初めの祈り: 道夫宣教師
賛美:
聖書朗読:ヨハネ福音書5:10−18 道夫宣教師
メッセージ:「安息日問答」 恵牧師
応答の祈り: 道夫宣教師
特別賛美演奏:新生賛美歌629 主にすべてを 道夫宣教師
十字架の死をもて 我を救わんと 死ぬべきこの身を 主探し求む
我が荷を担いて 励ましたもう 幸い与うる 主にのみ応えん
聖餐式: 一同
感謝の祈り: 道夫宣教師
後奏:
すべての恵みの 御許に来たれ。憐れみたゆまず、 心は溢る。
天使の賛美と 共に詠わん。尊き 主イエス、贖いの愛。
今 ここに 我は 誓いて歩まん。主の助けにより 御許に戻らん。
迷いて さすらう 我を呼びたもう。主の犠牲をもて、 我救わんと。
我が身の弱さに ただ立ち尽くさん。主は 憐れみもて 我を癒しぬ.
今 主を覚えて おおせによらん。わが業 清めて、 永遠に 御傍に。
尊き 主イエス、贖いの愛。
ヨハネによる福音書 講解 第9回 「安息日問答」
前回は足萎えの男性を癒やした日が「安息日」(あんそくにち)だったというところで終わりました。先週もご説明しましたが、もう一度、確認の意味で安息日というのは何かと言うことからお話を致します。
安息日には、「労働をしてはならない」という範囲があるのですが、宗教によりかなり差があって、ユダヤ教では基本的に厳格です。家事を含め日中は一切の労働を行わないということになっていましたから、イエスさまのこのような癒やしは、ユダヤ人たちの教えに真っ向から反するものであり、彼らからの深い怒りを買う結果を招きました。
参考:ちなみに安息日を守っている宗教は、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教ですが、それぞれ差異があります。
さて、イエスさまによって癒やされたことを知ったユダヤの人々は、癒やされた男性に向かって「きょうは安息日だ。床を取りあげるのは、よろしくない」(10)と癒やされたことを共に喜ぶ気配もなくいさめ始め、それがイエスキリストだとわかると、16節で「安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。」とあります。
このことばで、ユダヤ人たちは烈火のごとく怒り、神を冒涜している発言だとみなしました。なぜなら、神様ご自身が、安息日を守られたと旧約聖書に書かれていてこれは、モーセの十戒の4番目の掟として記されているので、疑いの余地もない正しいことでありました。しかも、それ以上に問題になった発言というのは、イエスさまが御自分を神様の子供であり、神様と等しい者であると宣言なさったからなのです。これは極刑に値すると彼らは確信をもったのでした。
イエスさまはユダヤ人であり、当然のこと安息日がどれだけ大事であるかをよくご存知でした。旧約聖書に関しても精通していたのです。その上で、安息日の真の意味は何かを示したのです。律法とは神が人に与えた戒めです。
安息日は創造主に感謝し、あえて仕事をしないことで神を崇める日です。それによって人も家畜も休めるという恩恵を受けるというのが本来の意味であったのです。イエスさまは、安息日に良いことをするのは律法にかなっているとして、男性を癒やされたのです。しかし、ユダヤの律法学者たちは、文字どうりの解釈を主張し、愛のない言動を行いました。一番大切なのは、神様が喜ばれることは何かということではないでしょうか?律法はそれを教えるためにあるはずでした。
この話題は特別な宗教の掟のことであって、現在の私達には無関係だとお考えになられるかもしれませんが、そうとも限らないのではないでしょうか?
私達が関わっている医療の面においての例をお話したいと思います。
「糖尿病食は、栄養素別にみて総エネルギー量(カロリー)の40~60%を炭水化物から摂取し、さらに食物繊維が豊富な食物を選択します。 たん白質は20%までとして、脂質は25%以下とするのが目安です」糖に分解される炭水化物をこれほどまでに摂取することは、糖質を下げないといけない糖尿病には逆効果になるのです。そのためいろいろなお薬は開発されてきていますが、失明、人工透析、下肢壊死切断などの3大合併症は減少していないのです。
けがややけどは消毒はしない, 乾燥させない、と言うことを知ってからは、この湿潤療法でやけどや褥瘡を治療して患者さんに痛い思いをさせずに、しかも回復が早く、喜んで頂いていますが、未だに皮膚科学会では認めないのです。そして、相変わらずやけどの皮膚に消毒クリームを塗布し、ガーゼをあてがっていますが、それを剥がす度に泣き叫ぶ幼い子供たちの声を聞いても心が痛まないのでしょうか?今までの方法を決して変えようとはしないのです。もっといい方法があるのに。
認知症の診断と治療においてもいろいろな誤解や懸念があって、より良い方向へ向けての医師どうしの理解や協力が得られないことも多く、それ故に一般の人々への啓蒙をし、医師を超える知識を持って自らの身を守っていただかなければならない事態も起きています。しかしながら実際は、お世話になっているかかりつけ医や専門医の前で、患者さんやご家族が診断、治療に疑問を持っても異をとなえ対等に話し合うことは難しいのが現状です。
緩和医療においては、1981年日本初の聖隷三方原ホスピスが民間により始まり、10年後緩和ケア病棟が政府により制度化されると急速に増加し現在は453の病院に緩和ケア病棟ができ、途上国に比べて薬剤の種類も多く、世界でも誇るべきシステムといえます。しかし、痛みを緩和するモルヒネなどの年間消費量は適正必要処方量の約15%程度で、欧米の国々に比べると非常に少ないことがわかります。まだまだ日本の多くの患者さんたちは辛い痛みを緩和してもらえず、耐えているという現実に驚いてしまいます。しかも麻薬は、ガンの痛みにしか効果がないと考える医療関係者も多く、ガン以外の痛み(例えば手術後の傷の痛みなど)に対しては、我慢をしいられるのが現状です。
日進月歩の医学、科学であっても、今までやってきたこととは違う、学校で習ったことと違う、学会や専門医が認めていない、或いは十分なエビデンスがないからと言う理由だけで受け入れないというのは、目の前で苦しむ患者さんや家族に最善を提供することを最優先とすべき医療や科学の発展の可能性を断つことにはならないでしょうか?みなさんは、どのようにお考えになりますか?イエスキリストの時代も、私達が生きている現代においても、その根は共通しているのではないかと私は思います。
安息日という、彼らにとっての絶対的な掟を犯したイエス、キリストをユダヤの人々は危険人物であるとみなして、今後は本格的に抹消する計画を立てて、十字架にまで追い込んでいきます。
それでは、主の聖餐にあずかりましょう。
1.主が唯一の神であること
2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3.神の名をみだりに唱えてはならないこと
4.安息日を守ること
5.父母を敬うこと
6.殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
7.姦淫をしてはいけないこと
8.盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
9.隣人について偽証してはいけないこと
10.隣人の家や財産をむさぼってはいけないこと
<カトリック教会・ルーテル教会の場合>
わたしはあなたの主なる神である。
1.わたしのほかに神があってはならない。
2.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3.主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4.あなたの父母を敬え。
5.殺してはならない。
6.姦淫してはならない。
7.盗んではならない
8.隣人に関して偽証してはならない。
9.隣人の妻を欲してはならない。
10.隣人の財産を欲してはならない。