令和4年5月1日 礼拝メッセージ:証集:韓国留学記(4)「星降る村で」
聖書:詩篇 103篇:1節−2節
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」 

 

前奏:

 

話は前後しますが、大学2年生の時「社会教育」という科目がありました。これはセマウル運動の一貫としてこのような科目があったのだと思います。

 

セマウル運動(セマウルウンドン、새마을운동):
韓国で展開された地域開発運動のことです。「勤勉」「自助」「協同」を基本精神とし、1971年から全国規模に拡大した運動です。農民の生活の革新、環境の改善、所得の増大を通じ、それまで経済開発から取り残されていた農村の近代化を、主として政府主導で実現したのです。「새마을」の「새」は「新しい」という意味で「마을」は「村」のことなので「セマウル」は「新しい村」と訳されます。

 

梨花女子大学はそれぞれの学部が大学として独立していて、医科大学、社会科学大学、そして師範大学から二人づつの6人が一つのグループとして組まれました。6人単位のグループがいくつか集まり、同じ地方に派遣されていきます。夏休みを返上して貸し切りバスに約3時間乗車して私達は、江原道(강원도 カォンドー)の「家族村」に入ったのです。その村は山の麓と下に分かれていて、お米を栽培する農家が殆どの集落でした。

 

私達の学習課題は村人への啓蒙で、一人二役をしなければなりませんでした。私は、幼いときから興味があった指圧と母から教えてもらっていたソフトドーナツの講習をすることにしていました。日本から浪越徳治郎氏の「指圧の心、母ごころ、押せば命の泉湧く」という本を熟読して準備をしていたのです。

そしてドーナツのレセピーとステンレスの道具も持ってきていました。                      

 

 

 

私達は農家の家の隅に部屋を借りましたが、2mほど離れた所には牛小屋があってその独得の匂いにまず慣れないといけませんでした。そして、到着したその日の深夜に子牛の出産が始まり、母親の生みの苦しみのうなり声で眠れませんでしたが、翌朝その可愛らしい子牛を見て私達は感動したのでした。

            

ところで、第一に困ったことはトイレがないことでした。そこで、牛小屋の横に穴を堀り、両端に板を置いてなんとか原始的なトイレを作りました。ちょうど日本から大きな風呂敷を持ってきていたのでそれで隠して用を足すことになったのです。

 

案の定、6人全員が便秘になりました。そこで、最初から私の出番があったというわけです。まず便秘に効く指圧をしましたが、効果がでるとガスがでてきます。女学生ですから恥ずかしがりましたが、「恥ずかしいなんて言ってはおられないのだからね。ドンドンガスを出しなさい!」と励ましました。私自身もこのトイレで用を足すことができないような弱気では、ここでの生活が始まらないと思い「神様助けてください」と念じて成功するまでそこを離れませんでした。

 

また、夏でしたのでなんとか汗なども流したいと緑に囲まれた川を探して見張りを立てながら交代で冷たい川で身体を洗いました。口々に「温かいお風呂に入りたいね〜!」といいながら。こうして私達は次第に田舎の生活に順応していきました。

 

さっそく、翌日から私達はそれぞれの活動を開始しました。農作業から帰ってきてお昼ごはんを食べてから、私はご婦人たちに料理講習をしました。あらかじめソウルで買っておいた卵、お砂糖、薄力粉、ベーキングパウダー、食用油を使って見本を見せて試食をしてもらいました。みなさんは、生まれてはじめてドーナツを食べたと喜んでくれたのです。ところが1週間ほどで準備していた材料が無くなってしまい作ることができなくなりました。でも、ご婦人たちがどうしても作りたいと言って、お砂糖、小麦粉、油を集めて持ってきました。卵はその村では貴重なので使えません。もしかしたら薄力粉ではなく強力粉だったのかもしれません。出来上がったドーナツは硬くて膨らまずおよそソフトドーナツとはいえないものでした。

 

一方、指圧は一日の仕事を終え、夕食を済ませてから集まるので時間は夜9時からで1時間の講習でした。前もってカップルで参加していただきたいとお願いしていました。農家の方々なので、肩こりや腰痛の指圧が人気で、それも夫婦が交互にするので、大笑いしながら仲良く楽しんでくださいました。

 

ある早朝のことです。部屋を貸してくださっている大家さんがドンドンと戸を叩く音がして開けてみると、息子が胃痛で苦しんでいるから指圧の学生に治療を頼むということでした。さっそく中にはいると大きな体をくねらせて「ウンウン」と唸っていました。汗だくになって指圧をして胃腸の調整をしましたがなかなか効果がでてきません。そこで、昨日はなにを食べたかと聞くと、豚肉を食べたと答えたので思いついた事がありました。かつて私が胃痙攣をおこした時に指圧でも治らなかった時があったのですが、母が「赤本」という漢方の本を調べて、食物にあたった時のお灸を足の指にすると数分で回復した事を思いだし、「もぐさ」を持ってきてもらいお灸をしたのでした。すると、ピタリと治ったのです。

 

