旧約聖書物語(6-2)題名:サムソンの力の源
聖書:
サムソンは主に呼ばわって言った、「ああ、主なる神よ、どうぞ、わたしを覚えてください。ああ、神よ、どうぞもう一度、わたしを強くして、わたしの二つの目の一つのためにでもペリシテびとにあだを報いさせてください。」
もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです」
音声録音は以下からお聞きいただけます。
父:
さて、士師記も最後になって、今日はサムソンの話をしようかな?13章から16章に書いているのでとても長いよね。オペラや絵画にもこのサムソンが多く題材に取り上げられているのでドラマチックなお話が多かったよね。
母:
そうですね。礼拝用の紙芝居はコンパクトに作りましたけど、聖書をずっと読んでいくと面白いエピソードがたくさんありますよ。では、賛美して早速始めましょう。
前奏:「平和、川のように」
<紙芝居> 音声録音は以下からお聞きください。
勇:
イスラエル人が他民族であるペリシテ人の支配に苦しんでいた頃、ダン族のマノアという人物の妻のもとに主の使いが現れました。彼女は不妊でしたが、男の子が生まれて、その子はイスラエルを救うものとなるとのお告げがあったのです。そして、その子は生まれ名前をサムエルと名付けたのでした。
陽子:
天使は、「ぶどう酒や強いお酒は飲まず、律法で禁じられている食べ物も口にしてはいけません。また、生まれてくる子の頭には、かみそりを当ててはいけません。なぜなら、その子は神に仕えるナジル人として、生まれた時から特別に清められているからです。」と言ったので、両親はその通りにしたのです。そして、彼は成長するにしたがって驚くほどの力を発揮したのです。
父:
両親はサムソンをナジル人のように育てようとしましたが、本人は奔放なところがあり、敵対しているペリシテ人とも付き合っていたようで、一人の美しい女性に一目惚れをして結婚したいと両親に告げて悲しませました。しかし、切に願うので結婚を許しましたが、結婚式の披露宴の時に出した「なぞなぞの件」で花嫁がサムソンをだましたことから破綻となってしまいました。
勇:
その後、サムソンはまた、デリラという女性を愛するようになりましたが、この人もペリシテ人の人からお金をもらっていて、サムソンの弱点を聞き出そうとしてついにサムソンは髪を切ると力が出なくなることをいってしまい、ペリシテ軍に囚われてしまいました。
愛美:
彼の目はえぐられ、重労働をしいられました。そして、ある日、広場に出され多くの聴衆にその姿をさらすことで侮辱をしたのです。ところが、サムソンがその時に神様に立ち返り、この人々もろとも死ぬ覚悟で神様に祈りました。「今まであなたの教えに背いてきましたが、もう一度私にチャンスを下さい。私に力を与えてください。そしてペリシテ人を倒して私も死にます。」
陽子:
目が見えないサムソンは付き添いの若い青年に自分を柱に連れていってほしいと頼み、それを動かして建物を壊して瓦礫の下で死んでしまいました。サムソンの髪がまた長くなってきたので力がでてきたのです。死んだペリシテ人の数はサムソンが生きていた時に倒した人数よりも遥かに多かったということです。
ナジル人とは:聖書に登場する、自ら志願して、あるいは神の任命を受けることによって、特別な誓約を神に捧げた者のことである。「民数記」6章にその規定が次のようにある。ありとあらゆる葡萄の木の産物を口にすることを禁止される。葡萄酒、葡萄酢(ワイン・ビネガー)、生のまま、干したもの(レーズン)、まだ熟していないもの、皮、が列挙されている。髪を切ってはいけない。死者に近づいてはいけない。たとえそれが自分の父母であっても例外は存在しない。
音声録音は以下からお聞きください。
陽子:
サムソンって生まれる前から神様に特別な使命を与えられていたのでしょう?子供がいなかったご両親だったのに天使が現れて奇跡が起こるんだよね。それって素晴らしいなと思うけど、反面、色々な規則やプレッシャーがあったと思うとなんだかサムソンが可愛そうな気もするんだけど。
父:
そうだね~。自分からその使命を感じてするのが通常だけど、サムスンの場合はお母さんのお腹にいたときから特別にいただいたものだったから自覚がたりなかったのかもしれないね。神様はイスラエルを救うために12人の士師をその都度お与えになって平和が来るのだけど、またイスラエル人は堕落をしていったという歴史だったのは残念だけど僕たちの時代でもあることだよね。
勇:
そういうことだからサムソンはかえって反発したのかもしれないね。凄い力の持ち主で羨ましいな〜って思うけど、女性運が悪かったと思うな。愛した女性二人に裏切られるなんてね。
愛美:
結局、サムスンは自らが招いた個人的に不幸な出来事にあって、ペリシテ人をやっつけたけれど、最後は神様に立ち返り、イスラエルを救うという使命を果たしたのよね。40年間のペリシテ人からの支配から20年間は平和だったそうだけど、それも神様のご計画だったということなのかしら?
母:
そうですね。私達は神様の私達に対するご配慮というものをなかなか捉えきれないで自分たち勝手な方向に行きやすいのですね。でも、最終的には、神様は常に私達のいたらなさや弱さ、或いは、自分勝手な選択から正しい方向に導いてくださるお方だと思いますね。信頼して、また反省をしながら歩んで生きたいと思います。
父:
ペリシテ軍から最終的にイスラエルが勝利をするのは、その後、イスラエルが王政になって、サウル王やダビデ王がでてきてからだね。次はルツ記を飛ばしてサムエル記に入っていくことにしよう。
母:
それでは、お父さん、お祈りお願いします。
父:
はい、祈りましょう。
今日は、サムソンの誕生と神様の御心をまなび、またとても劇的なサムソンの生涯から神様のご計画の不思議さと、また私たちがどんなに寄り道をしても神様は最後まで見捨てられることはなく、反省し助けを求めるときに使命を全うさせてくださる方だということを学びました。
私達も日々正しい決断と行動がとることができますようにいつも御心を求めさせてください。
イエスさまの御名によってお祈りします。アーメン!
後奏:「Living Hope」