令和4年12月18日 礼拝メッセージ:証集:海外での主のめぐみ:アメリカでの証(4)「ボストンでのチャプレン研修(1)」

聖書:

ローマ人への手紙 15章:1-2節
「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。」

前奏:

 

アメリカから日本に帰国して、私達の息子たちは仙台のインターナショナルスクールに入学しました。子供たちも日本での生活はとても楽しそうでした。夫は石巻市の病院で勤務して土曜日に帰り、日曜日には塩釜のホーリネス教会で礼拝を終えてまた病院に戻るという生活でした。そうしているうちに日本医師会には公衆衛生分野での「武見プログラム」という奨学金制度があり、毎年2名をボストンにあるハーバード大学の国際保健学教室での研究のため派遣していることを知りました。さっそく応募したところ採用が決まり、家族そろって一年間の研究生活のためボストンへ向かうことになりました。そして研究終了後には、JICA(国際協力事業団)が長い間ネパールで続けてきた保健衛生プロジェクトのチームリーダーとしての任務がすでに決まっていたのです。

 

長男の智之はボストンで最後の高校生活を迎えていました。陸上クラブに入って400メートル走、次男の義幸はテニスクラブ、三男の宣道も長距離のクラブでそれぞれ活躍し私達も応援に力がはいったものです。

 

礼拝はしばらく現地の教会に参加していましたが、午後その教会で日本人の礼拝がありましたのでそちらにも参加するようになり、久しぶりに外国で日本の方々との信仰の交わりができました。

 

私もメイヨーに続いてCPE(チャプレンの研修)ができればと思っていました。今回も夫がハーバード大学のBrigham and Women’s Hospitalがいいからといって手続きをしてくれたのです。今度は家族と一緒でしたので生活に支障がないように一年コースで週に1回の研修というプログラムにしました。研修内容はメイヨーとほぼ同じでしたが日曜日に説教の担当はありませんでした。メイヨーでは3ヶ月間、毎日会っていた仲間がいたので、自分たちの体験を話しあったり、夏であったこともあって、時間を見つけては一緒に食事をしたり、ゴルフの打ちっぱなしやアンサンブルのコンサートを楽しむことができましたが、ボストンでは共通のセミナーがあれば会うぐらいで、みなさんそれぞれが忙しく、お互いのかかわり合いはほとんどありませんでした。しかも話す速度が非常に早くて特有のボストン訛りもあってなかなか彼らの英語がキャッチしにくいこともありました。一方、私のスーパーバイザーはとても丁寧に指導をしてくださり、色々な助言をいただいたことは幸いでした。通常の訪問と当直がありました。今回はその時のエピソードをお分かちしたいと思います。

 

当直のときに救急室に呼ばれたのですが、不思議にも私を指名した患者さんがいたのです。行ってみるとなんと、チャプレン研修生の一人の女性でした。「一体どうしたの?何が起きて救急室にまで?」と聞くと、「家にいて急に不安になって、いても立ってもいられず、そのうち過呼吸になって息が苦しくなり救急室に来たの。」という事情でした。その時はすでにだいぶ落ち着いておられたのですが、彼女の手をとりながらしばらく一緒にいたのです。「私達、チャプレンという仕事は健康であるとなかなか患者さんの気持により添えないこともあるよね。今回はとても辛い思いをしたと思うけど、この体験には大きな意味があると思うから、ポジティブに考えましょうね。」と話すと彼女はまさにそうだと言って安心されて、翌朝、家に戻りその後は問題なく研修をこなしていました。

 

リハビリ室をなんとなく見ていると喘ぎながら「もうこれ以上できません!」と今にも泣きそうな男性のご老人を見かけました。息もたえだえに歩く様子もおぼつかない感じでした。病室に戻っていかれようとしたので「大丈夫ですか?私はチャプレンの小野です。」と手を添え病室までご一緒しました。彼はインド出身のアメリカ人で肺がんの手術をして、まもなく家に帰るためにリハビリをしていたのです。そのリハビリがあまりにも苦しくてとても辛いのだと病室のベットに倒れこんでしまいました。待っておられた奥様が彼の背中を優しくなでておられました。「リハビリとは言え、ここまでしなければならないのかしら?」ととてもお気の毒でした。彼の宗教を聞きますとヒンズーではなくキリスト教であることがわかりましたので、「リハビリに耐えられるようにお支えください。」と祈りましたが、このままで本当にいいのだろうかと思い、「ところで、リハビリの先生にあなたがどんなにか苦しくてお辛いということを私からもお伝え致しましょうか?」と言いますと「是非お願いします。私がどんな言っても聞いてくれないのです。本当に私は耐えられません。」と言われました。

翌日、リハビリの先生をお訪ねしました。「患者さんの苦しさをもう少し考慮していただけないでしょうか?」とお伝えしたのです。先生は「厳しいけれども彼には必要なのです。」と最初言われましたが、そのあとで、「患者さんの辛さがよくわかりました。伝えてくれて有難うございました。」と言ってくださいました。

 

私が11年前に難病で入院したときにもリハビリを毎日病室で30分ほど受けましたが、とても苦しくてとうとう音を上げてしまいました。どうしても耐えられず担当医に相談をしました。そのときはリハビリ療法士を代わっていただく以外方法がなく緩くしていただいたことがありました。しなければならないことは当然なのですが、患者さんが受け入れられる範囲をも考慮しながら調整していくことが大事なのではないかと思っています。

 