<参考>
内庭は、足の陽明胃経の第44番目のツボで、胃熱を引く作用や鎮痛作用があるツボで、胃痛、食あたりなどの症状にも効果があります。

             

治ったのは本当に幸いでしたが、これが村の噂になって、ますます夜の指圧の講習ははやりだし、上の村からも人々がやってきて大忙しでした。9時からの1時間の予定でしたが、11時過ぎまで延長することも少なくありませんでした。ヘトヘトに疲れて床に入ったかと思うと大きないびきをかきながらの爆睡だったようで、同僚たちはおかげで寝不足が続いたということでした。

 

その村には電気がありませんでしたので、明かりはカンテラだけです。夜は周囲が真っ暗になるので星がキラキラと鮮やかに光っていてまるで宝石を散りばめたような美しさでした。

           

滞在の最後の夜に、村をあげて私達の為に住民が集まってくださって輪になって座り、私達にマッコリ(막걸리)をご馳走してくれました。歌を歌ったり、みんなで踊ったりしてとても楽しく感謝で一杯な時を過ごしたのです。このマッコリの美味しさはまた格別でした。香り豊かで、しかも最高の味だったのです。その後、お店で飲んだものとは比べることができないほどで、まさに「幻のマッコリ」だったのです。

 

集会が終る頃に、中年男性が来て私に「赤ちゃんが高熱をだして困っています。是非、家に来て見てください。」というのです。臨床など習っていない私がお役に立つことは到底ありえないと思いました。もうひとりの医学部の学生が「私達は医学生だけれど医師ではありませんから、患者さんを診るわけにはいきません。」と言ってくれたのですが、どうしても見るだけでいいのでと懇願されて断りきれず私は行くことにしました。

 

「神様どうか大事にならないようにしてください。私は何もわかりません、できません。」と心細い思いで一杯でした。祈りながら、真っ暗な山道を男性について行きました。そして、今にも崩れそうな小屋の中に案内されると母親が泣きじゃくる乳飲み子を抱きながらあやしていました。赤ちゃんはまるで火がついたように泣いています。額に手を当てるとそれほどの熱は感じないのでしばらく様子を見ていましたが、もしかしたらお乳を飲ませたら落ち着くのではないかと思い、お母さんに授乳をするように促しました。するとどうでしょう!赤ちゃんはグイグイとお乳を勢いよく飲むとスーッと静かに寝てしまったのです。それを見て父親が額に手をあてると「先生!治りました!ありがとうございます。」と言われて私のほうがびっくりしてしまいました。「どうも病気ではなかったようですね、お腹が空いていたのではないでしょうか?」と説明したのですが「いやいや、何度も飲ませようとしたのですが受け付けなくて、熱が高くてひどかったのですよ。」というので「そうですか。とにかくよかったですね。それでは私は失礼します。」と言うと「先生、卵を飲んでいってください」と貴重な卵を奥から出してきたのです。「とんでもありません!私は何もしていないのですから気を遣わないでください。それにせっかくなのですが、実は生卵は苦手なのです。」と遠慮したのですが、どうしても気が済まないと仰って、卵の上と底を上手に小さな穴を開けて手渡して「ぐっと飲んでください。」と促され、せっかくのご好意を無にすることはできなくなり飲み干しました。すると、その生卵が実に美味しく感じたのは驚きでした。

 

全くの無力だったにもかかわらず、こんな貴重な卵をくださって、なんとも申し訳ない気持ちと嬉しさが込み上げてきました。奥様と赤ちゃんに別れを告げて、ご主人様に送ってもらって宿舎に戻ったのでした。

「神様!あなたの御名を讃えます!癒やしてくださって有難うございました。そして私を遣わせてくださって有難うございました。」

 

翌朝、バスが迎えに来て見送りに来てくださった村人達と別れを惜しんでいると、喉に大きな瘤(こぶ)のある年配の女性が親戚の人に連れられてやってきて、「これは治るものでしょうか?」と質問されたのです。一見して甲状腺腫のようですが、もしかすると癌が併発しているかもしれないと思いました。診療所もないこの村ではどうすることもできないと思い、引率の先生に梨花女子大学の病院で診察をお願いできないかと相談しました。するとすぐに、OKが出たので急遽この方をバスにお乗せしてご一緒にソウルに出発することになったのです。このご婦人はヨウドが不足のために甲状腺腫が発生し、癌は否定されたということで退院されて無事に家族村に帰ったという報告を受けました。

 

こうして、2週間にわたる社会教育の実技は無事終了し、感想文「星降る村で」という題をつけて提出しました。

私にとってこの家族村での経験は一生忘れることができない貴重な宝となったのでした。

主に栄光を!

 

後奏:

<予告>

韓国留学の証はまだ続きますが、少し気分を変えて来週からは「子供時代の私」と言うタイトルで証を続けたいと思います。ご期待ください。

 

ウクライナ状況:
https://www.jifh.org/news/2022/04/post-682.html

2022年04月13日

緊急支援報告⑦月井ボランティアから【追記あり】

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