ヨハネによる福音書 講解 第2回 「洗礼ヨハネ」   令和3年9月19日
上の写真は、先日台風12号が和歌山県に上陸したことをニュースで知ったときに窓から見えた黒い雲を背景に現れた虹です。
強い風雨の予報があった中、大きな災害もなく速やかに台風は通り過ぎました。この虹の後空は青空へと変わりました。旧約聖書では、神様がノアの家族が箱舟で大洪水を逃れ150日を過ぎ水が引き始めた時次のことを語りました。

「今あなたたちと、そして後に続く子孫たちと、契約を立てる。 わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって地の生き物を全て滅ぼすことは決してない。わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、その中に虹が現れると わたしはそれを見て全ての生き物との間に立てた永遠の契約を心にとめる。」

講解説教 ヨハネによる福音書 2回目

 

1章において、最初に登場する有名な人物が洗礼ヨハネです。今日は、このヨハネについて学びたいと思います。

 

そもそも、イエスキリストと洗礼ヨハネは親戚関係でした。母マリアとエリザベツは親しい親戚だったのです。ヨハネはキリストが生まれる6ヶ月前に誕生しています。

ヨハネの出生についても、人智では計り知れない出来事が起こりました。ヨハネの父は、祭祀ザカリヤで、母はエリザベツですが、不妊で子がなく、すでにふたりとも高齢になっていました。あるとき、天使のお告げで、男の子が生まれるといわれたのですが、ザカリヤは信じませんでしたので、言葉が言えなくされたのでした。しかし、その後、お告げどうり男の子が誕生して、天使の命令どうりその子の名前を「ヨハネ」とザカリヤが決めたとたん、口がきけるようになったというストーリがあり、そのことが多くのユダヤ人の間で噂となり、将来このヨハネは預言者になるのかもしれないといわれていたのです。

 

そのヨハネが成長して、荒野でイナゴと野蜜を食べながらの祈りの修道生活を見て、一般のユダヤ人だけではなく、祭祀たちも彼をメシアではないかと考えるほどヨハネの信望は高まっていました。

彼は、ヨルダン川で人々の悔い改めを促して洗礼式をおこない、イエス様ご自身も公生涯を始める前に彼から洗礼を受けたという話は有名です。

 

キリスト教の洗礼というのは、キリスト教徒となるために、教会が執行する儀式で、全身を水にひたすか、または頭部に水を注ぐことによって罪を洗い清め、神の子として新しい生命を与えられるあかしと一般的に説明されています。

 

洗礼の起源というのは、洗礼ヨハネの独自の発想ではなく、すでにユダヤ教に源を発していたようです。すなわち、異教徒がユダヤ教に改宗した場合、今までの汚れを潔(きよ)めるために洗礼が行われていたという慣習です。洗礼者ヨハネの弟子の中からもイエスさまの弟子になる人々がいましたが、12弟子になったペテロとその兄弟アンデレも最初は洗礼ヨハネの弟子でした。

 

ここで、洗礼ということについて考えてみたいと思います。教会史の発展過程において、洗礼が救いの必要条件だと強く主張されている傾向が少なくともあって、洗礼あるなしで区別する傾向があります。すなわち、洗礼を受けていない人を未信者、あるいは求道者といい、牧師や教会員は、聖書の学びを通して、求道者が罪を告白して、キリストこそ主であると信じて洗礼を受けることを願いつつ祈っています。もちろん、それ自体はとても尊いことですが、しかし、救いの必要条件としての洗礼という動機や信念だとしたら、それは聖書的ではないと私は考えています。洗礼を受けない人=救われていない人とは私は思っていないのです。

 

その理由は、もし、洗礼を受けることが救いの条件であるなら、救いには「人間の業」が必要だということになります。救いはキリストの十字架の贖いによってすでに完了していて、一方的な「めぐみ」によるからです。「水」による儀式そのものに祝福する力があるわけではないのです。しかし、洗礼は救いの条件ではありませんが、イエス・キリストを信じて、クリスチャンになった人が(すでにクリスチャンです)キリストにならいたいと生活を始める第一歩として、それを言い表す行為は本人にとっても、教会としての仲間にとっても非常な喜びであることは間違いありません。

 

また、洗礼ヨハネは、世の権力に屈することをせず、正しいモラルを主張したために、牢獄に繋がれ、殉教の死を遂げた人でもありました。(ヘロデ王の息子、アンティパスが自分の妻を正当な理由ではないのに、離縁させ、兄の妻へロディアを奪って結婚したことについて警告をしたので捕えられたのです。)

 

ところで、今一つ、私には洗礼ヨハネに関して、長いあいだ疑問を抱いていることがあります。聖書に書かかれている文章だけでは理解ができないのです。それは、洗礼ヨハネが獄中にあって、弟子をイエスキリストに遣わして次のように質問をしている箇所があります。


<マタイによる福音書11:3>
「来るべき方はあなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」

イエスさまが答えられました。

 

<マタイによる福音書11:4-6>
「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。・・・わたしにつまずかない人は幸いである」

そして、さらに

<マタイによる福音書 11:11>
「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」

みなさん!この11:11は、どういう意味だと思われますか?

 

人間的に考えれば、洗礼ヨハネは投獄され、明日をもしれぬ時に、自分の人生はどうだったのかと思いおこすのは当然だと思います。当時は、今のように簡単に情報が入らない時代です。噂は聞いていたとは思いますが、キリストがどうしておられるのかをつぶさに知りたかったのではないでしょうか?処刑されるだろうと覚悟をしていたヨハネは、キリストの教えが世に受け入れられているのだろうか?人々はキリストを神の子だと信じているのだろうか?イエス様をメシアであると確信して一生をとおして証をしてきたが、最後に改めて確信をしたかったのではないかと想像します。それに、彼はかたときもイエス様がメシアであることを疑ってはいなかったと信じます。ヨハネの弟子たちは、イエス様の言動を目の当たりにして、ヨハネに報告をしたことでしょう。そして、ヨハネは、喜んで、キリストこそ救い主と確信をして死んでいったと私は思います。哀れみ深いイエス様ならば、おそらく、洗礼ヨハネの功績と弟子を送った心情を十分に察しておられたに違いないと思うのです。

 

しかし、なぜ「天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」とあえて、表現されたのでしょうか?イエス様は弟子たちに何を伝えたかったのでしょうか?

 

イエスさまより洗礼者ヨハネを高く評価していた人々もいたでしょうし、弟子たちでさえも、自分の肉の思いによってイエス様を見ていたということもあったと思います。

洗礼ヨハネは、イエスキリストの公生涯の前に、大きな使命、すなわちキリストに先立って罪を悔い改め、その道を指し示したということを世にしらしめ、全うして天国に凱旋しました。イエスさまもそのことを最大限に認めておられます。しかし、イエス様が私達に願うことは、何か偉大なことを成し遂げたかどうかということよりも、イエス様を知り、信頼して委ねて生きることではないかと考えますが、みなさんはどう思われますか?

 

イエスキリストがどのようなお方で、私達にとってどういう存在として捉えているのかをもう一度心に問い直してみたいと思うのです。

次回からは、ヨハネ福音書の著者が、イエスキリストを神の子として信じ、又伝えようとしている公生涯の記事を見ていくことに致します。

 

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