ウクライナ避難民支援報告 第四便

上の写真はブカレストの凱旋門です。新しいデザインは、パリのエトワール凱旋門に近づけたものとなっており、石造の新たな門はジペトレ・アントネスクの設計により、1936年12月1日に完成した。凱旋門の高さは27mで、底部は25x11.50mの長方形となっている。ファサードの彫刻は、イオン・ジャレアやディミトリエ・パシウレアなど、ルーマニアの著名な彫刻家たちによって製作された。

聖書:イザヤ書 41:10
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。 驚いてはならない、わたしはあなたの神である。 わたしはあなたを強くし、あなたを助け、 わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」

 

前奏:

 

 

スチャバでは隣国ウクライナへのロシア侵攻の脅威を感じることはありませんでした。しかし、避難してきている方たちのご家族はいまだにウクライナにいて戦禍の真っ只中にあるのでどんなに辛い情況なのかを経験のない私には想像し難いことでした。今回の私の医療支援は直接的にウクライナの戦地にいる市民への医療活動ではありませんでした。私がでかけた8月は、毎日300人以上もの避難民が押し寄せてきた3月の情況(以下の写真)とは違い、避難民センターもかなり落ち着いていました。ウクライナに戻る人々、他のヨーロッパに移住する人たちが移動をほぼ終えていたのです。ルーマニアに引き続き滞在したいご家族で、家や就職先を探している人々が主でした。その他は移民の準備をしている青年たちやウクライナで心臓手術を待機している3歳の男の子と両親が滞在していたのです。ですから人々の援助のニーズ、侵攻直後の状態とはかなり違っていました。 

 「カイロスの本部」

 

「左端のご婦人がバレンティン先生の奥様のムラディタさん」

「Valentin 牧師」

                      

ルーマニアNGOカイロス代表のバレンティン牧師ご夫妻は、現在、人々の移民手続きのために尽力されたり、クリスチャンの人々にホストファミリーをアレンジしたり、新たな支援活動に毎日没頭しておられます。日本のクリスチャン団体からスチャバには1800万円の寄付をしていて、住居と食料、そして車のガソリン代をまかなっています。ルーマニアのクリスチャン団体は毎月の施設の費用に寄付を集めて支払っているのです。私が3月にここに来ていたならばおそらくほとんど医療活動だけで終わっていたことでしょう。日本の災害時の被災直後の数日間とはだいぶ違う状況でした。私の現地支援報告1-3便ではみなさんが想像されるような支援のイメージとは違い、戸惑われた方々も多くおられたのではと思います。「援助とはなにか?」と自問してみましても、まだまだ私には結論がでませんが、どんな場合にも固定観念で行動するのではなく、流動的な状況を把握しながらフレキシブルに人々のニーズに合わせて、医師として身体のケアに限定するのではなく、心のケア、霊的ケアも含めてひと時でも安らぎと喜びを持ってもらえることを目指しました。支援者としては、常に柔軟な思いで、ありのままの人々に共感することができればと思っています。

 

スチャバを出発する前にPCR陰性証明が日本に帰るときには必要な時期でしたので検査をしました。(日本政府は9月7日以降、PCR陰性証明の提示義務はなくなりました。)

ニュースでは抗原検査では陰性だったのにPCRで陽性になったために出国できずに、しかもホテルにも拒否されて困っているという日本人がいると聞いていました。私は海外旅行者保険をかなり手厚いものをかけてきていましたが、それはコロナ感染もカバーできるものでした。スチャバを離れたくなくて人々には「PCR陽性になったらもっとここにいられるし、素敵なホテルで過ごせるんだけどな〜。」というと皆さん爆笑していました。幸か不幸かPCR陰性証明を受けて、いよいよお別れの日がやってきました。運転の奉仕をしてくれているジョナタンに送ってもらい小さな空港に到着しました。

「スチャバ空港」 

「ジョナタン」

そこから約1時間でブカレストに着きました。そこには石川先生と親しいエリエゼル牧師先生が迎えに来てくださっていました。190cm以上の長身でガッチリとした体格の先生は、車椅子の提供をしているダニエルさんとよく似ている性格のようで明るくて冗談を交えながら話されるのですぐに親しくなりまた。奥様のダナさんと11歳のお嬢さんのレイチェルさんと落合い、3時のホテルのチエックインまで、ランチをご一緒にするという予定でした。こちらは14時頃がランチの時間です。ルーマニア料理のレストランを予約してもらっていましたが、それまで時間があるので歩いてブカレストの旧市街を案内してくださったのです。そこで、ルーマニアの歴史、特に共産主義のソ連が侵入し、「New Era」が訪れたといって、伝統ある建築物を破壊して、人々の貴い命を奪い自由を奪ったということを話してくださいました。

 

旅行にいっても私はツアーをするのはあまり好まない方です。歴史などの知識に乏しいのでなかなか興味がわかず、その国の音楽会に行くことやバレーやダンスを見ることのほうが楽しく、お花が好きなのでフラワーパークを散策するのが常でした。でも、先生からツアーガイド顔負けの説明を聞きながら改めて戦争やイデオロギーの違いで争うことがいかに人々を不幸にするのかと言うことがわかりました。

 

この建物は破壊されたあと再建されたものです。            

共産党はこのアパートを立てたのです。

 

途中、国立のオペラハウスでその夜にクラシックのコンサートがあるとのポスターを見て、先生に切符があるかどうか確認して欲しいと頼みました。すぐに事務所に入って聞いてくださったのですが、残念ながら全部売切れていました。

オペラハウス

     

ところが、予約してくださったレストランに入るとこのようなきれいな淑女たちの生演奏のアンサンブルが流れていたのです。なんという幸せでしょうか! 

