令和4年3月13日 ヨハネによる福音書 講解 第25回 「バラバを!」

聖書:

 

 

イエスさまは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれました。そこには園がありました。この園とは、言うまでもなくゲッセマネの園です。「ゲッセマネ」とは、「油しぼり」という意味があります。そこにはオリーブの木が茂っていて、実を絞りオリーブオイルをつくっていたのでそのように呼ばれています。

 

エルサレム旧市街から見たケデロンの谷

「ヨハネによる福音書」は、他の福音書にすでに書かれているところのいくつかが省略されています。例えば、ルカ22:44には、ゲッセマネで「イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」とあります。同様のことが、マタイとマルコの福音書にも詳しく記されてあります。しかし、ヨハネはそのことについては触れていません。

ゲッセマネの園

 

 

また、ルカの福音書を見ますと、ペテロはイエス様を捉えようとした兵士の耳を切ったことが記されています。ルカは医者でしたので、その耳がどうなったのか気になったのでしょうか?イエスさまはペテロを制し、その耳にさわって彼を癒されたとあります。(ルカ22:51)

 

29-40節からはピラトとイエスさまとの問答になります。

38節でピラトは、「真理とは何か」と尋ねながらも、イエスさまの答えを聞かずにユダヤ人のところに行き、「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。」というのです。彼の本音は一体どこにあったのでしょうか?

 

ピラトはイエスに対する尋問で、彼がローマの支配を覆そうとしているのではないことはわかっていたはずです。それに、彼はこれが宗教的な問題であるので関わりたくはなかったでしょう。しかし、何を思ったのか、ピラトは39節で「過越の時には、わたしがあなたがたのために、ひとりの人を許してやるのがあなたがたのしきたりになっている。ついては、あなたがたは、このユダヤ人の王を許してもらいたいのか」といいます。

 

ローマ帝国は紀元30年にユダヤ人から死刑を執行する権利を剥奪していました。ですから、ユダヤ人にはイエスさまを死刑にする権限がなかったのです。イエスさまを死刑にしてほしいと言っているユダヤ人に、なぜイエスさまを釈放させるような提案をわざわざ出したのでしょうか?

 

ピラトのような態度は私達の現実社会にもあります。真実や本質に向き合うことをせず、守りの姿勢になり責任逃れをしてしまうことがあります。国政を担う人々が国民の安全と幸福のためにしっかりと方針を打ち出して全人的な政治を貫抜くことを強く願います。また、私たちも世間の目やその場の空気を気にするあまり自分の意見を曖昧にして、弱い立場にいる人びとへの配慮に欠けるような言動は慎みたいと思います。

 

ピラトの意向とは反対に、彼の発言でユダヤ人たちは一層イエスさまをなにがなんでも死刑にするという憎しみがみなぎったのではないでしょうか?ここでむしろ、彼らにとってはまたとない絶交のチャンスがやってきたのです。当然ながらそこにいたユダヤ人たちは40節で「その人ではなく、バラバを」と叫んだのでした。

 

著者ヨハネは、バラバは強盗であったとだけ表現していますが、ルカ23:25には「暴動と殺人とのかどで獄に投ぜられた者」と記しているほどの極悪人であったと書かれています。

神への冒涜、反乱、暴動などのリスクがあるということでピラトを窮地に陥らせ、彼は無実のイエスさまを処刑するという選択を迫られていきます。

 

みなさん、しばらくの間、ウクライナの為に平和の実現をご一緒に唱えて祈りましょう。

フランシスコの平和の祈り

主よ、わたしを平和の器とならせてください。

憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、

絶望があるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
理解されるよりも理解する者に、
愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
許すことによって赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。

後奏:

 

ラウレンティス製作による、ユダヤ人の盗賊バラバの波瀾に満ちた半生を描いた歴史スペクタクル大作。スウェーデンのノーベル賞作家ペール・ラーゲルクヴィストの原作。

 

参考:
教会暦では今年は3月2日(水)から「四旬節」という時期に入ります。この時期は別名「受難節」とも呼ばれ、復活祭(イースター)の前日まで続いてイエスさまが十字架に至るまでの苦難の道を思い起こす期間です。「四旬」というのは「40」という意味ですから、四旬節は「イエス様の苦しみを思い起こす40日間」だということです。そしてその初日、つまり3月2日を「灰の水曜日」と呼びます。(回心を表す旧約以来のしるしとして,灰を額につけて行う儀式です。)ただし、実際は日曜日を除いた日を数えて40日前です。というのは、基本的に四旬節はイエス様の苦しみを思い起こすためにいわゆる「自粛生活」を送るのですが、日曜日だけはイエス様をたたえて喜ぶ日なので、そのカウントから外すことになっているのです。ちなみに、受難週は4月10日(日)から始まり、木曜日は「洗足日」です。金曜日は「受難日」、そして17日(日)は「復活祭」(イースター)となります。
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