令和3年8月8日 礼拝メッセージ 「誰を遣わそうか」
今日は皆様に、からし種チャペル礼拝のプログラムをご紹介したいと思います。

このページの終わりに添付しましたのでご参照ください。

 

礼拝メッセージ「誰をつかわそうか!」

聖書:イザヤ書 6章8節
私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

 

今、読んでいただいたのはイザヤ書ですが、少しこれについて説明をしたいと思います。

旧約聖書では「イザヤ書」エレミヤ書」「エゼキエル書を三大預言書と呼んでいます。ヨナのときにもお話しましたが、大預言書という意味は、内容が多いということであって、価値が大きいということではないということでしたね。

イザヤ書はその一つで、紀元前8世紀頃に書かれたと伝えられています。そしてその著者の名前がイザヤです。

 

時代背景としては、イスラエルが南北に分断されて以降のことで、彼は南王国ユダの首都エルサレムで、4人の王(ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ)に仕え、約60年間活動したと言われています。

当時、イスラエルの人々は信仰を失い、堕落をしていて、イザヤは神に立ち返るようにと忠告をしましたが、王も民も反省をせずに従いませんでした。やがて、北王国はアッシリアに滅ぼされ、南王国はバビロンに滅ぼされることをイザヤは予言をするのですがそれでも、彼らは聞き入れませんでした。

しかし、それと同時に、イザヤはその後イスラエルはバビロン捕囚から開放されて(紀元前400年)帰還することになることも預言することで、捕囚となって囚われている人々に希望をつなげていきます。

さらにイザヤは、実際のところすべての預言を理解していたとは限らないのですが、やがて新約の時代にメシア(救い主)が来られて、受難を受けるけれども再臨するということまでも予言をしているのはまさに驚きです。新約聖書では、イエスさまも弟子たちも、またパウロもこのイザヤ書をたくさん引用をしておられます。

6章8節はイザヤが預言者としての召命を受けるシーンが書かれているのです

 

自分の人生をどのように生きるのかということを考えはじめた時、また考えさせられるような出来事が起こったときのことを思い起こすことがあると思います。

そして今、私達はどのような毎日を過ごしているのだろうと改めて考えるときが必要なのかもしれませんね。

 

中学2年生(13歳)の夏休みに、父が行くようにと機会を与えてくれて、私は初めて京都の同志社大学が主催する「クリスチャンキャンプ」に参加しました。3泊4日で全国から多くの中学生と高校生が集まってきたのです。両親から離れての初めて経験でした。しかも、最後の日のキャンプファイヤーに「証」をするようにと主催者側から言われていました。キリスト教では、自分の信仰に関して、皆さんの前でお話をすることを「証」をすると言います。

私は証をする時に、このイザヤ書6:8の聖句を選び「将来、医療伝道者になって、アフリカに行くことが私の使命であり、神様にお仕えすることなのだ」という趣旨のお話しをしました。一般的には証というと「どうしてクリスチャンになったのか」ということが主題になるのですが、私はクリスチャンホームで育っていましたので、神様を信じていることを前提にそのようなお話をしたのでした。

 

実際には、その証をする一年前の誕生日に、父からシュバイツァー博士の伝記をもらって読みました。そのときに、人生で初めて私は生きる目標、すなわち召命感を持ちました。

まもなく70歳を迎えようとしていますが、改めて50年以上前のその時のことや今に至るまでの神様のお守りとお導きを思い起こしています。

 

その歩みには、数えきれないほどの幸せや祝福がたくさんありましたが、同時に自ら招いた失敗で後悔をしたことやその報いを受けたことも当然ながらありました。

逆境ともいうべき壁も少なからずありました。しかし、それらをひっくるめて心から神様に感謝をしています。なぜなら主は私の不従順にもかかわらず、一度として、お見捨てにはならず、正しい道に引き戻してくださったばかりではなく、新たな希望とチャンスを与えてくださいました。

 

勿論、その背後には、家族の愛情と支えがありましたし、尊敬する3人の恩師に出会えたことで世界が広がったこと、また、不思議な助け手が現れて思わぬ転機が起こったということもありました。あまりにも多くの恵を頂いていながら、皆様にお伝えすることができていないのですが、少しでも分かち合いたいと思ってこのHPを始めました。今後も読んでくださる私の家族やお友だちであるみなさんにとっても祝福につながればと願っています。

 

今日は、具体的なお話をすることは致しませんでしたが、先週に続いて、シスター渡辺和子さんの「ていねいに生きる」という示唆に富むお話を聞いてともに味わいたいと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=duYuhBpvVJ0&ab_channel=%E5%BF%83%E3%81%AE%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%B3YBU%E9%81%8B%E5%8B%95%E6%9C%AC%E9%83%A8

 

令和3年8月8日 礼拝プログラム

前奏:

https://www.youtube.com/watch?v=e1l_-BQBjlE&ab_channel=scgfrkryk

祈り:                         小野道夫 宣教師

賛美:             新生讃美歌  651番,  「イエスの愛にこたえ行く」                                                                                  オカリナ演奏 小野道夫宣教師

賛美:   新生讃美歌 651番の2番、3番 「イエスの愛にこたえ行く」 

聖書:  イザヤ書6章8節          

                「私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

メッセージ: 「誰を遣わそう」                       小野 惠 牧師

聖餐式:

感謝の祈り:                                                   小野道夫 宣教師

祝祷:                                                         小野 惠 牧師

後奏:

https://www.youtube.com/watch?v=c7GhyHbT3j0&ab_channel=patariro0614

 

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