令和4年3月20日 ヨハネによる福音書 講解 第26回 「すべてが終った」

聖書:

 

前奏:

 

 

著者ヨハネは、イエスキリストが過越しの祭りの犠牲の小羊であることを強調しています。

 

過ぎ越しの祭りの起源は、エジプト人の奴隷であったユダヤ人の先祖(ヘブライ人)が,モーセに率いられてエジプトを脱出したとき,神様はエジプト人の長子に死をもたらしました。その一方で、小羊の血を入口に塗った家だけは、天使は、かれらの長子を殺すことなく過ぎ越したという記述に由来しています。

 

この過ぎ越しの祭りのときにイエスさまは十字架につけられたのです。

 

参考:

 

十字架にかけられて亡くなるまでに発した7つの言葉はとても有名です。

 

1)ルカ23:34「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」午前9時に十字架につけられた時の言葉です。

2)ルカ23:43「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」イエスさまと共に十字架にかけられていた二人の罪人のうち一人が「お前はメシアではないか。自分と我々を救ってみろ」とののしったのに対して、もう一人が「お前は神を恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」と言って、「イエスさま、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」とお願いしたときの応答です。

3)ヨハネ19:26-27「女の方。そこに、あなたの息子がいます」「そこに、あなたの母がいます」母マリアと弟子のヨハネに言った言葉です。ヨハネにマリヤを自分が亡き後、支えて欲しいと依頼したのです。この約束どおり、ヨハネはマリヤを引き取りお世話をしたのです。

4)マタイ27:46「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか)これには色々な解釈があるのですが、伝統的にはイエスさまが事実上罪人の身代わりになって罪の裁きを受けたことを表す叫びと解釈されています。

5)ヨハネ19:28「わたしは渇く」

これは、旧約聖書の詩篇42篇が成就したと考えられています。

6)ヨハネ19:30「すべてが終わった」

7)ルカ23:46「父よ。わが霊を御手にゆだねます」

 

今回は、30節の6番目の言葉、「すべてが終った」というところに焦点を当ててお話をしたいと思います。

 

お示ししている聖書は口語訳です。これは「すべての業が完了した。」という意味です。旧約のイザヤ書53章に預言されていた人類救済の贖いのみわざがすべて「完了した」のです。

 

キリストがこの世に生まれ、三年半の公生涯を多くの迫害や試練の中で過ごされながらも、人々の悲しみ、貧しさに寄り添い、奇蹟を行い、癒やしをされて、神の国の到来を語られました。そして、すべてはこの十字架による救いのみわざを完成するための生涯であったのです。そして、このキリストが成就された救いのみわざは「完了した」のですから、人間が自らの救いのために、これにつけ加えるものは何一つありません。

 

では、何故救いが完成しているのにもかかわらず、この世は未だに病んでおり、人々は争い、互いに殺し合っている戦争が存在するのでしょう!これは、イエスさまの救いが不完全であることを意味しているとみなさんはお考えになりますでしょうか?

 

「小野恵牧師さん、答えてくださいよ!いつもあなた達クリスチャンは救われたと言っているけど、どこに救いがあるんですか!この世はますます悪化するばかりです。神や仏がいるならすでに問題は解決されているはずではないのですか!」と、抗議されるかもしれません。

 

正直、私もこの問いに対して、今のところ、皆さんを説得できるような説明をすることはできかねます。牧師として、少しでもわかっていただけるように精進したいと思っています。けれども、現実を見ると、学び、成長することによって、少しずつわかってくる事もありますけれど、生涯答えを出せずにこの世をさるかもしれません。

 

拉致被害者の家族の人々が一人ずつこの世を去っていきます。ご本人も家族もどんなにか無念な思いをされていることでしょうか。また、私の知人のお孫さんが小学生のときに誘拐されて、いまだに行方不明になっています。ご家族の皆さまが悲しみの中におられます。このような不条理を神様は黙認しておられるのかと思う気持ちを抱くこともあります。今のウクライナ状況を考えると悲しくて、いてもたってもいられない気持ちになります。

 

このような状況が何故おこっているのかという質問の代わりに、「どのようにあなたは生きるのか?」と問われれば、このようにお答えしたいと思います。

この先、不幸や試練が起ころうとも、イエスさまが私の身代わりになって十字架で死んでくださったその完全なる救いと勝利を疑いません!

人類のすべての人々を愛されておられ、この小さき私にも、例外なく最善を尽くしてくださり、毎日寄り添ってくださる「生きておられる神様、イエスさま、聖霊の存在」を信じて希望を失わず歩みます。

周囲の人々と喜びと悲しみを分かち合いながら、より良い社会をつくるために力をつくします。

 

たとえ、理解できなくても、答えがでなくても、私やあなたがより良い選択をする、今日という日が与えられています。

勇気をだしましょう。そして協力しあい、世界の平和のためにまず自ら一歩を踏みだしていこうではありませんか! 

後奏:

 

トンガ義援金の最終報告:
黒潮町公式ホームページのランドセルプロジェクト紹介ページがあり
そこにトンガ義援金のご報告が掲載されています。ぜひご覧ください。

     皆様の暖かいご協力をありがとうございました。

 

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