け手を送ってくださり、パーティーは大成功!食後に皆さんで投票した結果、優勝したのはJICAから派遣されていた小児科医の高校生のご長男がリチャード.クレイダーマンの有名な曲「渚のアデリーヌ」を見事に弾いてその栄誉に輝きました。2位は1等書記官の巧みな手品でした。みなさん色々な才能を披露してくださり、こんな楽しいクリスマスイブは今まで一度もなかったととても喜んでいただいたのでした。

       

      病気に貴賤はないはずです。しかし、古今東西、その中で最も忌み嫌われているものの中の一つが精神病ではないでしょうか?うつ病や統合失調症などの精神疾患、認知症、エイズ、ハンセン病、結核、身体障害、または知的障害、自閉症、遺伝病、癌、コロナ感染症等々、自分や家族には絶対あってはならないと早期診断早期治療を拒む人々や隠す人々があまりに多いと思います。治る病気でもそれでは自ら治る機会を失ってしまいます。

       

      私は11年前から難病のために身体障害者手帳第一級を持っています。また、精神疾患のために申請して日本では診察の一部控除を受けた時期もありました。精神病でもどんな病気でも自ら卑下をしたり、またそういう人を恐れたり遠ざけることがあってはならないと思います。

       

      私の「躁うつ病」をも神様はご計画の中でコントロールしてくださったと私は確信して感謝をしています。この世から消えてしまいたいと願ったほど辛かった「躁うつ病」を経験したことで、現在、心療内科医として患者さんの痛みにたいしていささかなりとも共感できるのではないかと思っています。

       

      イエス様はみことばどおり、病気は罪や怨念ではなく、「神の業がこの人に現れるためである。」と宣言されたのです。病気を克服したから言えるのではない、たとえ、今、病気であっても、解決できそうにもない問題があっても、常に神様の慈愛とお導きが注がれていることを私達は信じて参りましょう。すべてを神様に栄光を帰するというのはそういうことではないかと感じています。(つづく)

       

      後奏:

       

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