前奏:
スイスの証の第1回目に、韓国教会の有志のメンバーと、水曜日の夕方集まって聖書の学びと祈祷会をして祝福が多いにあったことをお伝えしました。
一年にわたり、毎週集まりましたので、全てをお話はできませんし、また残念ながら記憶に残っていない恵も多いのです。今回はその中の2つの出来事をお伝えしたいと思います。
統一教会に足を踏み入れた少女:
教会の軸となって牧師先生を支えておられたMrs.李の姪(17歳)が、韓国からこられていて彼女の家でしばらく滞在をしていましたが、いつからか統一教会(正式には世界基督教統一神霊協会)の人々と接触をしていたらしく、李さんご夫妻は悩んでおられました。
李さんは、スイス生まれのご主人と結婚されていましたが、ご自分のお子さんはおられず、この姪を子供のようにかわいがっておられました。彼女は幼い頃からリトルエンジェルスという韓国の芸術団にはいっていて選りすぐりのタレントがあったそうです。高校生になると有名な音楽芸術高校に入り「カヤグム」という日本のお琴のような楽器を専攻しました。スイスではハープの勉強をしたいという希望を持っていたようです。
参考:
私自身、韓国の医学部に留学することになったきっかけはこの統一教会でした。2ヶ月間、東京のドクター達の宿舎で大変お世話になりました。人間的にはとても純粋で人格的にも尊敬できる方々でしたが、ただ一点、文鮮明がイエスさまの復活の姿だということは合い入れることが出来ず、きっぱりと別れを告げてそこを出ました。その後、車潤順さんにお会いして韓国に留学することができたことはすでにお話したとおりです。
この信者になりますと、やがて文鮮明による結婚相手のマッチングをされて、集団結婚を勧められます。自分の家族とはまず「縁をきりなさい」と言われて集団生活をしながら、ついに文鮮明が再臨のイエスと信じるように洗脳されていきます。
外国のスイスでどう具体的な対処をすれば良いのかとみんなで思案しましたが、解決の糸口が見いだせずにいました。私達には理論で彼女を説得するほどの専門的な知識もなく、たとえ理詰めで説得しても困難なことは想像にかたくなかったのです。みんなでひたすら共に祈り続ける以外なかったのです。なにも起こらないかのように見えました。しかし、私達がブラジルに行く数週間前に彼女が統一教会の信者にはならないと決心したという朗報を受け、その後、彼女は韓国教会に毎週礼拝に来るようになったのです。私たちは祈る以外何もできなかったのですが、このような時も聖霊は見事に直接彼女の魂に働きかけてくださり、導いてくださったということがわかりました。
次男、義幸の不慮の事故
新聞の広告欄に、スイスの青年たちが「日本語のグループレッスンを無料で提供してくださる日本人のご家族はいませんか?」という見出しに私は釘付けになりました。早速、連絡をして、毎週土曜日に自宅をオープンして私達夫婦は初めて外国の方に日本語を教えることになりました。なかなか現地の人々と接するチャンスがありませんでしたので、毎週楽しいときを過ごすことが出来ました。子どもたちも若い青年たちに遊んでもらってとても楽しそうでした。
ある土曜日のこと、レッスンが終わり、みんなでリラックスしていた時でした。夫が次男を頭上に高く上げて遊ばせていたときに、うっかり手をすべらしてしまい、義幸は頭から真っ逆さまに床に落下してしまったのです。
大声で泣いている息子の口から血がしたたり落ちていました。前歯が折れているようです。スイスの青年たちがすぐに車を出してくださり、市内の病院の救急室に連れて行ってくださいました。幸いにも意識も正常で、数日後起こる可能性のある急性硬膜外血腫もなく過ぎましたが、だんだん口の悪臭がひどくなりました。どうやら細菌感染を起こしたようです。すぐに歯科医につれていき、抗生物質を処方していただきました。その効果はめざましく2日後には匂いもすっかり消えました。その時の歯科医師は「前歯は乳歯なので硬いりんごなどを食べさせて落ちるようにしたほうが良いですよ。」という助言をされたのです。
ところが、何かの本で、乳歯であっても早くとってしまうと隙間ができて歯並びが悪くなるので、できるだけ温存したほうが良いと書いてありましたので心配になってきたのです。
祈祷会で祈っていただきました。私達の祈りのお願いはできるだけ抜歯しないで持ちこたえられるように祈って欲しいということでした。ある方はそこまで祈らなくても、乳歯なので良いのではという意見もありましたが、もう少し様子を見てセカンドオピニオンをお願いして、グラグラしている前歯をとったほうが良いというならば抜くことに決めたのです。それまでは、守られるようにと一致して祈りをしていただきました。
2ヶ月後、他の小児の歯科医師に連れていくと「これは温存出来ますよ。大事にしてあげてください」ということでした。神様がここまで癒やしてくださったのだと感謝でいっぱいでした。祈ってくださったみなさんも大変喜んでくださり、癒し主である主に栄光を帰しました。
私達の祈りに神様は必ず応えて下さいます。私達の叫びを神様は受け止めて下さるのです。私達が心にある思いや願い、悩みや不安、たとえ愚痴でさえもどんな事でも遠慮なく訴えて吐き出せるのは何と幸いな事でしょうか。祈りを叶えて下さる神様に感謝をささげることを決して忘れないようにしたいと思います。
しかし、祈りは「魔法」ではありません。また、自分の願いを実現するための手段でもないのです。祈りは神様との対話であるということはたびたび申し上げてきました。祈りの中で、方向転換を促される時もありますし、また、私が正しい祈りをしていないと気づかせてくださるときもある事を同時に心に留めたいと思います。
余談になりますが、以下のことを記して終わりたいと思います。
クリスマスが近づいた頃、いつものように青年たちと日本語レッスンをしていましたが、その仲間のうち珍しくお二人が都合で欠席ということでした。
しばらくすると、「ピンポン」とベルがなったのでドアを開けてみると、なんとそこには赤と黒のサンタさんが大きな袋を持って立っていたのです。子どもたちは興奮して歓声を上げて喜んだのは言うまでもありません。とにかく中に入っていただきました。でも、かれらこそが欠席だと言っていた青年たちが変装をして私達を驚かせてくれたのでした。青年たちは私達への感謝の気持を表すためにこのような思い出をくださいました。まさに、スイスで迎えたクリスマスの最高の贈りものだったのです。
後奏:
付記:来週からは、スイスに別れを告げ、ブラジルに移ったときのお話になります。
ご期待ください。
神様はときどき私達の計画にストップをかけられることもあります。でもそれは、否定を意味するのではなく、私達も不可能だから諦めることでもないのです。
神様の「時」が必ずあることを私達はいずれ知ることになるのです。
神様に信頼して進んでまいりましょう!