令和4年1月30日 ヨハネによる福音書 講解 第19回 「まことの命」

前奏:

 

ヨハネによる福音書12章12-26節
12その翌日、祭にきていた大ぜいの群衆は、イエスがエルサレムにこられると聞いて、

13 しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った。そして叫んだ、/「ホサナ、/主の御名によってきたる者に祝福あれ、/イスラエルの王に」。
14 イエスは、ろばの子を見つけて、その上に乗られた。それは
15 「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、あなたの王が/ろばの子に乗っておいでになる」/と書いてあるとおりであった。
16 弟子たちは初めにはこのことを悟らなかったが、イエスが栄光を受けられた時に、このことがイエスについて書かれてあり、またそのとおりに、人々がイエスに対してしたのだということを、思い起した。
17 また、イエスがラザロを墓から呼び出して、死人の中からよみがえらせたとき、イエスと一緒にいた群衆が、そのあかしをした。
18 群衆がイエスを迎えに出たのは、イエスがこのようなしるしを行われたことを、聞いていたからである。
19 そこで、パリサイ人たちは互に言った、「何をしてもむだだった。世をあげて彼のあとを追って行ったではないか」。
20 祭で礼拝するために上ってきた人々のうちに、数人のギリシヤ人がいた。
21 彼らはガリラヤのベツサイダ出であるピリポのところにきて、「君よ、イエスにお目にかかりたいのですが」と言って頼んだ。
22 ピリポはアンデレのところに行ってそのことを話し、アンデレとピリポは、イエスのもとに行って伝えた。
23 すると、イエスは答えて言われた、「人の子が栄光を受ける時がきた。
24 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
25 自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。
26 もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう。

 

過ぎ越しの祭りの礼拝のためにエルサレムに上ってきた人々の中に、何人かのギリシア人がいました。イエスさまに会わせてほしいと弟子に頼んだのです。この人々は、ギリシャ人なのでユダヤ教からすると異邦人でしたが、多神教から一神教のユダヤ教への改宗者であったと思われます。イエスさまは、23節で「人の子が栄光を受ける時が来た。」とおっしゃいました。初対面のギリシャ人に対しての会話やメッセージとしては唐突のような気がしますが………。

ただ、ここで、著者ヨハネは、十字架の救いはユダヤ人だけではなく、異邦人(他宗教の人)、そしてさらに、時代を超えてすべての人々に対する救いなのだという、とても大事な真理を強調したいために書き残したと思います。

 

イエスさまは続いて25節で、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」と言われたのです。

ここで語られている一粒の麦とは、イエスさまのことです。その「実」とは、「永遠の命」というかけがえのない「実」です。そして、地に落ちるとはこれから成し遂げられようとしているイエスさまの十字架の死を意味します。ご自身が死ぬことが真の意味で生きることなのだということを示しているのです。イエスさまがどうして十字架にかからなければならなかったのかということは以前にも度々お話したとおりです。

 

 

少しこの聖書の場面から離れるのですが、ある実話をご紹介したいと思います。

私の人生に最も大きな影響を与えてくださった方は升崎外彦(ますざきそとひこ)先生です。

先生は由緒ある仏教の僧侶の跡継ぎでしたが、牧師になったかたです。その先生の伝記である「荒野に水は湧く」田中芳三著の中にあるストーリーです。

 

あるとき、升崎先生は山本忠一という少年を引き取ります。この少年は、孤児で親戚に引き取られていたのですが、幼い頃に脳膜炎を患って知的障害者になったことで、捨てられて乞食をしていたのを先生が引取りお世話をすることにしたのでした。ところが、しばらくして放浪癖があった彼は姿を消してしまいます。

 

それから数年後のある日、一人の紳士が突然升崎先生を訪ねて来て、「あなたは何年か前に山本忠一という子供をお世話くださった升崎先生ではありませんか?」「おお、あなたは忠ヤンの消息をご存知ですか?」「実はその忠ヤンが立派な働きをして死にました。これが忠ヤンの形見です。」と言って、船の舵輪(だりん)を差し出しました。彼は忠一の乗っていた機帆船(きはんせん)の船長でした。

 

彼は次のように語りました。「ある日、機帆船幸十丸は、荷物を満載して紀州尾鷲(おわせ)港を出ました。出帆(しゅっぱん)後間もなく海が嵐に見舞われ、新宮沖にさしかかった時はどうしても思う方向に船を進めることができず、ついに暗礁に船底をぶつけてしまいました。破れた船底から水が激しく浸水して、いくら排水してもどうにもなりませんでした。もうこれまでと一同は観念したとき、船底から『親方!親方!船を!船を!』と手を振りながら大声で叫んでいる者がいました。見ると、忠一でした。不思議にも水はあれから少しも増していませんでした。船員たちが再び必死になって水をかき出したところ、忠一は船底の穴に自分の太ももをグッと突っ込み、必死にもがきつつ『船を、船を、陸に上げよ!』と苦しみながらも叫んでいました。それで船員たちは必至に、船を進めて陸に近づけ、九死に一生を得ましたが、忠一はかわいそうに右大腿部をもぎ取られ、出血多量で上陸するまでに息を引き取ってしまいました。」と話されたのです。また、この少年は、いつも一つ覚えのように、「人がその友のために自分の命を捨てるということ、これよりもおおきな愛は誰も持っていません。」と言っていたそうです。文字通り彼は、それを実行したのでした。船の乗組員たちは皆、彼の犠牲的な行為に感動して、全員イエス・キリストを信じたというはなしです。

 

ヨハネによる福音書15章:13節
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」

 

この山本忠一さんの行動やイエスさまのメッセージは、決して「自分の命を犠牲にしなさい。」ということを意味しているのではありません。むしろ、イエスさまは、私達が自分たちの命を大事にすること、人生を喜こんで生きてほしいと願っておられます。そのために主キリストは、ご自分が十字架で死ぬことによって、私たちが罪を赦され、神との関係を回復して、新しく生きることができるようにして下さったのです。

 

自分の命をどれだけ愛し大切にしても、永遠の命に至ることはできません。私達が守ろうとしている命はいつか失われるのです。しかし自分の命を神様に委ねて、永遠の命へと導いて下さる主の存在があるのだと確信ができれば、平安と希望につながる人生を歩むことができると思います。他の言葉に言い換えれば、神様の愛の中で生かされている幸いを知ることだと思います。そうすれば、様々な苦しみや悲しみ、不安や恐れの中であっても、肉体の命を越えた永遠の命への希望を失わずに、一生を感謝して人生を全うすることができるのではないでしょうか?

後奏:

 

参考:
「一粒の麦、地に落ちて死なずば」という聖書の言葉が多くの人の心に刻まれた背景の一つに賀川豊彦氏(1888―1960年)が昭和4年~5年にかけて書いた小説「一粒の麦」を挙げることができます。賀川豊彦氏は、戦前から戦後にかけて大きな働きをしました。彼は牧師ですが、農協と生協の創立者でもあります。貧民街でも奉仕をされました。彼の「死線を越えて」はベストセラーになりました。「一粒の麦」も多くの人に読まれました。「一粒の麦として生きる」とよく語られていたそうです。升崎先生が尊敬していた人が3人いらっしゃるのだと私は学生の頃に聞かされました。賀川豊彦、救世軍の山室軍平、そして孤児の父と言われた石井十次。升崎先生のお口添えで、私が大学生の頃、賀川豊彦先生の奥様で、社会運動家でもあった賀川ハルさんがご存命のときに、ご自宅に一晩泊めていただくという光栄に預かったことがありました。

 

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