令和4年10月30日 礼拝メッセージ:証集:海外での主のめぐみ―ザンビア(3):「さようなら!ザンビア!」」

聖書:

詩篇92編:4節
「主よ、あなたはみわざをもってわたしを楽しませられました。わたしはあなたのみ手のわざを喜び歌います。」

 

前奏:

 

今回でアフリカでの証は最終となりますので、できるだけ写真を入れて解説しながらアフリカでの生活を紹介させていただきたいと思います。私達にとっては、どこの国においても人々との真実な触れ合い、心の交流が喜びでした。どんなに環境が困難であってもそこで出会う人々との交わりがあってこそ、そこに滞在した感謝がいつまでも記憶として残っていて我が家の宝となっているからです。

 

子どもたちにとってはやはり学校生活が一番大事です。ルサカにはアメリカンスクールとインターナショナルスクールがありました。色々な国から来ている子どもたちの交友関係は将来の彼らにとっても良い影響を与えてくれたと思います。特に海外出張の多い三男はザンビアで一緒だった子どもたちとも今でも世界中で交流があるとのことです。

 

日本の茶道や生花を紹介する機会がありました。師範級のご夫人達とともに、私はのり巻の講習をしました。

 

 

長男智之は科学コンテストで優勝

補習校での運動会

 

医務官を辞して再び主婦に戻った私は邦人の夫人たちとの交流が深まっていきました。まず、日本人補修校の幼稚部を担当しました。クリスマスが近づいたときは夫人達と合唱をし、(指揮をしているのが私)また、子供たちはハンドベルをしました。

夫人たちが補習校の講師

 

インドに長く滞在していた邦人の夫人がサリーをたくさん持っておられて、私達に着る機会を与えてくださって、彼女のお宅で写真をとりとても楽しい思い出になりました。

 

一ヶ月に1回は日本人会の定例でゴルフのコンペがありました。私も毎朝5時頃に起きて、夫と一緒に自宅から車で3−4分のところのゴルフクラブのメンバーになり彼から教えてもらいました。一向に上手にはなりませんでしたが、毎朝9ホールを歩くのはとても楽しく健康的でした。子どもたちとも土曜日には一緒にゴルフに出かけて行き、夫がロンドンに出張のときは上の二人の息子とともに「カントリーゴルフ」というルサカクラブのトーナメントにも出場をして次男はキャベツをもらいました。優勝は豚一匹だったのです。日本人の会では、夫はいつも優勝をしていましたが、私はブービー賞の連続で、一度だけびっくりするほどの長距離が出て賞を頂いたまぐれもありました。

                                                                 

また、子どもたちのトーナメントがあって金曜日に行っていましたが、小さいこどものためにパターのコンテストもあって3男も参加して3位でした。長男も次男もなかなか腕を磨いていて、父親と一緒に回るのが楽しみのようでした。みなさんは家族でゴルフ三昧をぜいたくだと思われるかもしれませんが信じられないほど安かったのです。

 

また、医務官として色々な大使館の集まりのパーティーに参加していたのでイベントの情報がいただけるのは幸いでした。まず、ドイツの大使館夫人主催によるファッションショーのご招待があったので出かけました。それはとても素晴らしいものでしたので、さっそく新しく赴任された大使夫人にその報告をして、今度は会員と邦人でアフリカの衣装を着て、豪華なプールと大理石のバルコニーのある公邸でのファッションショーを企画していただけないか提案したところ、すぐに賛成を頂き、元ミスザンビアと現地のモデルさんにも入っていただいて華やかなショーを楽しむことができました。

 元ミスザンビア

モデル嬢

 

      

また、夜、ノルウェー大使館の音楽コンサートがあると聞いたので、大使夫人と有志の夫人達と一緒に4人のアカペーラを聞きに行きました。上列の右から3人目が大使夫人です。

 

私達にとって、一番思い出深かったのはザンビア少年アカペーラとの出会いでした。

ある日、ザンビア中の合唱団のコンサートがあることを知った私はさっそく見に行きました。多くの出演者の中で際立って素晴らしいハーモニーの少年合唱団に目をつけた私は音楽会が終わってからすぐに楽屋に行ったのです。彼らは私たちの家に近い地域に住んでいましたが、そこはいわゆる貧民街で危険だからそこを通らないようにという注意もあったところでした。

