「種まきのたとえ話」

メッセージ:種まきのたとえ話 日本語版

 

今日は、皆さんが何度も聞いている有名な「種まきのたとえ話」を取り上げたいと思います。マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書によって書かれています。

  1. マタイ13:1−23
  2. マルコ4: 1-9,
  3. ルカ 8: 4-8.

まず、このアニメーションビデオを見ながら、共通の内容を確認しましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=VrN66Ldxu10 日本語

 

信仰の始まり

(ローマ10:17)
パウロは、
実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。(ローマ10:17)
と語っています。

 

種は福音、神の言葉、そしてそれを蒔くのはイエス・キリストであると言っていますね。ここで説明されている4つの土壌というのを皆さんはどのようにお考えですか?

 

種をまく農夫はあらゆる困難に直面しようとも、彼の心にはやがて収穫の喜びが必ずあると信じて種をまき続けるのだと思います。また、イエスさまご自身も父なる神様に絶対的な信頼と希望ををいだいて生涯を生き抜いたのです。

 

豊かな収穫とは、キリストの救いに参加し、神の子となり、永遠のいのちを受け取ることができることを示していると思います。

自我という殻を捨てる勇気

詩編126:5-6
詩編126:5-6には、

涙を蒔く人は、やがて喜びを刈り取ります。種を手にし、泣きながら出て行った人々が、やがて収穫の束をかかえ、歌いながら帰って来るのです。

と旧約聖書にもかかれているとおりです。

 

私たちというのは、神さまのことを優先しないで自分の考えや計画をまず第一とし物事を決めていきます。ところがそれが真実と成長から逸脱する原因になっていることに時々気がつかされます。

人々は困っているときは神さまに立ち返り頼ることをしますけれども、いったん解決できれば、神さまがしてくださったことなどいとも簡単に忘れてしまいます。そしてその結果、神さまの言葉に関心を示さなくなり再び自分の知恵で問題を解決しようとします。

 

道路、石、いばら、豊かな土壌を含む4つの土壌は、4つの異なるカテゴリーの人々にわけてしまって、まるではじめから人の性格や能力が決められているというふうに運命論的に考えるのはあまり参考にはならないのではと思うようになりました。

4種類の土壌というのは、人のタイプではなく、私たちの心の中にある様々な状態を表しているようにおもうのです。私達の土壌という心の状態というのは常に一定ではなく揺れ動いているのではないでしょうか?

 

農夫であるイエスさまはたとえ貧しい土壌であっても耕し、新鮮な空気に酸素を注入し、肥料を補充し、乾燥している時は水を注いでくれるお方です。また、天敵である害虫や雑草を取り除き、それを肥沃な土壌に変えてくださいます生物学的に正しいかどうかはわかりませんが、植物や木が地上で発芽する前に、非常に困難なプロセスがあると想像できます。つまり、土の重さに耐えきれなくなったり、温度や湿度が高くなって呼吸が困難になる場合があるかもしれませんね。

そして芽が出るときには種の皮を突き破らないと地面の上に発芽できません。そのときには非常な苦痛を伴うのだと思うのです。

このような時、皆さんはどう対処されますか?

 

私は、自我という殻を捨てる勇気が必要なのだと思うのです。

違う言葉で言い換えれば、神さまへの絶対的な信頼が必要となってくるということです。

 

神様はなんの計画もなしに人間や生き物を創造する方ではありません。ひとつひとつに神さまがくださった命がありやがて育ち、実をつけることが出来るように育てていてくださるのです。

 

どなたにとっても人生は決して容易ではないですし、抱える問題も一つや2つではありません。しかし、私たちには、神さまの愛によって植えられた特別な祝福の人生があることを覚えたいと思います。

 

皆様の今日の一日が困難のなかにあっても希望を失わないで喜びで満たされますように願い祈ります。

 

 

 

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