家族礼拝シリーズ 第3回
家族紹介:
新登場:山田真也(しんや)32歳、サラリーマン。お父さんの弟。
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父:
「みんな嬉しいニュースだよ。真也おじさんがね、明日久しぶりにうちに訪ねてくるんだって。お仕事でフィリピンとロスに行っていたらしいよ。飛行場から近いので一晩泊めてってメールが来たんだ。」
勇:
「わーい!おじさんに会うのは久しぶりだね。おじさんはジョークがとっても上手でお話が楽しいよね。」
陽子:
「おじさん、しょっちゅう外国に行くのね。今度、お土産あるかな?イヒヒ。」
愛美:
「お母さん、うんとご馳走つくりましょう!」
母:
「そうね。どんなメニュ〜がいいかしら?。」
愛美:
「おじさんやっぱり和食を食べたいんじゃない?」
お父さん手作りのアップルパイ
題:「放蕩息子のたとえ話」
聖書:
ルカによる福音書15章:7節
「罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」
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父:
「今日は真也おじさんと一緒に家庭礼拝をします。まずは、歓迎の拍手をしよう!」
全員:
「パチパチ」
真也:
「有難う。」
母:
「じゃ、元気よく賛美をしてからビデオを見ましょうね。」
賛美:
ビデオ:
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父:
「このたとえ話は有名だよね〜。ストーリーは省略するよ。まず登場人物はどういう人たちだったのかな?」
勇:
「イエスさまと弟子たち、そして、パリサイ人や律法学者もいたね。それからたとえ話はお父さんと息子二人だったよね。」
(参考)
律法:
旧約聖書の最初の 5 書、つまり創世記から申命記までをいう。 「神」がモーセに口述したとされるところから「モーセ 5 書」「トー ラー」とも呼ばれ、この中に「十戒以外」に「600 以上の諸規定」が含まれる。
律法学者:
旧約聖書の律法の学びに専念する学者のこと。多くの律法学者がパリサイ派に属していた。
パリサイ人:
『新約聖書』の中のユダヤ教内の一派をなす人たち。パリサイという名前は「分離された者たち」という意味である。ユダヤ教の律法を熱心に研究し、厳格に守っていた。元来は律法を守って罪に陥らないようにするためであったが、行き過ぎてしまい、守れない人たちを裁き、傲慢になってしまっていて、形式化してしまっていた。
取税人:
ローマ皇帝への税をユダヤ人たちから集めるのが仕事。しかし、支配者であるローマ人の手先であること、決められた税より多くのお金を取ることなどが原因で、人々からは嫌われていた。だからこそ、パリサイ人や律法学者たちはそんな取税人と仲良くしているイエスを批判したのである。
父:
「勇のいうとりだね。ところで、イエスさまは何故このたとえ話をされたと思う?」
愛美:
「イエスさまが罪人や取税人(当時ユダヤ社会では忌み嫌われる存在)などと仲良くしていたのを律法学者たちが悪口を言っていたからでしょう?でも、イエスさまの『たとえ話』って筋はわかりやすいのだけど、何をイエスさまはおっしゃりたいのかがよくわからないことがあるのよね。」
真也:
「へー。愛美ちゃんは深いこと言うね。驚いたな〜。ハハハ。」
母:
「ところで、陽子ちゃん、あなたはお兄さんと弟とどっちが好き?」
陽子:
「そりゃ、お兄さんにきまっているわよ!だって弟はわがままで家出しちゃったんだもん。みんなに心配させたしね。」
父:
「ああ、それはそうだよね。」
勇:
「でもね、お兄さんもちょっと冷たいとは思わない?」
愛美:
「私もそう思うわ。せっかく悪かったって反省して帰ってきたんだから、温かく迎えてあげなきゃね。」
陽子:
「うん、それはそうだよね。でも、お兄さん真面目に働いてきたのにかわいそうじゃない?ちょっとお父さんが差をつけすぎたと思うよ。」
