礼拝メッセージ: 「賛美の力」
クリスチャンでなくても、賛美歌、聖歌、または、プレイジングソング、ゴスペルなど、どこかでお聞きになったことがあると思います。
以前、私が勤務していた病院のスタッフたちとの申し送りの前に、1分ほど音楽を流すことを許されていたのですが「アメイジング・グレイス」を選んだ時に、ある方が「ああ!これ、さだまさしの『風に立つライオン』のテーマソングよね。」と言われてびっくりしたことがありました。
キリスト教の礼拝の中には、祈りやメッセージ、聖餐式などがありますが、賛美はとても大事な役割を持っています。参加している人々と一緒に賛美をしているときや、素晴らしい特別賛美や演奏を聞くと魂を揺さぶられる経験をしたことはないでしょうか?どうして賛美にはそのような力があるのでしょうか?
音楽が持っている力でしょうか。たしかに音楽には、人の心に安らぎを与えたり、元気を与えたりする力があります。歌はその作者の心と情熱が凝縮されています。
けれども、賛美というのは、キリスト教においては音楽の力以上のものであるのです。
その理由は、
第一に、賛美の力を伝えようとしている真理の力です。どの賛美も、神様の大きな愛を表現していて、そのことに感謝をささげてほめたたえています。
第二に、賛美は信仰が基となっているからです。
今日は、通常のようなメッセージではなく、音楽中心にしたいと思います。
幼い頃から、教会や家庭礼拝で、親しみのあった賛美歌は「主我を愛す」と「いつくしみ深き」でした。日本語は文語体ですので、子供には少し苦手意識があったのかもしれませんが、内容がわかりやすかったのでそれなりに覚えることは難しくはなかったように思います。2曲聞いて見ましょう。
私が母親になった時、真っ先に息子たちに教えたのは子供賛美歌の「イエス様が一番」というものでした。なによりもイエス様という存在をまず知らせたかったのです。
私は、比較的保守的とされていたプロテスタントの教会と牧師の家庭に育ちました。主に賛美歌を歌っていましたが、ときどき歌う聖歌に大好きな1曲がありました。それは「キリストにはかえられません」です。今でもこの歌詞は私の人生のモットーとして目標にしているものです。
私は、韓国の梨花女子大学の医学部に留学をしました。もう48年前のことです。
当時、韓国はクリスチャン人口が約60%以上と言われていました。日本は、0.8%です。私の出会った韓国の方々はとても声量があって歌が上手でした。
数年前に知った韓国のオリジナルの賛美歌ですが、メロディーも覚えやすく、また歌詞も素晴らしいので、私なりに日本語に訳してみました。韓国語ですが聞いてみてください。題名は「イエスの道」です。
誰もいないと思っていたその場所で
手を差し伸べ、私を支えてくださった。
道に迷い倒れていたその場所で。
主は私に声をかけてくださり、
私の手を取りなさい、私が道であり、真理であり、生命である、と
私はその道を見つめる
主が用意してくださったその道、他の道には進むまい
イエスの道、その細き道
私は歩む、主の手を握って
何も恐れない、私には主との約束があるから
この世の険しい道、虚しい道、勝利するであろう、聖霊の導きで
何も望まない、私の望みは天にあるから。
最後にご紹介するのは、ブラジルで2年間滞在していた時に、3人の癌の末期患者さんを見舞ってほしいと牧師先生から頼まれて、私達は家庭訪問をして交わりをもたせていただきました。40歳のサラリーマンの独身男性、46歳の裁判官の男性、そして引退された60歳前後の男性です。それぞれの方々が尊い証を残して、天国に召されました。そのお一人の洗礼式のときに歌った曲が、先週の礼拝に小野道夫宣教師がオカリナ演奏をした「love lifted me」です。「愛につつまれて」とあえて訳したのですが、正式には聖歌422「罪の深みに」です。
賛美は、私達の霊性を高め、メロディーと短い言葉で語りかけてくれるメッセージだと思います。意味が深く、感動的なものがたくさんありますので、いつかまた、ご紹介したいと思っています。