聖書:
前奏:
2023年が明けました。この一年、世界の人々が平和で住み良い社会になりますようにご一緒にお祈りしたいと思います。
私達はボストンから帰国して1ヶ月後の2001年9月にネパールの首都、カトマンズに行きました。夫はJICA(独立行政法人日本国際協力機構)の専門家として派遣され、学校地域保健衛生プロジェクトのチームリーダーとしての任務を遂行する仕事でした。このプロジエクトは夫が赴任する10年前から行っていたのです。
ネパールはエベレストで世界的に有名な国です。私も在外では初めてアジアの国ということで関心が高まりました。また、日本キリスト連盟の岩村昇博士が結核を患っているネパールの人々の村々に歩いていって診療されました。その援助として古切手や1円献金を集める運動を推奨されていたことで、小学校時代から私達兄弟も切手を集めていました。岩村先生ご夫妻が結核で親をなくして困っているネパールの子どもたち12人をご自分の養子として育てたというのは実に心温まるお話です。
長男の智之はボストンで高校を卒業し、ミシガン大学の「航空宇宙工学科」に進みましたので次男の義幸と3男の宣道の二人が私たちと一緒でした。
夫の事務所はカトマンズ市内でしたが、実際のプロジエクトの場所はカトマンズの近郊であるカブレパランチョーク郡でした。その仕事の主な内容は主に2つありました。
一つは、その地域には学校が115校あり、トイレという文化のないネパールの学校にトイレ、水道、そしてゴミ箱を設置することでした。
トイレと水とゴミ箱 トイレの使い方の練習
また、手洗い、歯磨きの重要性、救急処置の仕方を指導し、子供たちが実践できるように指導しました。また急峻な地域が多く崖から落ちて骨折や怪我をする人が多く、傷の手当や囲炉裏を使うのでやけどなどの応急処置を学ぶ必要があったのです。子どもたちがドラマを作って地域の人々に見ていただいて保健衛生の啓蒙などを試みました。
救急処置の訓練 生徒が保健衛生指導を行える
ドラマを作って保健衛生指導
もう一つは、婦人の地位の低い環境に対し婦人の識字教育を促進し、収入を増やす活動を支援することでした。153の婦人会のグループを作り、仕事が終わってから夜集まり、識字教育をし、農産物の育て方などを指導しました。また図書室の運営も始めました。
識字教育
野菜つくり
養豚
ところが、1996年から2006 年まで、共産主義者(マオイスト:毛沢東派)と王族の内戦が続き、山間部など全く入れなくなってしまった時期に遭遇してしまいました。活動地域の住民であるネワール族のスタッフだけがようやく、その目的の場所に入って直接指導するという情況で、せっかく軌道にのっていたプロジェクトも維持をすることが精一杯でさらなる進展は難しかったと聞いています。
JICA専門家やシニアボランティアの随伴家族として来られていたご夫人たちの多くとは楽しい交わりがありました。丁度日本から来られていたバレーの先生が健康体操を教えてくださり、その後に参加者全員でランチをして私の家を開放して行いました。また、お料理のレセピーを交換したり、お土産のお店を教えてくださったり、いろいろな貴重な情報を教えてくださったのも感謝でした。
シニアボランティアの箱崎さんのご夫人、雅子さんと知り合いになったのもこのネパールでした。彼女はミッションスクールの卒業生でもあって、キリスト教について質問をしてくださって私の話や活動にとても関心を持ってくださいました。彼女のご自宅にも何度か伺って美味しい「おやき」をご馳走になったことも懐かしい思い出です。
ネパールの気候は養蚕に向いていることから、JICAでは長年養蚕専門家が養蚕から絹糸の販路拡大まで現地人に指導していました。その一端で、箱崎さんは女性に収入の道を開こうと編み物の指導者養成というプロジェクトをたちあげておられました。ご夫人やその友人で編み物のプロの衛藤(えとう)夫人も箱崎さんに協力されたと聞いています。許可を頂きましたのでその時の写真の一部をご紹介致します。
息子たちはインターナショナルの学校でした。義幸はサッカー、宣道はバレーボールの課外活動でバングラディシュでの試合にも行きました。その他、ブラスバンドにも入っていて義幸はアルトサックス、宣道はトランペットを吹いていたようです。二人共ウィークエンドは友達と大いに青春を謳歌していたようでした。
教会も色々と行ってみましたが、最終的には夫と私は歩いて行けるほどの距離の韓国教会に、子どもたちは英語の教会にとそれぞれが別れて礼拝をしました。韓国の教会は祈ることが熱心で朝の5時からの早天祈祷会があり私も随分と感化され参加をしました。久しぶりに韓国の人々とも交流ができたのです。
アメリカから来ておられた宣教師のご夫人が祈り会をしていると聞きましたので参加をしていました。その後、彼女にお願いして英語のBible Studyを私の自宅でしていただき、英語を使いながら、キリスト教を知っていただく機会を作りました。また、ボストンの病院でアルメニアの女性のために祈ってくださった牧師先生の妹さんが伝道師でしたので来ていただき、我が家で働いてくれているヒンズー教のスタッフたち、ネパールの方と結婚しておられる日本人のご夫人、そのような顔ぶれでネパール茶を飲みながら聖書の話を聞いてヒンズー教とキリスト教の比較など毎回活発に質問がでて盛り上がっていました。
ところで、私はアメリカで牧師の修士課程を卒業できなかったことがとても残念に思っていました。アメリカでのチャプレンの研修の機会も将来できるかどうかわかりません。あと2単位をとれば正式にアメリカのチャプレンの資格がとれるとしても、アメリカに住む理由もなく、日本に帰国しても牧師ではないので病院のチャプレンとしては働くことはできません。チャプレンの使命が消えてしまいそうで、具体的な今後の方針も思いつかないまま八方塞がりだったのです。
ある日、日本から女性のお客様が訪ねてこられたのです。一晩泊まって頂いたのですが、その方と夕食後お茶を飲みながらどういう経歴なのかとお聞きすると、東京でJTJ( Jesus To Japan)という神学校を卒業されたということでした。彼女は牧師としての召命がないと思ったので牧師にはならず、キリスト教関係の職場で働いているとのことでした。そしてそのJTJは「いつでも、どこでも学べる」というモットーで、授業のビデオを送ってくださり、外国からでも通信教育で学べるシステムがあるというのです。
「これだ!」と思わず私は叫びました。その方からJTJの住所を聞き、早速入学手続きをして始めることにしたのです。そうするとまもなくビデオが一杯詰まったダンボールが送られてきました。私はもう夢中になって寝るのも惜しんで学びとレポート提出に没頭したのでした。それから神学校を卒業し牧師として按手礼を受けるまでには相当の年月がかかりましたが、神様は私の願いをこのようなお導きを通して叶えてくださったのでした。(つづく)
後奏: