令和4年6月12日 礼拝メッセージ:証集:海外での主のめぐみ ―スイス(チューリッヒ)(2):「2つの忘れ物」」

聖書:

使徒行伝20章:35節
「受けるよりも与えるほうが幸いである。」

前奏:

 

2ヶ月前に突然、新宮警察署から一通のハガキが届きました。私が生協で買い物をした際にお釣りの2千円を受け取らないで帰宅したようなのです。レジの女性が気づいたらしく、警察署に届けてくださったので、取りにくるようにとの有り難いお知らせでした。何故それが私だとわかったのかというと、決めてはポイントカードの記録から電話番号がわかったようです。丁度、ウクライナの募金活動をしていたので、その戻ってきた2千円は募金箱に感謝して入れました。

 

最近、忘れ物が多くなったのは事実で、財布、スマホ、鍵と何処に置いたのか分からず、家の中を必至で探す事が多くなっていましたが、お釣りを忘れるなんて初めてでした。しかし、忘れ物をする傾向は昔からあったのです。

 

チューリッヒに滞在している時に、取り返しのつかないほどの大きな忘れ物をしてしまったことがありました。それは初めて教会に十一献金をしようと決心をしたときの聖日の出来事でした。

 

ところで、十一献金というのは、旧約聖書の概念です。十一献金は律法の要求するものでした。すべてのイスラエル人が自分で稼いだもの、生産した物すべての10%を、幕屋/神殿に捧げなくてはならなかったのです。(レビ記27章30節;民数記18章26節;申命記14章24節;第2歴代誌31章5節)

 

旧約聖書の十一献金は、いけにえの組織を預かる祭司やレビ人の必要に備えるための徴税の方法であったと理解する人もいます。新約聖書のどこにもクリスチャンに律法的な十一献金に従うようにと命令したり、勧めてもいないのです。パウロは、信者は教会を支援するために収入の一部をとっておくべきだといっているにすぎません。(第1コリント16章1-2節)

 

私達は韓国教会での交わりがとても充実していて心から感謝していたので、もっと献金をしたいと思う気持ちが自然におこってきたのでした。実際は十一献金よりはるかに多かったのですが毎月10万円(1,000フラン)をすることに決めたのです。確かに当時の夫の給料は高額でした。今まで一度もこんなに多くを捧げたこともないので、果たして毎月続けられるだろうかと言う一抹の不安はありましたが、その日は特に喜びで興奮していたのです。初めて捧げる聖日の朝、私のリュックに入れて、教会にでかけました。そのときは真冬で、雪が降っていて風もきつく、まだ赤んぼうであった宣をママコートの中におんぶをして、義をバギーに乗せ、そのところにリュックを引っ掛け、夫は智と手をつないで、バスと電車に乗り換えて行きました。いよいよ教会についてリュックを探すのですが見当たりません。頭の中が真っ白になり、さすがに私は動揺してしまい、パニックになって泣きそうになってしまいました。すると、伝道師さんが笑みを浮かべながら「小野さん、大丈夫ですよ。このスイスでは落とし物は必ずもどりますから。」と涼しい顔をして仰るのです。「そんなことあるはずがない、だってあんな大金が入っているのだから見つけた人は取るに違いない。」と心の中でつぶやきました。その日の礼拝では心はそこにはなく、おまけに用意していた礼拝後の食事のための一品も入っていたので申し訳なくて意気消沈していました。でもとりあえず教会の帰りに警察に届けることにしたのです。

 

数日後、警察から連絡があり、リュックが見つかったので取りに来るようにとの話でした。

行くと献金が入った封筒を渡してくださりながら「ここでは発見してくださった人には15%のお礼をすることになっていて、すでにこのお金から渡しています。彼女の住所はここですから連絡をされるといいですよ。」といって返してくださいました。

 

うわ!本当に戻ったのです!目の前のお金が入っている封筒を握りしめているのに信じられないほどの驚きと感激でした。乗り換えのバス停に置いたまま、電車に乗ったらしいのですが、リュックがどういうわけか、停留所から離れた草むらの中にあったということでした。リュックには昼食のためのチキンが入っていて、犬と一緒に散歩していた婦人が見つけたということなのですが、犬がその匂いを嗅ぎつけたことで発見されたという説明でした。

 

そのご婦人はアメリカ人だということだったので、私は英語でお礼状を書きました。するとその方はすぐに返信をしてくださいました。彼女はプールに泳ぎに行く途中だったそうで、愛犬のシェパードの食いしん坊のお手柄だったと書いていました。私達はお会いすることはありませんでしたが、スイスを離れてブラジルに移った時にもしばらくの間クリスマスカードを交換していました。どうやら彼女もアメリカに戻ったところまでで音信不通になってしまいましたが、一生忘れられない天使のようなご婦人でした。

 

神様のお守りのおかげには違いありませんが、同時にスイスという国に対する尊敬の念がたかまりました。というのは、その後、うっかり電車に傘を忘れたことがありましたが、あの伝道師さんがまたもや「この国の人は傘一本でも必ず届けてくれるからまた警察に行くといいですよ。」と笑いながら仰るのでした。特に高級なものではありませんでしたが行きましたら、すでに届けられていたのです。二度もこのように奇跡のようなことが起きたのです。

 

私達二人はこの忘れ物事件を通して、いよいよ神様のお守りが必ずあることを固く信じることができるようになっていきました。もちろん水曜日にこの話をして、みなさんが自分のことのように手を叩いて喜んでくださり、感謝の祈りを声をあげて全員で捧げました。メンバーの数人のかたはすでに十一献金をされており、さすが韓国のクリスチャンは教会に対する思いが深いのだと感動をし、さらにその信仰に見習いたいと思わされたのです。(つづく)

 

祈り:
主よ、全てのものはあなたから預かったものだと忘れずに、

あなたにささげられるように、私たちを励ましてください。

 

後奏:

 

<祈りの課題>
からし種チャペルと在宅クリニックの活動において、この度8月1日から9月3日まで、ウクライナでの戦争のために避難されている人々に、「ウクライナ難民を支援する会」を立ち上げたルーマニアの宣教師ご夫妻(石川秀和牧師、里惠子看護師)のお働きに加わるために、牧師であり、医師の小野恵を派遣することになりました。
有志のクリニック、歯科医院、調剤薬局、薬剤会社からの無料の薬や歯ブラシなどが届けられています。ところが、今回は旅行者として入国するために薬は税関でとどめられる可能性がでてきまして、配慮していただけるように働きかけをしていますがなかなか困難です。主のご計画がどこにあるのかと祈りつつ模索しているところです。祈りに覚えてくださいますようお願いいたします。

 

ウクライナからお知らせ
クリスチャン新聞 ウクライナ隣国各国から現地報告「支援する会」

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