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14:1で、イエスさまが「心を騒がせるな」と言われ心の中を弟子たちに話し始めました。14:6で「わたしは真理であり、命である」と語り、彼らに自らが神の子であることを再びお示しになりました。15章では、聖霊を送って弟子たちを守られると言われました。そしてさらに聖霊の助けによって、私たちは神に喜ばれる実りある人生を送ることができるとも語られたのでした。
ところが、16:16節以降で、彼らはイエスさまが去ろうとしていることはわかりましたが、自分たちのところに戻ってくるというタイミングや詳しい状況についてはまったくわからないでいました。ですから、イエスさまがずっと慰めの言葉を与えてくださっていても、彼らは将来については依然として不安のままの状態でした。
イエスさまは、勿論、彼らがこの話を聞いて悲しみに暮れていることを充分知っておられました。しかし、それにもかかわらず、このことを弟子たちに予め言い残すことで、将来彼らにおこるであろう艱難辛苦に備えるために大きな励ましになると思われて知らせようとされたのです。
最後に33節で、イエスさまはご自分の勝利が弟子たちの勝利になることを告げました。ご自分はこれから逮捕され、見捨てられ、拒絶され、あざけられ、拷問され、処刑されようとしていることを、前もって弟子達にお話をされたのです。
再度繰り返すようですが、ここで大事なことはイエスさまが世に打ち勝つのだからあなたたちも世に打ち勝つのだという内容です。この宣言こそが、主にあって平安を得るための原点となるものです。
そして、これは、弟子たちだけではなく、今の私達にも当てはまる事なのです。
私達は、すべてが順調にいっているときには、自分の努力で色々と計画を進めることができますが、突然、予期しない何かが起こるとどうしても動揺してしまいます。
クリスチャンの方々も、なぜ神様はこのようなことを許されたのだろうかと混乱したことはありませんか?
この世で生きている限り、常に問題なく過ごせる人はおられないと思います
今日の私達が住んでいる地球をみても、人間は高度な文明社会を築き、生活の様々な不便を克服してきましたが、自然を破壊し、人とのつながりを絶ち、自分の利害関係だけを構築して、ただ、目前の生活の満足を求めています。今までも自国の利益と貪りのために戦争を起こしてきました。何度も戦争の怖さと惨めさを経験していても、侵略は続いています。人間の愚かさの歴史はとどまることはないのです。
イエスキリストが平和を作る方法は政治的ではありませんでした。
私たちの平和というのは、争いや問題がないことではなく、イエスさまが私たちの過去も、現在も、そして未来においても慈愛をもって見守りつづけ、生きて働いていてくださるということへの信頼から生まれるのだと私は思っています。
どんな小さな日常茶飯事にも関わってくださりながら、気づきを与えてくださいます。そして、私達を導いてくださり、救いの確信と人生を豊かに生きる秘訣を示しておられるのです。
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ウクライナの人々の生命の危機に神様のお守りがありますようにと
共に祈りましょう!