ウクライナ避難民支援報告 第三便
写真
上の写真は、惠牧師、医師が泊まり込みで、診療所支援にあたった、ウクライナ避難民センターを運営する組織「カイロス」から贈られたものです。

イザヤ書40章31節が刻まれた鷲の像です。

「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」

 

日本を出発し、ウクライナの国境にあるルーマニアのスチャバで過ごして帰国するまでに多くの人々との素晴らしい出会いがありましたので、今回はそのことを皆様とシェアしたいと思います。

 

みなさんは、普段の生活の中での幸せや充実感などを感じるのはどのような時でしょうか?

私は人々の悲しみや喜びに接して、お互いが共感できたときに一番生きがいを感じますし、それが至福のときと言えます。

 

今回はまさにショートミッションでしたが、私にはウクライナの人々の悲しみに寄り添う方法として医療コンサルタントやリラクゼーションに役立つ指圧や太極拳の準備をして参りましたが、一番彼らが喜んだことは、遠い日本の国から来てくれたという事実そのことでした。また、次いで一緒にイベントや楽しいことを共有できたこと(折り紙、フラワーアレンジメント、お寿司づくり、太極拳等など)そしてお話を聞いてくれることだったのではないかと想像しています。

 

私がイメージしていた医療そのものの提供は決して無駄ではありませんでしたが、ずっと彼らの心に残るのはむしろ、前者の楽しい思い出が今の苦しい時の慰めであり、喜びであったのではなかったかと思っています。今回はいただいたお薬を税関で通過出来る程度の量を厳選して持参しましたが、全てお役に立って喜ばれました。来年は道夫医師とともにウクライナの戦後の復興時のニーズがあればウクライナに入る事ができるのではと期待しています。そのときにも残りを持っていけると思っております。この紙面をお借りしまして、提供していただいた各クリニック、薬品会社の皆様に心からから御礼を申し上げます。

 

真剣に祈って応援をして下さった方々の中にはちょっと不満足というか「何だ、こんなことをしにわざわざ行ったのですか?」とがっかりされた方もいるかも知れません。初めての戦禍における外国での支援ということで不充分であったと思いますがお許し願いたいと思います。ただ、私はここで「支援とはなにか?」という大きなテーマを頂いたように思います。さらにこの体験を生かして改善してまいりますので今後の私達の活動を引き続き見守っていただきたいとお願いする次第です。

 

ウクライナ国境に近いルーマニアのスチャバでは家々はとてつもなく大きくて、広い庭にはバラが見事に咲いていました。窓際には色とりどりのきれいなプランターにお花を植えているのが目につきます。まるでスイスの光景です。ウクライナ支援センターは避難民の流動がありますので建物と敷地を借りています。

これもまたすばらしい建物です。

駐車車も広く、子どもたちの遊び場も安全に設置されています。すべては個室でトイレ、洗面所、シャワーがついていて、広いキッチンには、マイクロウエイブ、自動コーヒーのセットと、また、各種のハーブティーも備えられています。4階建てですが各階には冷えている水が置かれていて、共同ですがキッチンと3階には大きな冷蔵庫が備えられています。現在はケイタリングで3食届けられています。メニューはポテトのフライかマッシュポテトにお肉(チキン、豚、牛)にピクルス各種やキャベツの酢漬けなどです。

 

特にスープは具沢山でとても美味しいのです。ポテトもホカホカで2kg太ってしまい、帰途の飛行機食はベジタリアンにし、帰省してからダイエットして戻しました。

 

残念なことは、ガス、電気を使える設備がないということでした。どんなに美味しいメニューでもやはりルーテイン化すると偏ってしまいます。私はお野菜が足りないので近くのスーパーで買い補充をしていました。

 

もうひとつ、私は駐車場の両脇にあるスペイスにその建物とはアンバランスにも無造作に伸び切った雑草がどうしても残念でなりませんでした。なんとかここにきれいな花を植えることはできないかと思っていたのです。私が道端のお店で買ったピンクのバラをそこに植えることにしました。スコップがないので、スプーンで硬い石を取り除きながら作業をしていましたが、ふと見上げると自転車で遊んでいた5歳の男の子がいたので助けてもらうことにしました。二人で草を取り、硬い石を掘り起こしながら彼がそのバラの株を植えてくれたのです。

 