食事は非常に美味しく、ゆっくりと楽しい会話ではずみました。

           

 

レイチェルがとっても可愛くてまた賢い少女でした。私には7人の孫がいますが、ここ3年間はコロナで会うことが出来ません。孫に会ったような気持ちになり、「いつか一年間、私の家でホームステイしたら?」というと目を丸くして即座に「行きたい!」というのです。奥様はその会話を楽しそうに微笑んで聞いておられましたが、先生が「オット、恵、それは祈ってみようね。」と消極的発言でした。「はは〜。心配なのですね、おかしな虫がつくと思うのでしょうか?」というとまさに図星でした。みんなで大笑い。デザートを食べながら、エリエゼル先生が少し曇った表情に変わってこのようなお話を始められたのです。            

 

奥様のダナさんは7歳の時にチェルノブイリ原子力発電所の事故でブカレストにいながら放射能汚染を受けて甲状腺癌になり手術をされています。現在は健康なのですが、4ヶ月ごとに肺への転移が無いかを調べているそうです。甲状腺ホルモンを補うため毎日チラージンというお薬を一生飲まないといけないのです。彼女はフルタイムのナースで12時間ごとの日中と夜間のシフトで3日目に1日お休みという大変な労働条件の中、経済的にもご家庭を支えながら牧師夫人としても活躍されています。しかし、お給料を聞きますとおよそ日本の45年前の額であることを知り大変驚きました。東欧は西欧に比べて経済的にもかなり厳しいのです。エリエゼル先生が牧会しているのは300名ほどの会員でとても大きな教会です。宣教活動も盛んで若者が大変多いそうで実に羨ましい限りですが、先生の1週間のスケジュールを聞きますと休む暇もないほどフル回転です。世界共通して牧師の給料は非常に少なく「神の僕は謙遜であるべきで、清貧に甘んずるべし。」という観念があります。家族を養い、子供の教育をさせるにはとても厳しい環境です。これでは牧師になろうとする人もいなくなります。特に日本は教会員も牧師も老齢化していて、この現象はまさに教会の存続さえも危ぶまれている情況です。私の祖父、父も牧師でしたので大いに共感を覚え、もっともっと牧師家族へのケアーがなされなければならないと痛感させられました。

翌日、長女のエリサさんも加わりご一緒に撮影。彼女は今年優秀な成績で大学の歯学部に入学されました。

 

話題を元にもどしますが、みなさんもよくご存知のニュースが報道されています。

「国際原子力機関(IAEA)のラファエル・グロッシ事務局長は9日、ウクライナ南部ザポリージャ原子力発電所の外部電源となる火力発電所内の送電施設が8日夜に砲撃され、原発のあるエネルホダル市が停電したと明らかにした。」とあるように,もしザポリージャ原発が爆発すれば戦禍でなくてもルーマニアはもちろんヨーロッパも、ロシア市民にも、風向き次第では大変な危険が及ぶのです。全ルーマニアの人口に間に合うように薬局に予防薬のヨードが提供されましたが、みんながドッと押し寄せて買い占められていてもうどこに行ってもヨードは手に入らないということでした。ザポリージャの原子力発電所はもっとルーマニアよりでしかも、その威力はチェルノブイリの10倍だそうです。

 

予防薬について聞かれましたが、私はその知識がなかったのでネットで調べてお答したのです。次女の11歳は1錠、 長女の方は19歳なので2錠を原発の爆発24時間以内に服用することでした。それ以上服用する必要はなく、その後は避難することが要求されるということを知りました。日本の場合は津波による福島の第一原子力発電の汚染でしたが、やはり予防薬においての混乱がありました。未だに故郷に住めない方々がおられます。チェルノブイリの被害は福島と同じレベル7でしたが、その人体に及ぶ影響は福島の6倍であったそうです。

 

自然災害、人的災害、または戦争における影響は、周辺諸国に広範に及ぶ危険があり、このように人の人生を狂わせるような悲惨なことは絶対にあってはなりません。

改めて私の認識不足を痛感した次第です。

 

 

今後ともウクライナだけではなく、ミャンマー、アフガニスタンはじめ、多くの戦争や差別の迫害を受けて避難されている人々に、私達日本国民がもっと関心を持ってなんらかの手を差し伸べる事ができるようにと願います。同時に、海外の隣人への支援とともに、私たちの近くの地域、向こう三軒両隣の方たちとも思いやり、気づかい、温かい交わりと助け合いがある町づくりに私から率先して努力をして参りたいと新たに思わされています。

 

皆様のご支援、本当に有難うございました。

すべての祝福を感謝し神様に栄光を帰します。

 

後奏:

 

祝祷:

イザヤ6・8

「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」

主イエス・キリストの御恵、神の御愛、聖霊の親しき御交わりが、地球上のすべての人々の上にとこしえにあらんことを

アーメン

           

 

            

 

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