令和4年10月9日 礼拝メッセージ:証集:海外での主のめぐみ―アルゼンチン(3):「共になす喜び」

聖書:

コリント人への手紙I 12:26-27
もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。

 

前奏:

 

アルゼンチンに行ってまだ間もない頃、バプテスト教会の礼拝に参加されたあるご夫妻からディナーの招待を受けました。アドリアンとバンビーナという結婚してまだホヤホヤの若いカップルでした。私達が赴任した時に夫の母も同行していたので一緒にでかけました。まだ親しい人たちもいないときでしたのでとても嬉しかったのです。

 

彼らはアルゼンチンの若者が多い教会のメンバーで、スペイン語もまだわからないときでしたが、私達も時々青年たちの祈り会に参加をしていました。その青年の中に重度の身体障害者のルベンという青年がいましたが、皆さんからとても大事にされていました。

 

青年の車椅子は木製で彼の仲間の青年たちが協力して作ったものでしたが壊れてしまったということを知らされました。それで、なんとかお金を集めて新しい車椅子を購入したいので、協力をしてもらえないかとアドリアンとバンビーナから依頼されました。ただ、普通の車椅子ではなく、一人で運転できる電動の車椅子が欲しいということでした。値段を調べるとドイツ製でかなり高価なものでしたので、躊躇をしました。約4000ドル(当時で40万円相当)だったからです。何故、普通のではいけないのかと聞くと、一度でもいいから他の人の世話にならないで一人で好きなところへ行ってみたいというルベンの切なる夢を実現させたいという理由からでした。それは誰でもそう思うに違いないと感じましたし、できればなんとかしたいという思いでした。しかし、ドイツ製なので、壊れた時には簡単に修理ができるのかという心配もあり、できれば普通の方がいいかも知れないと思いましたが青年たちの気持ちは強く、とにかく支援するためのお金を集めて最終的に決めることにしたのです。

 

日本人でアメリカン・スクールに息子さんを通わせているお母さんにこの話をしてみましたら、すぐに賛成してくれて、日本のお友達に協力してもらえないかを話してみると言われました。彼女はお料理が上手で特にケーキはなかなかの腕前でしたので、日本人学校の人に買ってもらうというアイデアを出してくれたのです。また大使館員のご夫人で、この方は手作りのパンの腕前はプロ並で、彼女もパンを作ってくださりその収益を寄付してくださるということでした。それから夫がケーナという楽器を習っていたのですが、その先生とまたチャランゴという楽器を教えている先生も無料出演でコンサートを開いて下さることを申し出てくださったのです。

 

ケーナ:
南米ペルー、ボリビアなどが発祥の縦笛、「コンドルは飛んでいく」は有名ですね。写真はラウル先生制作の道夫の愛用のG管です。
チャランゴ:
南米アンデス地方周辺の民族音楽・フォルクローレに使われる40から60cmほどの弦楽器。 もともとは、16世紀にスペイン人が持ち込んだギターの前身であるビウエラ・デ・マノが発展したもので、ボリビアのポトシ北部地方が発祥の地ではないかと推定されている。

            

日本のピアニストの方が青年協力隊の隊員として来ていて、その方は南米のハープ、アルパに魅了されて留学もされた経験の持ち主でしたが、私はその方からアルパを習っていました。その先生も出演してくださるということになりました。日本人のご夫人たちもケーナやアルパを習っている人たちがいて、この機会に発表会も兼ねて楽しもうということになったのです。下の写真は、このプロジェクトの発起人の仲間の婦人たちです。中央がチャランゴを教えているマリア先生、車いすの青年がルベンさんです。

        

アルパ
ハープのことをスペイン語読みでアルパといいます。
中南米では非常にポピュラーな楽器で、メキシコ・ベネズエラ・ペルー等でも演奏されています。中でもパラグアイのアルパは楽器としての完成度も高く、美しい音色と華やかなレパートリーで人気があります。下は、パラグアイに注文して夫が買って来てくれたアルパです。

 

ケナーでは第一人者で日本にも度々演奏活動をされたラウル先生

ケーナに合わせてアルパ演奏をしてくださった平山順子先生

平山先生の最新のコンサートのちらしを添付します。

https://www.odette.or.jp/seishunkan/wp-content/uploads/2018/10/11.3%E3%81%B2%E3%82%89%E3%82%84%E3%81%BE%E3%82%88%E3%82%8A%E3%81%93%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%A1%E3%82%89%E3%81%97.pdf

 

ケーナの生徒たちで「コンドルは飛んでいく」を演奏

 

また、日系3世の中国レストランを経営しているオーナーのご夫人も特別のチケットを出してくださいました。それは私達がそのレストランを一夜貸し切り、食券を売ってその収益金を寄付するというものでした。

 

また、日本大使館の公使夫人もご自分が育てた盆栽を寄付してくださり、私たちも古着などを集めてバザーをしました。それでもなかなか大きなお金にはならず、今後どうしたらいいのかと思案をしていました。

 

ある日、身体障害者の施設を経営しているという弁護士の方とお知り合いになり、彼らが私達家族をご自宅のディナーに招待してくださったことがありました。その会話の中でご自分の兄弟と親戚の人7名で持っていると言うゲームができる大きな農場があるので、そこに私の家族を呼んでくださることになりました。アルゼンチンでは子どもたちも乗馬を習っていましたので、その日は広大な馬場で馬を走らせて楽しく過ごさせていただいたのです。

 

