メッセージ:「ユダの罪の行く末」2021年7月4日
今日は、皆さまに、まさに私の遺言を残したいという気持ちでお話をしたいと思います。私がイエスさまをなにゆえ主と仰ぎ、お仕えしたいと思うのかをできる限り、率直に、わかりやすくお話できればと思います。しかし、人の言葉の表現には限界がありますので、伝えてくださる聖霊に委ねます。
今朝、ふと5時過ぎに、テレビをつけたのがNHKで「心の時代 宗教、人生」の放送をしていました。題が「今、互いに抱き合うこと-コロナ禍に読む聖書」です。以前から尊敬している牧師、北九州市にある東八幡キリスト教会の牧師・奥田知志牧師が出ていました。ちょうど、ユダの話をしているところでした。末尾にこのサイトを添付しておきますので御覧ください。(お時間を節約したい方は、今日の礼拝説教にはどうビデオの45分17秒から50分45秒だけを見てくださればよろしいです。)奥田牧師とは全く面識はございませんが、FEBCの番組で初めて彼の存在を知り、その信仰の捉え方に非常に共感を覚えていたのです。
みなさん、イエス様を銀貨30枚で祭司に売った裏切り者のユダは後に反省しますが、自責の念に耐えきれず自殺をしたということは聞いたことがありますよね?
弟子たち、マルコ、ルカ、ヨハネと少しずつ彼がなぜイエス様を裏切ったのかと言う理由の描写が違います。マルコ福音書では、単に裏切るとして表現していますし、ルカ福音書では、ユダの中にサタンが入ったと書いています。また、ヨハネ福音書にはユダを悪魔と呼んでいますが、事実は明確ではありません。いろいろな解釈があります。
結果的には、ユダの裏切りの理由はわからず、物語には悪党が必要だったからという説、また人間の良い面と悪い面の両方を描くのに必要だった説もあります。テレビドラマ『イエス・キリストの生涯』では、ユダはイエスの行動に悩み、ことの重大さに気付かずカイアファ(祭司)のもとに訪れたという説、イエス自身が死を望んだ事でユダの裏切りが起きた。などの解説があります。
私が高校生の頃(半世紀以上前です)ミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター』では、ジーザスを愛するがゆえ、その暴走を止めるために裏切るユダの姿が描かれていました。これは、伝統的なキリスト教会においては、受け入れがたく、センセーショナルだったことを覚えています。私達クリスチャンもどのように解釈したら正しいのかと迷う箇所ではないでしょうか?多くは、ミステリーとしてそれはあえて詮索しないようにするのが賢明だとするのが常識かもしれません。しかし、奥田牧師も私もそれをあえてブレイクしようとしているのです。
ユダは、自分のしたことを悔いていたことは明白で、銀貨を返しに行きましたが、何の解決にもなりませんでした。そしてその罪の重大さに耐えかねて自殺したと言うことで終わっています。
ユダは当然の報いを受けて、今は苦しみもだえているのだと言う風に教えられてきたように思います。実際は、あまりこういう問題を説教ではめったに聞かない傾向ではあります。「かわいそうだな〜!ユダは永遠に苦しんで罰を受けているなんて!なんとかしてあげられないのかしら?」と私はずっと思っていました。
皆さんはどう感じますか?怖いですね〜。「どんな罪を犯しても赦されるというのに、このユダの裏切りだけは例外なのだから、イエス様を裏切ってはいけないんだね!でも、裏切るっていうのはどういう事?罪をおかすことだよね。でも、私、罪なことも考えるし、時にはしてしまうよ。」と考え込むこともありました。こう考えていくと、クリスチャンになるなんてかえってつらいとなるのではないでしょうか?
皆さん! しかし、これはどうもイエス様のお心ではないような気がしませんか?
「じゃ、すべて赦されるなら、何をしても良いし、別にキリストを信じなくたっていいのではありませんか?ケセラセラですよね!」っていわれるかもしれませんね。
いかがでしょうか?「信仰義認」も私は疑問なのですね。条件があるわけです。「信じれば救われる」という条件が。信じているみなさんはどう考えていますか?
私は、すべての人は救われて、死後は完全な姿になって神様とともにある天国に住まうことができると信じて今を生きています。なぜなら神様は罪ある人間すべてのために私達にかわって死んでくださって贖ってくれたからです。ただ、このことを知っていながら生活をするのと、全く知らないでいるのとでは同じではないですよね?
知っているとどんなにかありがたいかがわかって幸せになります。たとえ、どんな困難なことがあろうとも、今そのまっただ中にあっても、終わりじゃない、ひとりじゃない、イエス様とともに歩めるということを知っているからです。これが私の信仰の根本となっています。
信仰の理念をお伝えすることが伝道の究極の目的ではありません。私にとって、キリスト教の人口を増して地上のキリスト教王国にすることでもありません。
慈しみ深いイエス・キリストがともに生きてくださる地上での生活を楽しみ、喜びも悲しみも愛してくださるイエス様とそして人々とシェア〜できる世界が現実にあること、永遠の命の希望を持って共に助け合いながら、学び合いながら、成長していく人生を貫きたいと思っています。私の財産は、見えませんが、まさにこのイエス様の福音をしっかりと持って金庫にしまっておくのではなく、毎日この福音に生きることなのです。
私の最大の願いは、みなさんがこの福音(神は許され主は共におられる、私は一人ではない)を手にしていただきたいと願っています。
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