カルテを見ると「胃がん」の手術を受けた男性がまもなく退院するという事が書かれていたのでお部屋をノックしました。すると患者さんが「私はあとどのくらい生きられるのでしょうか?医師からは予後のことを何も話してもらっていないのです。退院が間近になっているのですが毎晩不安で眠れません。どうか私のために祈ってください。」ということでした。手術の結果と今後のことはアメリカではきちんと説明するという事になっているはずなのにどうしたのかなと思いました。「あなたはご自分の予後について、たとえ厳しいお話であっても本当に知りたいのですか?」とたずねますとはっきりと「知りたいです。」と答えられたのです。「そうであるならば担当医にそのことを私からお伝えできますがいかがですか?」と聞きますと彼は「お願いします。」ということでした。そして「神様、どうかこの方をさらに癒やしてください。予後のことはすべてあなたにお委ねしますから、医師の説明が十分に行われて安心して家に戻られるようにお導きください。」と祈りました。その後すぐに担当医に面会を申し出て事情をお話させていただいたのです。医師は「よくわかりました。明日説明をします。」と言ってくださいました。日本では こういう場合どうでしょうか?いわゆる医療スタッフではないチャプレンが医師に患者さんの情況と要望を伝えると少なからず気分を害する場合が多いのではないでしょうか?けれども、私がチャプレンとして患者さんの気持ちをお伝えするときには眉毛をしかめる医師やスタッフはメイヨーでもブリガムでも一人もいなかったばかりか、しっかりと聞いてくださり、またチャプレンの役割に敬意を示してくださったのはとても幸いでした。

 

日本は宗教を持っている人口が少ないと言えるかもしれません。仏教徒であっても必ずしも宗教人として生活をしている人々が多くはないと考えるとニーズが少ないのかもしれませんが、日本にはまだ病院専属のチャプレン自体が少ないのです。この役割を担うのは,心理士、ソーシャルワーカーであり、または病院の連携室のスタッフなのでしょうが、心理的、霊的なニーズへのケアの訓練を受けているチャプレンの必要性がもっと受け入れられ、多く育つことを私は願っています。

 

チャプレンはキリスト教だけではなく、あらゆる宗教の立場の人々がなることができます。そこでチャプレンとして大事なことは、自分の宗教、価値観を患者さんに押し付けてはならないということです。患者さんが何を望んでおられ、何を必要とされているかを適確に捉えて、深い共感をもって寄り添えるように自分の視野、想像力、共感力を広げる努力を絶えずしていかなければならない職業の一つであると思います。

 

そうこうしているうちに私自身が軽い鬱状態になってきたのを自覚しました。以前のように重症になって寝込んでしまうのは是非とも避けたいですし、日本から持参していたお薬も少なくなってきていたので、すぐに家の近くにある精神科を受診しました。もちろん保険もかけていましたが、30分150ドルでした。すると精神科医が「内服薬は私が出しますが、心理カウンセリングを受けてみてはどうですか?」と勧めてくれたのです。臨床心理学の女性の博士のクリニックで、地域医療サービスとしてその地域に住む外国人も含めてディスカウントで受診できるシステムがあるというのです。毎週1回30分でわずか15ドルだということでとても有り難いことでした。

 

クリニックは家から歩いて行ける距離で水曜日ごとに通いました。ニーズがあるようで多くの人が来ていました。自由に話を聞いていただきながら、自分をより知ること、そしてそれによって心にゆとりができるように指導していただいたのです。その御蔭で私はボストン滞在の1年間、通常の生活をしながらこのチャプレンの研修も続けられたのでした。日本はまだまだ地域によっては臨床心理士が少ないのですが、精神科の治療と同時にこのような素晴らしい効果がある心理療法は必要だと思います。

今はオンラインで「傾聴の仕方」や「認知行動療法」など、専門以外の人が学べる無料サイトもありますので関心のある方は検索されてはいいかがでしょうか。心の健康は身体の健康な方にとってもとても大事なことだと思います。

注) 認知行動療法とは:
「現実の受け取り方」や「ものの見方」を認知といいますが、認知に働きかけて、こころのストレスを軽くしていく治療法のことをいいます。認知には、何かの出来事があったときに瞬間的に浮かぶ考えやイメージがあり「自動思考」と呼ばれています。

「自動思考」が生まれるとそれによって、いろいろ気持ちが動いたり行動が起こります。ストレスに対して強いこころを育てるためには「自動思考」に気づいて、それに働きかけることが役立ちます。

 

現代は、核家族化、近所付き合いのない社会、信頼して心の悩みを打ち明けられる人がいないという情況下に私達はいます。社会も自分自身もなかなか良い方向に変えられない現実をどう打破していくのかが大きな課題です。私達は自ら常に学ぶという姿勢が大事ではないでしょうか?

 

時々私達は偶然の幸運を期待したり、努力を惜しみ、神仏に御願いだけをして自分では何も行動を取らない場合があります。また、見て見ぬ振りをして手を貸すのが遅れたりすることもあります。今年も残り少ない日々を、お互いに助け合う心で過ごしたいと思います。(つづく)

 

後奏:

 

<お知らせ>
ウクライナ支援、ルーマニア滞在時の第4報告の中でご紹介したブカレストにある教会(Biserica Izbanda Victory Church)の主任牧師、エリエゼル先生からこのような嬉しい報告と一部の写真が届いていますのでご紹介したいと思います。

「私達は、ルーマニアの貧しい子供たちへの50個と、ウクライナの子供たちへの70個の贈り物を送りました。12 月 22 日(木)には教会で伝道集会があり聖歌隊が歌います。また、12月18 日(日)には老人ホームに行って彼らのために歌いプレゼントを持っていきたいと思っています。12月25日(日)は教会の子供向けプログラムです。教会には 110 人の子供たちがいて、神の偉大な賜物である主イエス・キリストの誕生を思い出させる贈り物をしたいと思っています。」   

   

 

 

 

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