ポロ
乗馬しながら行うアイスホッケーの様なものです。 1チーム通常4人で構成されたメンバーは馬に乗り、マレットと呼ばれるスティックで球を打ちます。 この球を相手チームのゴールに運べば得点となります。

 

そこで、私は厚かましいアイデアがひらめいたのです!この場を「一日貸切り」として貸していただき、BBQと乗馬のピクニックの券を売り、収益にすると大きなお金になるのではないかと夫に耳打ちをしたのです。彼はこのアイデアを聞いてびっくりしましたが、その弁護士に話してくれたのです。すると、自分だけの一存では決められないので、親族会議を開いてお答えするということでした。私達はこのことが実現できますようにと毎日神様にお祈りをしました。1週間後にその許可がでたということを知らせてくださったばかりか、高級品を寄付してくださり、一枚25ドルの券をだして収益にしたらどうかということまで提案してくださったのでした。まさに驚くべき奇跡がおこりました。私はさっそく日本人学校の人々にこの話をしてBBQつき乗馬のチケットの値段を一枚15ドルという安い値段に決めたのです。必ずたくさんの人々が集まるに違いないと確信していました。ところが、期待はずれで15名しか集まりません。これではとても収益にはなりません。でも、ここが正念場です。たとえ人数が少なくてもこのファンドレイジングは神様が実現してくださったのだからやるんだと腹をくくりました。

それからしばらく待っているとドンドンと参加希望者が増えて来て、正確な人数は忘れてしまいましたが、急遽大型バスを2台頼んでも入りきれないので自動車で行く人も加わるほどになりました。

 

有志の婦人たちと一緒に安いマーケットでBBQのお肉をどっさりと買い込みました。

また、ルベンとその仲間の青年たちにはフリーで招待をしたのです。

農場の男性たちが火を起こしてお肉を焼いてくださったので一緒にいただきながら、馬にも乗せていだいて大いに楽しむことができました。そして寄付金は全部合わせて3000ドルになったのでした。感謝感激です。

 

しかし、あとまだ1000ドル足りないのですが、その時にある問題が起こりました。

日本人のお一人からこのような不満のお話がでたのです。「私達が一生懸命ボランティアでやっているのに、あのアルゼンチンの青年たちはただ黙って見てるだけなんですよね。どうしてなのですか?こういうことなら、私は、これ以上お手伝いは出来ません。」と言われてはっとしたのです。確かに彼女のおっしゃることはそのとおりでした。

彼らは本当に貧しかったので私達は彼らには何も求めなかったのです。しかし、そのことによって、寄付する人、される人の協力や一体感が全く無かったわけです。私達の考えが間違っていたことに気が付きました。そこで、アドリアンとバンビーナにこのことを話しました。黙って私達の話を聞いていましたが、理解してくれたようで仲間に話しますということでした。

 

しばらくして、彼らは一つのイベントをすることにしたと報告をしてくれたのです。

それは「サーカス」を開くことでした。日時を知らせてくださったのですが、夕方からすることになっていて、その場所は治安が悪いという理由で日本の方々は行かないと言われ、パンを焼いてくださったご夫人と私達の家族だけが参加したのです。

 

どんな内容のサーカスをすることができるのかと内心冷や冷やでしたが、芸人を何処から連れてきたのかあっと驚くほどの素晴らしいエンターティメントでした。野原に大きなテントを張り、その中でお客さんは満員でした。いろいろな屋台のお店も出て大賑わいです。私達も心から感激し楽しみました。

彼らはラジオ放送局に頼んでサーカスの日時を宣伝してもらい、当日は車を借りてメガフォーンでさらに宣伝しながら地域を回ったそうです。それにパン屋さんに行って主旨を説明すると100個のホットドックのパンを寄付してくれたそうで、コーヒーと一緒に売っていました。その収益金はなんと一日で700ドルにもなり、私達に手渡してくれたのでした。青年たちは見事にやってのけました!

 

その後、また日本の人々と一緒に、デザートとお茶の会でお楽しみ会をして残りの300ドルの寄付が集まり、とうとう目標の4000ドルが集まって念願の電動式車椅子が手にはいったのでした。

 

このように多くの人々が関わった一人の青年のための車椅子が実現出来たのです。ルベンは最高の幸せを感じたことでしょう。そしてやがて彼は献身をして神学校に進むことになりました。

 

また、アドラリアンとバンビーナはそののち、宣教師として日本に渡りました。チリからくる出稼ぎの人々のために日本の教会で数年大いに活躍された後、フィリピンに渡って働いているということを聞いています。その後私達もアフリカに行くことになり、その後の音信は途絶えてしまいましたが、愛情豊かなお二人はきっとどこにおいても神様の働き手として過ごされていると確信しています。

                    

私達はこのことをとおしてとても大事なことを学びました。

余裕あるものがお金を出し与えるという一方通行の善意ではなく、どんな事情や立場であっても一人ひとりが良いことのために行動で示す勇気を出したならば、必ず実現できるということ。

「私にはとうてい出来ません」と結論をすぐに出してしまわないで、「何かをさせてください。」と願い模索する心があれば、必ずその人らしいことが成し得るのだと言う確信が与えられました。

 

そして双方向、みんなで作り上げるということは何にも代えがたい大きな喜びになるということを心に刻み、アルゼンチンをあとに、アフリカのザンビアに向かったのです。

 

後奏:

 

 

<お知らせ>
次回からは、アフリカのザンビアでのお話になります。ご期待ください。

 

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