「めんどり、サンディのお話」

ペットの思い出 (その1)「めんどり、サンデェイのお話」

[主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。].  詩篇91:4

とうとう私達家族の目指すアフリカにやってきた。

昔イギリス領であったザンビアの首都ルサカである。そこはサバンナで雨季と乾季に分かれている。雨が少ないので土地は荒れ放題。

住民は貧しく、マラリア, コレラ、エイズにさらされていた。

 

子どもの世界は自由で、木に登ったり、サッカーしたり、プールで泳いだり、空手をザンビア人にならったり自然との触れ合いが楽しみであったようだ。それに現地の子どもや大人と自由に話をしたり、シマと言うとうもろこしの粉を煮たおもちのような常食をおすそわけしてもらったり、現地の人々はたんぱく質を取るために蛾の一種をフライしたものを好んで食べるのだがそれも食べさせてもらっていた。彼らのたくましさには驚きである。

土曜日には日本人の補習校があって10人ほどの少人数だが日本人家族が毎週集まって日本語と算数を習う。普段はみんな英語の学校に行っていた。

ペットが飼いたい

子供たちは動物が好きで、3男の宣道がペットに鶏を飼いたいといいだした。

それまで番犬として大きな犬を4匹もかっているし、次男の義幸はうさぎがほしいというので、日本の獣医さんにやっと探してもらって飼育すると大変大変!次々と子供が生まれて面倒みきれずクラスの友達や韓国の宣教師夫妻に配った。それに亀まで飼うのだと言って夫がゴルフをするときのキャディーさんに頼んで拾ってきたが犬に噛まれてしまった。我々はもうペットは懲り懲りなのだ。

息子への宿題

そこで夫は宣道に宿題を出した。

「宣、図書館でにわとりのことを勉強しなさい。そしてパパにわかったことを話すんだ。世話をちゃんとすることを約束したら飼ってあげられるかもしれないよ」

すると、さっそく彼は調べてきて卵は21日目に孵化(ふか)することなどを詳しくしらべてきたのである。それは小学一年生にしてはかなりの説得力があったので許すこととなった。

 

私はさっそく男のお手伝いのカベサさんと一緒に市場に行ってまず、立派なオスを買ってきた。子供たちはそれを「Uncle Bob」と名付けた。毎朝5時前にけたたましく朝の一番を告げるボブおじさん。

いよいよ婚礼を考え、めんどりを2羽買ってきてサンデェイーとサタデェイと名付けた。

 

ある日、宣道が息をハーハーさせながら走ってきて「ママ、サンデェィが卵を生み始めたよ!だってさ。この間、メイトしていたもん」度肝を抜かされた。

何?メイト?え!動物のセックスを見たってこと?!わ~こりゃ、良い性教育になるかもね~。

めんどりの産卵と育児

サンディーは一日1個ずつたくさん卵を生み自分の翼で温めていた。同時に何も食べなくなってしまったから心配で私はそばに水と食料をもっていったけどいっこうにたべる様子がない。何故なのかしら、つわりでもあるのかな~?しかし、雛は一向に孵化しない。

ずいぶん長いことかかるので「宣、今日で20日になるけど、どれも生まれないわね。明日になっても生まれなかったらもうこんなことはやめて卵を食べようよ。ペットにするなんて贅沢だと思わない?」といったら

「ママ!必ず明日hatch(ふ化)するから。でも、しなかったらママのいうとりにしていいから」と彼は言う。なんだかかわいそうになってきた。

するとどうでしょう!翌日、生まれたのだ!宣が言ったとおり21日目に生まれた!

 

日ごとに雛(ひな)はぴよぴよと殻(から)を破ってたくさんの新しい生命が生まれた。成長がとても早い。もうよちよちしながら歩く。それらを自分のひろい翼保護して一日中守っている母鳥。大したお母さんぶりだ。

サタデェイも負けまいとたくさんの雛を生んだのであるが、産みっぱなしで世話をしないので、一羽、二羽と全員が蛇にかまれたり、大きな鳥に襲われて弱くなって死んでしまったのだ。

動物でも世話をするものとしないものがあるのだということを初めて知った。

 

次に心配なのは犬が夜庭に放されることだ。その時に食べられる危険があるので網で囲いをしていた。

お手伝いさんにも「犬がひよこを食べようとしたら叩いてくださいね」とお願いしていたが問題はその網が大きくてまた隣には獰猛な犬がいるので危険がいっぱい!

事件

だいぶ大きくなった雛たちは母鳥とは一緒にいないことも多くなったが、ある日の事、一匹の若鶏が昼に隣の柵を超えていったのを見た私は「危ない!」と思った瞬間!

犬が猛スピードで走ってきて襲いかかった!絶体絶命だ!すると、どこから見ていたのかサンデェイが柵を乗り越えて若鶏をかばったのである!

すぐにカベサさんが犬をけ飛ばして救ってくれたが血が滴り落ちている。。。。

夫はすぐに外科用の糸と針を用意して傷を縫いはじめた。かわいそうに局所麻酔のリドカインもなく、私はただ動かないように支えているしかなく痛まないようにと祈り続けていた。サンディは暴れることなくじっとしていた。

小屋に返すと外でなぜか1本足でずっと立っているのだ。

雨の日も小屋に入らない。死んでしまうのかなと心配でならない。子供たちと一緒に回復を祈り続けた。しかし見事に回復!また何度も卵を産んではひなをかえし頼もしいお母さん。

きれいだった茶色い羽がなんだかぼろぼろになってきたが相変わらず元気そのもの。

別れのとき

最後ザンビアを去る時に宣が「ママ、どうしてもサンデェイはペットとして飼ってくれる人にあげたいんだ。探してくれる?」ようやく彼の願いがかなって青年協力隊員にペットとしてもらっていただき、その後写真を送ってくださったのだが、サンディーが続いて雛を生み育てている姿を見てとても嬉しかった。

若鶏の大所帯になったので若鳥は郊外で、ポーランドからこられているシスターが経営している孤児院へ贈ることにした。その時冗談で「シスター、この鳥をペットとして飼ってくれますか?」というと「とんでもない惠!もちろん、食べますよ!」と言って私達は大笑いをした。

そうりゃ食料困難なザンビアでね~。

 

しかしサンデェイは、私達の家族にイエス様の愛を知らせてくれた素晴らしいペットであり、まさに私達のファミリーであったのだ。

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