聖書:
前奏:
午前中はスタッフチャプレン達によるテーマ別での講義がありました。私達は患者さんや家族からの面会依頼があるのをただ待っているのではありませんでした。午後になると病室を訪ねて「体調はいかがですか?」とこちらから出向くのです。チャプレンはカルテを見ることが許されていましたので、どういう診断名かということは予め知ることが出来ました。医療者の私にとってはこのことが大いに参考になりました。以下のお話は、もう今から23年前の外国での出来事ですので、皆様と幾つかの実例を分かち合うことができると思います。当事者の方々にもご了承いただけるかと思います。
ある日、若い青年でエイズの患者さんがいました。ノックをすると、「どうぞ」という声がしましたのでお部屋に入り自己紹介をしたのです。「ああ!チャプレンさんですね。僕は間に合っています。とても順調ですから、どうぞお引取りください。」とにこやかに笑っているのですが、はなはだ迷惑だという雰囲気が強く伝わってきました。すぐに「そうですか。大変失礼しました。」と早々に挨拶をして部屋を出ました。「私は彼をさぞ不愉快な気持ちにさせてしまったのだろうな〜。」と思うと自分がとても情けない気持ちになり冷や汗がでてきました。
肺がんで手術を待っているご老人の男性の部屋をお訪ねしました。その方はとても穏やかに応対してくださいました。「チャプレンさん、訪ねてくださり有難うございます。でも、今は息が苦しくてお話できないのです。またにお願いします。」こういう情況も少なくありませんでした。
このように、チャプレンの仕事はいつも歓迎されるとは限らないのです。ですから、なんだか親切の押し売りのようなことになったと辛くなるのでした。相手から求められた時に手助けをすることができればニーズがあると安心できるのですが、私達には当直のときに呼ばれる以外はなかなかそういうチャンスはないのです。しかし、毎日患者さんとの対話のレポートを提出しなければならず、それをグループで発表しながら同僚と指導チャプレンからのフィードバック(相手の行動に対して良い点や改善点や評価を伝え、軌道修正を促すことを言います。)や助言をもらい学んでいくのですが、同僚たちも少なからず私と同じような悩みを抱いていました。
ある当直の時でした。外科医から深夜に依頼の電話が入りました。「43歳の男性です。胃がん(スキルスという悪性の胃がん)の手術は成功したのですが、手術後に出血が止まらなくて今、ICUで処置をしていますがおそらく回復の見込みがありません。それで奥様とお二人の息子さんたちのためにそばにいてあげて欲しいのです。」ということでした。早速、家族がおられる控室に向かいました。奥様は「手術は成功したというのに今になってどうして出血をしているのかわからない。何か手術中に間違いがあったのではないでしょうか?」と私に訴えてパニック状態でした。二人の10代の息子さんたちも身体を硬くしていて緊張した表情でした。家族全員がカトリック信者であるとのことでしたので、なんとか落ちついていただくために奥様に「チャペルでご一緒に祈りませんか?」とお誘いしました。私はオンコールに備えたビーパーという呼び出し器具を持っていましたので、チャペルに行って二人で回復を祈っていたのです。ところが10分もたたないうちにコールがありました。おそらく亡くなったのだと察しましたので二人で急いで部屋に戻りました。
医師としてまたブラジルでのガン末期の患者さんたちの看取りの経験はありましたが、その時は亡くなるまでのお交わりの期間がありました。しかし、今回は初対面で、しかもこのような切迫した厳しい情況下でどのようにお慰めしたらいいのか頭が真っ白になってしまいました。私は医師からの情報でこの時が来ると予測はしていたものの、動揺するばかりでした。ましてや家族としてはとうてい受け入れがたいことです。奥様は亡くなられたご主人様の姿には対面したくないということで控室にお子さんと呆然として座っておられました。その場にいるのがいいのか家族だけの時間を差し上げるのがいいのかさえ判断できませんでしたが、奥様にはコーヒーをお子さんたちにはジュースを差し上げると、「一緒にいてくれて有難うございました。でも、大丈夫ですから。」と言われたのでその場を去りました。
糖尿病で足に潰瘍が出来ているところが感染を起こしたご婦人が救急車で運ばれたときにも患者さんが動揺しているので救急室に来て欲しいという依頼がありました。傷口が化膿していて大きく開いていました。私は彼女の手を握り「大丈夫ですからね。」としか言うことができませんでした。残念ながら、彼女は足の切断を余儀なくされたのでした。
2歳の坊やが入院をしていてカルテを見ると「揺さぶり症候群」ということだったので部屋を訪ねました。母親はあまり事情を話したくない雰囲気でしたので、ソーシャルワーカーにお話を聞きに行きました。すると、どうやら義理の父親のDVの疑いがあるということでしたので、これ以上深入りしないほうがいいとのアドバイスを受けました。ところが、その後、お母さんから呼ばれて、「病院から退院を促されています。でも、不安なのでもっとここにいたいのです。なんとかなりませんか?」という相談を受けましたので再度ソーシャルワーカーに行きました。するとマグドナルドの会社が子供と家族のために部屋を無料で貸してくれるシステムがあることを教えてくれたのです。母親に同伴して事務所に行き手続きをすることが出来ました。アメリカにはこういうシステムがあるのかと驚きました。現在は日本でも病院に近いところにこのような施設があります。
「あなたにとって人生で何が一番大事ですか?」と聞かれると殆どの方が「健康が第一です。」とこたえるのではないでしょうか?しかし、現実として生身の人間である私達はいつでもそれがかなえられるとは限りません。病院で色々な病気の方々と接してきました。医師として治療する立場ではなく、傾聴しながら共感し、慰め、励ますチャプレンとしての役割でした。しかし、どれだけその方々にとって私の存在が慰めになったのかと自問をするとむしろ自らの無力さや未熟さを思い知らされることのほうがはるかに多い日々だったと思います。
しかし、たとえ私の歩みがおぼつかない時にでも希望を失わないで前に進めたのは、病んでおられる方々に寄り添う使命を下さり支えてくださる神様への信頼と、私のためにたえず祈っていてくれる家族がいるという確信があったからでした。また、同時に身近にいて指導してくださるチャプレンの助言や同僚から受けた励ましがとても大きかったのです。メイヨークリニックでの3ヶ月の集中チャプレンコースを無事に終えて、私は長男の智之と共に日本で待つ家族の元へと帰国したのです。(つづく)
後奏:
やはり、スタートから緊張して体が固くなったことで途中大変苦しくなってしまい一瞬「もうだめか」と思いましたが、ゴールまで頑張ることが出来ました。記録としては1位とは比較にならないほど遅かったのですが、3ヶ月前より21秒縮めての自己ベストでした。
この時期はサッカーのワルドーカップも開催されており、日本チームも今までにない将来を期待できる活躍を致しました。また、次男の義幸もUSナショナルチームのアスレティックトレーナーとして選手やスタッフと共に多くの喜びを体験させていただき感謝しつつ家路に着きました。
皆様の熱いご声援を心から感謝し、すべてを神様に栄光を帰したいと思います。