前奏:
祈り: 恵牧師
賛美:
聖書朗読:ヨハネ福音書4: 40-54 道夫宣教師
メッセージ: 「役人の信仰」 恵牧師
特別賛美:オカリナ「主よおわりまで」讃美歌338番 道夫宣教師
応答のいのり: 道夫宣教師
祝祷: 恵牧師
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の親しき交わりとが、世界の人々の上に等しく共にあるように。
後奏:
ヨハネによる福音書 講解 第7回 「役人の信仰」 令和3年10月24日
サマリアの婦人との出会いが火種となって、二日間、イエスさまの一行はそこに滞在することになりましたが、そこで、多くの人々が、み言葉を聞いて、救い主として信じたと40節に記されています。
その後、ガリラヤに入られたとき、予想外にも、人々はイエスさまを熱く迎えたのです。そもそも、ガリラヤにおいては、なかなかイエスさまの教えが浸透しなかった時期があったのです。それなのに、この度、彼らの態度が一変したのはなぜだったのでしょうか?
それは、ガリラヤの人々が過ぎ越しの祭りでエルサレムに滞在していて、イエスさまの御業を直接見聞きしたり、イエスさまが、人々の注目の的になっていたからなのです。
御業を見ても信じない人や、かえって敵対心をあらわにする人々までもいるなかで、イエスさまを信じる人々が多くでたことは本当にすばらしいことだと思いますが、イエスさまご自身はその現象をどのように思っておられたのでしょうか?
その後、イエスさまたちが水をぶどう酒に変えたカナの村に入られると、カペナウムに住んでいた王室の役人をしている男性が訪ねて来ました。
カペナウムというのは、カナから東に35キロぐらいある町で、ガリラヤ湖の北端に位置しています。イエスさまのガリラヤ伝道の中心地でもありましたが、この町でも多くの奇跡が行われたにもかかわらず,人々は救い主として受け入れなかったところです。
王室の役人をしているという人ですから、社会的には上流階級並みの人物でしょうが、イエスさまを尋ねてきた理由はなんだったのでしょうか?
自分の息子が病気で、おそらく、あらゆる手段を用いたのでしょうが、瀕死の状態になってしまって、藁をもつかむ思いでイエスさまのところにやって来たのです。
最初からイエスさまには、ラビや、預言者とはいわないで、「主よ」と呼んでいることから、彼はイエスさまを神様の子として信じていて、どのような病気も癒やしてくださる権威をもっておられることを信じていたのでしょう。そして、自分の家に来ていただいて、癒やしてほしいと願ったのですが、
「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」(48節)
ずいぶん冷たいお言葉のように感じますね。またまた理解し難い場面です。ただ、この発言は役人ひとりに向けているのではなく、「あなたがたは」という複数形であることから、ガリラヤの人々を意識しているということに気づきます。今までにも予想外なことばや話の展開を見てきましたが、そこにはイエスさまの深い意図がありましたね。相手の状況、心の奥深いところ、すべてのことをご存知の上で語られているのです。
その人の立場からすると、「直接触れてくださらなければ、病気は癒やされない。」と考えたのかもしれません。このイエスさまの言葉は彼にとっては、非常なチャレンジだったと思います。もし、私なら、執拗に「一緒に来てください。今すぐわたしと一緒にきてくださらなければ、息子は助かりません。お願いです。」と涙ながらに訴え続けたかもしれません。皆さんならいかがですか?
すなわち、み言葉どおりに従うのか、自分の願いどおりにイエス様を動かそうとするのかという選択があったのではと思います。時間の経過は書かれていないのでわかりませんが、おそらく、彼は心の中では葛藤したのではないかと想像します。
はたして、この役人は、イエスさまが言われたとおり、主のお言葉を信じて、その通りに実行しました。自分の考えにしがみつくのをやめて(放棄して)主が言われた言葉を選んだのです。帰りながら、祈りつつ、ひたすらに信じて、自分の家に帰って行く様子が目に浮かびます。
その結果は4:51-53 にあるとおりです。願いは聞き届けられたのでした。そして彼と彼の家の者がみなイエスさまを信じたと記されています。
成熟した信仰を持つというのは、こういうことではないでしょうか?
神さまが初めに、天と地を創造された時、「ことば」によって創られたということをヨハネ福音書の1章で学びましたね。この出来事は、主の口から出る「ことば」そのものが命となって私達を新たに生かすのだという一つの証ではないでしょうか?
54節にあるように、同じカナでしるしを行いましたが、結婚式の時のしるしは「第一のしるし」、このたびのしるしを「第二のしるし」と記されているのですが、これはどういう意味なのかを最後に考えたいと思います。
これはしるしの回数や順序を意味しているのではないと私は思います。
最初カナでイエス様の意図ではなかったのですが、水をぶどう酒に変えた奇蹟は、公的な生活を始める前でもあり、母マリヤと弟子たちだけが知り得た初めての奇蹟であったということで、文字どおり、最初のしるしであったかもしれません。そして、このしるしによって、弟子たちも改めてイエスさまが神の子であることを確信しました。しかし、その後、多くのしるしを民衆の間で行ったはずですが、人々はそのしるしに驚き、それ自体に期待するという、まだ信仰としては第一ステップであったと思います。
ところが、この王室の役人の場合は、イエスさまのことばを信じ、それからその後に奇蹟を見ました。これが第二のしるしと言われている所以は、カナで行われた第2番目の奇蹟ということではなく、この役人の信仰が、イエスさまが望まれるような信仰であったからだと思います。そのため、著者の使徒ヨハネは、これを第二のしるしと名付けたのではないでしょうか?