ウクライナ支援報告 第一便

聖書:

箴言19:21
「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅くたつ。」

           

私が住んでいる和歌山県の串本町を8月1日に出発しました。ルーマニアの目的地であるスチャバに入る前の旅路の経過までをラインで、一部の方々には簡単に報告をさせていただいていました。

 

空港での待ち時間の合計は16時間、飛行時間は13時間でした。カタール国のドーハを経由してルーマニアのブカレストには少し予定時間が遅れて午後2時ごろに到着しました。空港には今回のリーダーである石川秀和牧師夫妻はじめ3名の方がすでに到着していて迎えてくださいました。

 

東欧は約4年前に夫の小野道夫医師と共に、ラトビア共和国で認知症講演を行うために3週間滞在したのが初めてでした。英語、ポルトガル語、スペイン語に接したことがある私にとってラテンがオリジンであるルーマニア言語は比較的馴染みやすいところもあります。一方、ウクライナ語は、スラブ語にルートを持っていますので皆目わからない状態で来ました。そのために携帯翻訳機を購入してきましたが、残念ながらウクライナ語の音声機能がないということがわかりがっかりしました。共通語は英語ということになっています。

 

今回の最終目的地スチャバに来るまでには、石川牧師ご夫妻が深い関わりを持っておられていて、双方固い信仰と友愛に根ざしている2家族を訪問し、宿泊もさせていただき大変な歓迎を受けました。共産国であったためにキリスト教の信仰は弾圧され、自由がなかった時代が東欧全体にゆきわたっていたと言われています。ルーマニアでは40年、ウクライナは70年と地下における信仰の歴史が続いて来ましたので私達には想像しがたいご苦労があったということをお聞きしています。

写真は1泊させていただいたところのご家族です。

 日本の教会からの献金で聖書キャンプ場が作られていて、そこを訪ねました。

キャンプ場では私達も賛美をしたり、食事を一緒にして若者たちと交流ができました。左は別れる時に集合写真を取りました。右は管理者の一家です。妻は小児科の医師で夫はAIの専門家で壊れたパソコンも自由自在に直してしまうほどの技術者だそうです。

 

途中の野菜マーケットに寄ってみました。青年たちの賛美です。

 

私達はここを去り、石川先生のご長女のお婿さんであるダニエルさんのところに1泊させていただきました。彼は障害者のためにこの仕事を数十年もしていて、アメリカの支援団体(教会関係)の支援も受けながら、車椅子の修理をしたり、それを遠いルーマニア、ウクライナにも運んでいます。彼は石川先生の神学校での生徒で牧師の資格もありますがテントメーカーと言ってご自分の仕事で生計を立てながら福音を述べ伝えているのです。冗談が上手でさすが奥様が日本人なので日本語の発音も外国人らしくなく上手です。ずっと私達を大型のバンに乗せて運転をしてくださいました。

(下)石川先生の英語のメッセージをお婿さんのダニエルさんがルーマニア語に同時通訳をしていてベストコンビです。

ウクライナの募金活動を終えたあとに日本の4名の方たちと、串本のナースステーションから頂いていた募金の日本円をドルに変換して持参しました。

US$280ドルになりましたので子供の成長にともない大きさや機能がかえられるこのタイプの車椅子をお願いしました。(左)

(右)ここは車椅子の修理をする工場と車いすの保管庫や事務所です。

 

ウクライナの3家族がアメリカに移住するために、私達日本のグループが食事を作ることになりました。北海道の札幌から元、イタリアンシェフが同行されていますのでそのご指導のもと、カジュアルなメニューであるカレーを提供させていただき大変喜ばれました。また折り紙を各テーブルでプレゼンをして、参加した皆様が大変興味を持って上手に折り鶴を折っておられました。また独自の武道を考案している日本の青年が子どもたちの相手をしてくれましたので歓声があがり盛り上がりました。その時の写真です。

(追伸)
皆様にお祈りお願いします。宿舎でコロナ感染が発生しましたので、私達も濃厚接触者として隔離せざるをえなくなったことと、その後、私がウクライナの避難センターに移ってからも感染者がでたことでそのコントロールのために奔走していますので、ご報告が遅れていましたことをお詫び申し上げます。落ち着きましたら再度、ご報告をさせていただきます。

なお、個人的にラインでご心配くださる方もいらっしゃいますが返信できていない情況です。ご了承お願い申し上げます。

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