真也:
「陽子ちゃんはなかなか手厳しいな〜。」
勇:
「お父さんは神さまのような人だと僕は思ったよ。弟はとても大きな過ちを犯したけど、全てを赦してくれて元の息子として受け入れて愛してくれるんだからね。」
愛美:
「お父さんはお兄さんにもきちんとわかるようにお話をしてあげたから、お兄さんもわかったと思うけど、でも、本当はどうだったのかしら?」
父:
「さっき愛美がイエスさまのいいたかったことはなんだったのかという疑問があったけど、このたとえ話は弟子たちもなかなかわからないと言っていたよね。こんなどうしようもない放蕩息子を条件なしで迎え入れるだけでなく、お祝いまでしてあげるんだからお兄さんが納得できないのも当然ではないのかと考えられるよね。ところが、イエスさまはそうじゃないんだね。」
陽子:
「わかった、だから『イエスさまは愛のかたまり』なんでしょう?」
父:
「名言だね」
真也:
「あのね、おじさんもかつては『放蕩息子だったんだよ。』
全員:
「え!」
陽子:
「おじさん、ホント? 信じられない。」
真也:
「長くなるから、また改めて話すけどね。このたとえ話は今でもあることなんだよ。」
母:
「少し説明を加えさせてくださいね。このお兄さんというのは、パリサイ人や律法学者の人を意味していました。旧約聖書の掟を守り、自分たちこそが神さまに選ばれた人間だと疑いませんでした。いつか救い主が生まれると信じていましたが、それがイエスさまだとは決して考えなかったのです。そしてイエスさまが少しでも律法を犯したら訴えようとしていたのです。律法のうちでもとても大事だった安息日にイエスさまが取税人と食事をしたり、病人をお癒しになったりして民衆に慕われていたのが我慢ならなかったのでしょう。
陽子ちゃんが、ずばり『イエスさまは愛のかたまり』といったけれど、イエスさまは別け隔てをせずに、みんなから嫌われている人々や弱い立場の人々とお友達になってくださったのですね。そういう人々が悔い改めて神さまの愛を知って欲しいというのがイエスさまの願いだったと思います。それからもう一つ考えてみたいことがあります。
イエスさまは律法学者やパリサイ人を単に非難しておられるのではないということです。それはどういうところに現れているかと言うと、愛美ちゃんが言っていたように、お父さんがお兄さんのところに行って、お父さんの気持ちを説明したと言っていましたね。そこに注目をしたいのです。神さまの国を受け継ぐのはお兄さんのような人々なのだから、神さまのご計画に気づいて欲しい、イエスさまこそが、神さまの独り子で救い主であることを信じてほしかったのだと思います。そして救われた人を一緒に喜んでほしかったのだと思います。神さまは昔も今も一人も滅びないで、すべての人が救われて幸せな人生を送ってほしいと望んでおられるのだと思います。
それでは、もう一曲賛美して、最後に愛美ちゃん、お祈りお願いします。」
賛美:
お祈り、愛美:
「神さま、今日は真也おじさんと一緒に礼拝できて有難うございました。神様はどんな人をも、また私達が失敗したときにも愛してくださることをもう一度学びました。私達もイエスさまのように愛せる人になれますように助けてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン!」
真也おじさんの証を添付します。自己紹介 - 小野宣道
<ご報告>
白内障の手術は大成功のうちに終わりました。とても経過が順調です。皆様のお祈り、ご心配有難うございました。佐藤先生ありがとうございました。神様に感謝と栄光を帰します。
眼科医師の佐藤昌昭先生は昨年、私がウクライナ支援のためにルーマニアのスチャバにある避難センターに行きましたときに、たくさんの眼薬を寄付してくださいました。ユニークで子供からご高齢の方までに大変喜ばれておられる地域の星としての存在です。多くの海外国内でのマラソン大会にもユニークなコスチュームで出場され、かつ優秀な成績を収められています。