フラワーアレンジメントの日は8月17日で、私の71歳のお誕生日でした。イギリスの宣教師が奉仕者の名札を作ってくれたのですが、そこに登録をした時に彼は知ったようです。お誕生日の朝に”Megumi, Happy birthday”と言ってくださったのでびっくりしました。その後にウクライナ人ですがスタッフとしてオフィスで働いている青年もそのように声掛けしてくださったので”How did you know that?” と聞きましたら、”It may be magic”といたずらっぽい目をしながらいうのです。夕方になって、”Dr. Megumi, could you come here?” という声が後ろでしたので、また患者さんが来られたのかと思って” Sure, I’m coming” と振り返るとこのような光景だったのです。

ルーマニアのスタッフのマネージャー、心理士とあとはウクライナから来てスタッフとして仕事をしている人たちが集まってくださったのです。異国で期待もしていなかった自分のお誕生日を祝って下さる人がいるというのは本当に感激ですし、まさに奇跡だと思いました。

 

ある一人のウクライナの女性が翌朝、私の部屋のドアをノックしました。すると真っ赤なかわいいバラの花を抱えていました。「昨日はフラワーアレンジメントに参加したかったけど仕事で遅くなり駄目だったの。それでうちの家族からのお祝いでこれを持ってきました。」というのです。洗濯は順番待ちで9時からということで私は仕事があるので先に洗濯物を入れておくのですが、来て見るといつのまにか回してくださり、そして干してくださっているのがその人のお母さんでした。こちらがお世話になっているのに私の大好きなお花をくださるなんて涙が溢れてしまいました。「実は昨日は私のお誕生日だったの」といいましたら大きな体でハグをしてくれたのです。

 

その花を大事にお部屋に飾って楽しんでいました。そしてもうひとつ黄色の花を買っておいたのです。日本に帰る時に一緒に植えていこうと思っていたのです。ところがなんとしてもあの草が気になり、一人で草を引いていたのですが、とても硬い粘土質の石だらけの土で、根が張っていてなかなか素手でできるしろものではありません。半分諦めて3種類の花だけ植えていこうと思っていたら考えもしなかった人に神様はめぐりあわせてくれたのでした。

 

隣の敷地にあるバプテスト教会に毎週礼拝に行っていたのですがその帰りに、あるおじさんが施設の敷地内で葡萄の房をとって食べていたので、”Hello! What are you doing?”と不躾な言い方で話しかけたのです。実はその人はこの施設を貸しているオーナーで隣の家に住んでいたのです。

「しめた!」と思いました。「実はこのスペースを耕して花壇にしたいけど、草が到底私の力では抜けないのです。なんとか道具をお借りしたいのですが…。まさか草刈り機はないですよね?」というと「あるよ」というのです。「明日人に頼んで草刈りをしましょう。」とすんなりとおっしゃるのです。もうびっくりしてしまいました。そこで、カイロスという組織の責任者であるバレンティン牧師夫妻に「お花のプロジェクト」をしたいと提案をしたのです。

 

「敷地のオーナーであるイワンさんが、賛成してくれて、明日、草を刈ってくれるといいます。硬い石のある土は処理をして運んでその代わり豊かな黒土を敷くのは私達の献金で致します。お花はルーマニアの人々の有志がご自分の庭から1−2株の苗をくだされば良いのではないでしょうか?」と話をしました。「良いアイデアですね。もう少し考えてみますので時間をください。」とのお答えでした。そしてとうとう私が帰国する4日前の土曜日に「青年のキャンプがあってその有志に来てもらい作業をしてもらうことになりましたよ。」という知らせをいただき実現するのだと大喜びしました。ただし、色々とルーマニアのクリスチャンには今までご協力を頂いているのでこれ以上お願いできないという事情も話されたので道夫医師と相談の結果、私達が肥料とお花の購入費用を出すということにしたのです。

             

ところがどこで花を買ったら良いのかわかりません。以前赤いバラをくださった人と近くのオーソドックスの教会に行くとそれは素晴らしい花を飾っていたのでその司祭様に聞けば良いと思い訪ねていきました。そしてその場所を教えてもらっていたのです。

 

土曜日を待ちかねて、運転の奉仕をしてくれているアメリカの青年とルーマニアのマネージャーと私で買いに行きましたら昨日仕入れしたばかりの新鮮な菊の花があるとのことでその店にあったものを全部買い占めてきました。そして素晴らしい花壇が出来上がりました。その時に私が植えた小さな花を反対側に移してもらいました。

 

 

