聖書:
前奏:
小学校を卒業那智中学に入りました。中学では放課後のクラブが始まり、小学校の時には合唱部でアルトを歌って楽しかったのでもう一度入ることにしたのです。ところが、一年生の途中からブラスバンド部が新設になったという話を聞いて後ろめたい気持ちもありましたが、合唱部をやめてブラスバンドの応募を受けることにしたのです。
というのも1年前に明治大学の軽音楽部が演奏旅行で公演をしたことがあり、ジャズやポップスの素晴らしい演奏を聞いていたからでした。その中でも最も私を魅了したのはドラムスでした。曲は忘れましたがドラムソロがあってそのパワーに圧倒され、血が騒ぐほどの興奮を覚えたのです。
ブラスバンド部員になるための試験がありました。歌のテストと各自の楽器の適正を決めるということでしたが、私にはドラム以外考える余地はありませんでした。
ところが、ショックな事が起こったのです。
小さな山の小学校から来ていた藤原さんが小学校時代より鼓笛隊に入っていたので、マーチのドラムソロを素晴らしく演じたからです。「わ!すごい!」それは圧倒的でした。
私はドラムをしたいからブラスバンドに入ろうとしたのにこれでは絶体絶命です。
担当の音楽の先生である平野先生は「大田君、君がドラムを叩きたい気持ちはよく分かるし、練習すれば誰でもできるようになるけど、ブラスバンドが始まったばかりなので今できる藤原君にお願いしたいんだよね。」と慰めてくれました。そして、クラリネットやフルート、ピッコロを吹いてごらんと勧めてくれたのですが、する気もないので音も全く出ないのです。
失意のまま家に帰ってきました。
「おばあちゃん、私ドラムだめだった。でもね。どうしてもドラム以外の楽器はしたくないのよ。」「そうだったの〜。それは残念だったね。でも、メミちゃん、神様に祈ってみたら?」と大胆なことを言うのです。「え!祈ってもいいの?もう決まったことなのよ。私には可能性がゼロなのに。」と心の中で叫びました。
でも、思い直したのです。「いや、そうじゃない!信じれば山をも動かすと聖書には書いてあったよ、たしか。」
夕飯を食べたあと、割り箸で、藤原さんが叩いたあのマーチを繰り返し、繰り返しステンレスの台所で夜更けまで練習をしました。
「よし、できた!これを明日平野先生の前でやってみよう。これを上手にできたら補欠にでもしてくれるかも知れない!それでもダメなら仕方ない、諦めよう。でもやるだけやってみるぞ!
神様、助けてください。」と翌朝登校しました。すると、思わぬ展開が起きたのです。
授業が始まる前に、藤原さんが私にこのような話をするのです。
「大田さん、私ね。ずっと鼓笛隊だったか飽きちゃって、またドラムをするのは嫌なのよ。クラリネット吹いてみたいんだ。だから私から平野先生に頼んであげるから、一緒に今から職員室に行こう!」「嘘でしょ!ほんと!?」と言う暇もなく、彼女は私の手を取り平野先生のところに行ってその事を話してくれたのです。
平野先生は、「ふ〜ん。そうなのか。でもな〜。」先生の顔は残念そうで曇りがちでした。
やがて放課後になり、みんなが部室に入りました。
私は授業中も胸がドキドキ、「神様、どうか私に力を与えてください。きのう練習したマーチを失敗なくやり通すことができるように助けてください。お願いします。」と心の中で祈り続けていました。そして、ついにその時がやってきたのです。
そして持ったこともない2本のバチで、あのマーチソロを始めたのです。
すると、先生も生徒のみんなも私のソロを聞いてあっけにとられ、「一体、一日でどうしてこのマーチソロができたの!」と驚くばかりでした。こうして私は、ドラムを担当することができたのです。みなさん!こんなことが起きるなんて信じられますか?