 

聞いてみると彼らのお兄さんたちのグループがアメリカの宣教師に見初められて演奏旅行をしているとのことでそのCDを頂いたのです。そこで夫と相談して、アメリカンスクールの生徒たちに彼らの素晴らしい歌声を紹介したいと思いました。なかなか現地の同じ年頃の子供達と触れ合うチャンスはないと思いますので校長先生にお願いしたところ大変喜んでくださいました。2時間にわたり大きな教室で全校生徒たちは彼らの歌声を聞くことができました。生徒たちはその力強いまた4部合唱以上の独特のハーモニーに魅了され、生徒からは「何時間練習をするのか」などと活発な質問がでました。

 

次は、音楽愛好家の大使夫人にお願いして公邸でこの少年合唱団のチャリティーコンサートを企画しました。そして、ある満月の夜、館員と邦人が公邸の庭に集まり、太鼓に合わせた彼らの素晴らしい現地の賛美歌と英語での合唱を聴きました。その時集めた募金で彼らのユニフォームを買い求めることが出来たのでした。そして、最後は、その音楽に合わせながらだれかれともなく大きな輪になってリズムに合わせて踊ったのでした。

 

3年数ヶ月が過ぎた頃に、次の任地は英国のロンドンであることが決まりました。夫はロンドン大学で熱帯医学と公衆衛生の修士を一年で資格を取るという外務省の方針で、一等書記官から参次官に昇進していたということもあり、医務官としての給料をいただきながら仕事は免除でした。勉強好きの夫としては喜びでもあり光栄だったと思います。

 

最後のザンビアでの思い出に「ライオンキング」のミュージカルを私は企画をしました。映画のビデオでみたことと私が持参していたライオンキングのサウンドトラックのCDだけが頼りでした。教会で4部合唱をしていた青年にアカペーラの少年たちの指導をお願いして、ダンスの振り付けは私が担当しました。さすがアカペーラグループの青年たちはすぐに歌を覚えましたが、やはりダンスはアメリカンスクールの子どもたちはダントツでしたので、お互いに学び合うことが出来ました。学校で2度ほどリハーサルをして、それぞれが何度も練習をして作り上げ、学校と私達が属していたバプテスト教会で披露をしたのです。ちなみに、ベビーのシンバ役は子犬でしたが、それがまた観衆の笑いを誘ったほどの演技だったのです。残念ながらその時のビデオをロンドンで見ようとした時にフィルムが出てしまい再現することができなくなりました。私も出演をしていて、進行を担当していた夫も手がふさがっていたのでその時の写真がないのが残念です。

我が家での練習風景

 

なお、再度アメリカの宣教師がルサカにこられた折、ザンビアアカペーラの少年たちは彼らの兄達と同様にアメリカでの公演をしたいと申し出ました。海外に出るためには推薦者がいるとのことで夫が引き受けました。彼らは、その後渡米をして、彼ら自身もアメリカで勉強する機会が与えられ、さらに公演の収入を自分たちの村に送ることで、彼らの出身地域の子供達のために学校を設立し学びと生活の支援をすることができるようになったと聞いています。

 

当時、ODA,または色々なNGOなどの海外支援がある中、日本はお金と箱物を寄付することが主だったのを批判されてきました。近年は小さいながらも交わりを大事にし、地道になさっているNGOやNPOもありますが、マニュアル化され、効率や安全を重視することもあって、その時の事情にあった個別な関わり合いがなかなかできなくなっているのではないかと私は感じています。海外支援にしても国内の災害支援においても、援助そのものと共に、人々との心の交流や困難な中にあってもその中で笑いがまた楽しみをも共有できることができればと願います。

 

後奏:

   

民数記 6章:24-26節
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。 主が御顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように。 主が御顔をあなたに向けて あなたに平安を賜るように。

 

<お知らせ> 
次回はロンドンでの証に移ります。ご期待ください

 

                        母の日に      木登り

           ワールド・ビジョンの峯野総裁を迎えて

ザンビア独立記念儀式

ビクトリアの滝

休暇をジンバブエで過ごす。バーベキュー。山の避暑地ニャンガにて、マス釣り

 

 

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