日曜日の朝、水をやっているとあのオーナーがやってきて、どのくらい費用がかかったのかと聞くのでUSドルで約200ドルですと応えましたら、あなたに全部負担をかけるわけにはいかない。半分私が払うからと言ってきかないのです。それで、彼もこのプロジェクトに賛同してくれた一人ですので半分を頂くことにしました。そのお礼も兼ねて、日曜日の夜は彼の家のキッチンを使わせていただき、ベジタリアンの彼に3品作り、自家製の赤ワインを頂き乾杯したのでした。

 

その後、予想もしなかった事が起きました。二日間にわたり他の青年たちが車に観葉植物を積んできて、玄関の前に置き始めたのです。

    

こうして色々な人々の善意とご協力でこのプロジェクトは短期間で出来上がりました。これを一番喜んでくださったのは施設に住んでいるウクライナの人々でした。ウクライナではグリンハウスで花づくりをしていた人がいましたし、この戦争ですべてを失ったという方もいました。「この花をウクライナ語では「хризантема」(フリザンテーマ)というのですが日本ではどういいますか? 僕もこの花を栽培していたのでとっても嬉しいです。これは日本の国花でしょう?」と言ってくださいました。また89歳の最高年齢のご婦人が花を植えようとしたけれども体力がなくて続けられなかったそうですが、私がお部屋に訪問したら両手を広げて喜んでくれたのです。

 

ルーマニアのご夫人お二人との友情がその間に芽生えました。

 

お一人は、バプテスト教会の礼拝で隣に座ったご夫人、Ancaさんです。色々と事情を聞いてくださり、ドライブに連れて行ってくださって、郊外の4星のホテルでお茶をごちそうしてくださってルーマニアのキリスト教の歴史や共産圏が入り込んだときのお話などを教えてくださいました。都合で参加できませんでしたが、月曜日ごとのお家の祈祷会にも誘ってくださったり、親しく交わることが出来ました。彼女はとても信仰深く明るい家庭夫人であり、ウクライナの移民のために色々な手続きをするお仕事をフルタイムでしています。

 

もうひとりはMagdalenaさです。この家族はスチャバに来る前に私達日本人グループを1泊させてくださったかたでした。日曜の午後に、美味しいスィーツとコーヒーのお店に連れていってくださり、ひと時のリラックスの時間を私に提供してくれました。彼女はテモテ聖書神学校の第一期生で牧師の資格を持っていますが、現在はルーマニアのCEF(Child Education Fellowship)というクリスチャン宣教師団体の文学コーディネーターとして翻訳をしています。日本にもこのお仕事で来られたことがあるそうです。左は夫君のNeluさんです。

 

また、私はバスを利用して買い物などをしていました。今回は英語に限られていたのでしたが、ほんの5分ほどの会話でもとても貴重でした。高校生のグループの人たちと大笑いしながらバスの中で話したことも思い出になりました。ルーマニアには日本人はほとんどいないようで、中国人とよく間違えられました。東洋人でバスや道を歩いている人にはついぞお会いしませんでした。飛行機の中でもブラジル2世のご夫人やブラジル人の家族ともメールの交換ができましたし、ウクライナの若いカップル(ダンサーとアクロバット)でドイツかフランスに移民したいという方々にもお会いしてお話を聞き、名刺を差し上げて日本に来ることがあれば連絡して欲しいと言ってお別れをしました。また、単身赴任でブカレストにベトナムから出稼ぎに来ている女性ともお会いできて色々なご苦労話を伺いました。その他、ルーマニアの子どもたちとの対話などもありましたが、このように沢山の人々に出会わせていただき、その感謝をどのように書けばよいのかと迷います。日本では見知らぬ人と会話をするチャンスはほとんどないのですけれど、自由なまじわりができるルーマニアというラテン系の国ならではの環境があったからこそかもしれません。すべての出逢いにこころから感謝する次第です。

 

これは、私がこのセンターを去る前の夜に皆さんが私にくださった身に余る言葉とこの色紙です。翻訳は以下です。

敬愛するめぐみ

あなたの思いやり深い心に感謝します。
毎日、あなたは私たちにたくさんの積極的姿勢と暖かい共感を与えてくださいました!今、私たちは太極拳を少しわかるようになりました。これからも練習をします.

あなたとあなたのご家族に神の祝福が豊かにありますように。
あなたは私たちの心の中に永遠に残ります。

太極拳最後のレッスンの風景です。
<お知らせ>
次回は帰国の一日前にブカレストで一泊をした時にお会いしたエリエゼル牧師ご一家との楽しい出会いと、その中で大変な危機感を感じたことを述べたいと思っています。そしてこのシリーズを一旦終わらせていただきます。

 

 

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