聖書:
イエスさまは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれました。そこには園がありました。この園とは、言うまでもなくゲッセマネの園です。「ゲッセマネ」とは、「油しぼり」という意味があります。そこにはオリーブの木が茂っていて、実を絞りオリーブオイルをつくっていたのでそのように呼ばれています。
「ヨハネによる福音書」は、他の福音書にすでに書かれているところのいくつかが省略されています。例えば、ルカ22:44には、ゲッセマネで「イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」とあります。同様のことが、マタイとマルコの福音書にも詳しく記されてあります。しかし、ヨハネはそのことについては触れていません。
また、ルカの福音書を見ますと、ペテロはイエス様を捉えようとした兵士の耳を切ったことが記されています。ルカは医者でしたので、その耳がどうなったのか気になったのでしょうか?イエスさまはペテロを制し、その耳にさわって彼を癒されたとあります。(ルカ22:51)
29-40節からはピラトとイエスさまとの問答になります。
38節でピラトは、「真理とは何か」と尋ねながらも、イエスさまの答えを聞かずにユダヤ人のところに行き、「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。」というのです。彼の本音は一体どこにあったのでしょうか?
ピラトはイエスに対する尋問で、彼がローマの支配を覆そうとしているのではないことはわかっていたはずです。それに、彼はこれが宗教的な問題であるので関わりたくはなかったでしょう。しかし、何を思ったのか、ピラトは39節で「過越の時には、わたしがあなたがたのために、ひとりの人を許してやるのがあなたがたのしきたりになっている。ついては、あなたがたは、このユダヤ人の王を許してもらいたいのか」といいます。
ローマ帝国は紀元30年にユダヤ人から死刑を執行する権利を剥奪していました。ですから、ユダヤ人にはイエスさまを死刑にする権限がなかったのです。イエスさまを死刑にしてほしいと言っているユダヤ人に、なぜイエスさまを釈放させるような提案をわざわざ出したのでしょうか?
ピラトのような態度は私達の現実社会にもあります。真実や本質に向き合うことをせず、守りの姿勢になり責任逃れをしてしまうことがあります。国政を担う人々が国民の安全と幸福のためにしっかりと方針を打ち出して全人的な政治を貫抜くことを強く願います。また、私たちも世間の目やその場の空気を気にするあまり自分の意見を曖昧にして、弱い立場にいる人びとへの配慮に欠けるような言動は慎みたいと思います。
ピラトの意向とは反対に、彼の発言でユダヤ人たちは一層イエスさまをなにがなんでも死刑にするという憎しみがみなぎったのではないでしょうか?ここでむしろ、彼らにとってはまたとない絶交のチャンスがやってきたのです。当然ながらそこにいたユダヤ人たちは40節で「その人ではなく、バラバを」と叫んだのでした。
著者ヨハネは、バラバは強盗であったとだけ表現していますが、ルカ23:25には「暴動と殺人とのかどで獄に投ぜられた者」と記しているほどの極悪人であったと書かれています。
神への冒涜、反乱、暴動などのリスクがあるということでピラトを窮地に陥らせ、彼は無実のイエスさまを処刑するという選択を迫られていきます。
フランシスコの平和の祈り
憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。
愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
許すことによって赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。
後奏:
ラウレンティス製作による、ユダヤ人の盗賊バラバの波瀾に満ちた半生を描いた歴史スペクタクル大作。スウェーデンのノーベル賞作家ペール・ラーゲルクヴィストの原作。