平野先生はスネアドラムの他に、ドラムセットもだんだんとそろえてくださいました。
しかし、野外でマーチを演奏するためには、大太鼓が必要になりますので、他の女子学生が担当になり、いつも私達は一緒に練習をして最高の相棒でした。
私は、あまりに練習しすぎて、左指にドラムスティックが当たるので結節ができてしまい皮がむけて出血したこともあります。また、力を入れすぎてタムに2回も穴を開けてしまったこともありました。
ジャズに使うスイングがなかなか習得できなくて、部活が終わってからも残って練習をしていました。やっとできた頃にふっと振り返るとそこに平野先生がずっと見守っていてくれたのです。
コンサートの演奏中にこのようなパップニングが起きたこともありました。
大事なドラムソロの前に、緊張したのかスティックが1本だけ空中に飛んでしまい、床に落ちてしまったのです。先生やバンドの仲間が心配そうに見ていました。おそらく聴衆もわかったはずです。でも幸いなことに、すぐに拾うことができたので、あやういところで間に合いました。
その結果、お客さんはドラム・ソロが終わるといつもより大きな拍手をしてく出さって無事に終えることができたのです。神様が助けてくださり、コンサートを守ってくださったのです。
平野先生とは、生徒会の副会長をした時にも顧問でしたので息がピッタリと合っていました。先生は本来社会の教師でしたが、ピアノが驚くほど上手なために音楽を主に担当されていたのです。また編曲の才能には目を見張りました。奥様にお話を聞いたのですが、寝る時に枕元に5線紙と鉛筆を置いていて、夢にアイデアがでてくるとガバっと起きて記録するほどだったそうです。
休みにはお寺のお坊さんとしてのお仕事もされていました。木魚も打楽器として取り入れて、その音が非常にユニークで人々に笑いを誘うものでした。
「闘牛士のマンボ」では、先生が編曲をされてトランペットとサックスのソロの間にわざわざドラムソロを入れてくださりそれがバンドの花形になりました。女子のドラム奏者が珍しかった当時でしたので、いつも地方新聞には好評価を書いていただいていました。
グレン・ミラー楽団のヒット曲の「茶色の小びん」や「アメリカンパトロール」、当時朝のテレビ小説でおなじみの「おはなはん」の主題歌、「ひよっこリひょうたん島」、和歌山県の吹奏楽部コンテストで銅賞をもらった「スッペ作曲の軽騎兵」、毎年の出初め式には「君が代」を演奏しました。私達のレパートリーは次第に多くなって半年ごとの定期演奏会を開いて東牟婁郡でははじめてのブラスバンドとして知られるようになっていったのです。
神様は私達のひたむきな望を決してないがしろにはなさいません。慈悲深い神様だということを体験しました。私はこのような小さな出来事をとおして神様のご配慮と愛を受けてきましたので、今日70歳に至るまで神様が扉を開いてくださる時も、反対に閉じられる時も神様との信頼関係を崩されることは一度もありません。神様は雲の上におられる遠い存在のお方なのではありません。私達の身近におられて関わってくださり、励ましてくださるご人格を持っておられる神様であることを皆さんに是非お伝えしたいと思っています。(つづく)
聖餐式:
後奏:
茶色の小びん
https://www.youtube.com/watch?v=VZ4IQzAMM2oアメリカンパトロール
https://www.youtube.com/watch?v=Tp39VB8jsis
TVドラマ「おはなはん」
https://www.youtube.com/watch?v=lDlh3D7xMPs
ひょっこりひょうたん島
https://www.youtube.com/watch?v=dZZLs3C9umg
スッぺ「軽騎兵」序曲
個人、募金箱を置いてくださった方々、そして3回による街頭募金を5月11日で締め切らせていただきました。合計は次のとおりです。
228,564円
なお、5月28日に行われます第二回防災フォーラム、音楽コンサート開場にも募金箱を置かせていただきますので、それを合わせましての最終合計を改めて皆様にご報告させていただきます。ご協力くださいました皆様、また関心を持ってお祈りくださった皆様に心から御礼申し上げます。
小野までお知らせください。
090-4901-7608
onomegumi99@me.com